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エンタツ・アチャコの『水戸黄門漫遊記』(1938年・齋藤寅次郎)後篇

 現存する『水戸黄門漫遊記』は、敗戦直後、上映作品が枯渇しているときに、前後篇(147分)を、再編集して上映した総集篇(80分)のみが現存する。戦後、焼け跡の映画館で戦前のエノケン映画、エンタツ・アチャコ映画が「新版」として、次々と上映された。当時は、オリジナルネガにハサミを入れて再編集してしまうので、その段階で、オリジナル盤はなくなてしまう。

ロッパの『歌う弥次喜多』(1936年・伏水修 岡田敬)も、エノケンの『ちゃっきり金太』(1937年・山本嘉次郎)も、『エノケンの法界坊』(1938年・齋藤寅次郎)も、物語がわかるように、ギャグや本筋から離れたコミカルなシチュエーションからバッサリとカットしているので、その面白さは、なかなか伝わってこない。

 ところが『水戸黄門漫遊記』は、これまで同様、ほぼ半分の長さに再編集されているにも関わらず、それぞれの挿話が面白いので、あまり違和感がない。道中記のスタイルなので、エンタツ・アチャコが、土地土地で出会す様々な挿話が、オムニバス式に積み重ねられているからである。

 総集篇の構成は次の通り。違和感があるのは各エピソードのブリッジにあたる道中のシーンがバッサリ切られているので、次のエピソードがいきなり始まることだけど・・・

(1) 犬公方騒動とエンタツ・アチャコの旅立ち

(2) 黄門様一行が、少年たちの敵討ちを手助けして、正体を明かす。おなじみの「ここにおわす方は、先の中納言、水戸光圀公にあらせられるぞ」。ここはちゃんとした時代劇パート。「頭が高い」「ははあ」。後の映画、テレビでおなじみのシーンがすでに完成されていたとこがわかる。

(3) 道中出会った女スリに、宿屋で身包み剥がされ、江戸の講釈師・柳家金語楼と出会う。

(4) 水戸黄門一行と、間違えられて、金語楼・エンタツ・アチャコの三人が偽の水戸黄門となる。それを知りながら、世直しのサポートになると、偽物を泳がす本物の黄門様。

(5) 饗応を受けた城で腰元(江島瑠美)から、父の敵のカチカチ山の古狸退治を頼まれたエンタツ・アチャコのニセ助さん・格さん。深夜の荒れ寺で、化け狸に脅かされて大騒ぎ。「弥次喜多映画」でお馴染みの、お化け騒動の一幕。斎藤寅次郎の大好きなギャグが満載、エンタツ・アチャコのリアクション芸が楽しめるお化けネタ。

(6) 身重の女性(山根寿子)と夫の敵討ちの協力を頼まれたニセの黄門一行。仕方なしに助太刀する。仇敵の田丸傳三郎(高勢實乘)がとにかくおかしい。このシークエンスはほぼノーカット。ここまでが前篇『水戸黄門漫遊記 東海道の巻』(1938年8月11日)のエピソード。

(7) 道中、山賊に襲われている薬売りの女(神田千鶴子)を助けるエンタツ・アチャコ。お礼に「笑ひ薬」を貰う。

(8) 前篇のクライマックスで田丸傳三郎(高勢實乘)が「ワシの兄貴はね、今、木曽の山中でちょっと山賊をやっているがね。ワシの顔によう似ておるよ」と予告した通り、木曽山中で山賊一味に捕らえられるニセの黄門一行。山賊の親玉・傳四郎(高勢實乘)から逃れることができるか?

(9) いろいろあって、エンタツ・アチャコ・金語楼が、江戸に帰ってきたのはなんと30年後。日本橋のたもとで、夫の帰りを待つアチャコの妻・おつゆ(江戸川蘭子)も孫のいるおばあさんに・・・。後篇『水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻』(1938年9月)のエピソード。

といった構成で、それぞれのシークエンスが楽しめるので、短縮版にありがちなフラストレーションはさほどない。カットされて残念なのは、後篇に「ミス・ワカナ 玉松一郎」が出演していること。この映画の翌年、ワカナ・一郎は、新興キネマ演芸部に引き抜かれてしまい、吉本興業を(良くない辞め方で)抜けてしまったので、再編集版ではカットされてしまったようだ。

 この他にも清川虹子の名前が配役表にある。どんなエピソードだったんだろう?と想像をめぐらすのも楽しいが、どこかに当時の上映フィルムが残っていないものか?

 とはいえ、道中シーンのエンタツ・アチャコのやりとり、流石におかしい。

エンタツ「だいぶん、くたびれたらしいな」
アチャコ「もう、身体がくたくたや」
エンタツ「相当、今日は歩いたからな」
アチャコ「ああ、えらかったわ」
エンタツ「一つ俺が荷物持ったろ」
アチャコ「ああ、そうか。そらあ気の毒だな」
エンタツ「疲れているときはお互いに」
アチャコ「ホンマやな。一生恩に着るで」
エンタツ「そんな水臭いこというな」
アチャコ「いやあ」
エンタツ「その代わり、オレをおんぶしてくれ」
アチャコ「え?」
エンタツ「オレをおんぶしてくれ」
アチャコ「オレおmが?」
エンタツ「ああ。人間は持ちつ持たれつだからな」

 エンタツの持つワンダーなセンス。なんでやねん?と、観客もアチャコ同様、ツッコミを入れたくなる。この稚気が斎藤寅次郎監督の琴線に触れていることは、この後、戦後まで長く続く、エンタツ・アチャコとの喜劇映画を見ているとよくわかる。結局、エンタツに丸め込まれたアチャコが疑問を抱きながらもおぶって歩く。その疑問に対して・・・

エンタツ「人間ってのはお前、義理人情を知らなんだらあかんで」
アチャコ「ああ」
エンタツ「お前の辛いところを、オレが助けたんやから」
アチャコ「ああ」
エンタツ「また、お前もオレを助けてもらわな、いかん」
アチャコ「うん」
エンタツ「それがわからんようやったら、お前は一生、叩き大工で終わらなあかんな」
アチャコ「ああ、オレはお前、一生叩き大工や。お前はなんや」
エンタツ「オレは建築家」
アチャコ「同じこっちゃ、やないか!」

 こんな偉そうなことを、アチャコの背中で楽をしながらいうエンタツ。この無責任な感じが実にいい。そこで、路上で苦しんでいるお銀(渋谷正代)と出会い、情けをかけて、宿屋で財布をすられてしまう。この「ゴマのはえ」エピソードは定番となり、『エノケンの弥次喜多』(1939年・中川信夫)や様々な弥次喜多映画でもリフレインされ、なんと『続社長道中記』(1961年・松林宗恵)で、森繁社長の車に助けられた女の子(中島そのみ)が、ホテルで社長の懐中ものを盗んでしまうエピソードに発展していく。

 そして宿屋で、やはりお銀のスリの被害にあった江戸の講釈師・金柳齋梧山(柳家金語楼)と出会い、エンタツ・アチャコ・金語楼の三大スターの道中記となる。柳家金語楼は、大将時代、自らの兵役をネタにした新作落語「噺家の兵隊」が評判となり、ラジオやレコードの時代とともに大人気となる。昭和3(1928)年、曾我廼家五九郎に認められて、五九郎劇「二等兵」に出演。噺家でありながら、喜劇役者の道へ。身体を張ったコメディアンではなく、あくまでも、その容貌と、落語家としての話芸だから、実はあまり面白くない。でも、人気者だから、出てくるだけで観客は大喜びする。なので、エンタツ・アチャコとの絡みもギャグではなく、あくまでも大御所(になりつつある)存在感として。ここでは、江戸の講釈師だけど、あまり上手くないセコな感じが強調されている。

 この映画が作られた昭和13年1月、東京吉本の専属となり、エンタツ・アチャコと共に、吉本と大阪朝日新聞主催の「第一回 わらわし隊」で中国戦線の慰問に出かけた。金語楼は花菱アチャコ・千歳家今男らと「北支那班」、横山エンタツ・杉浦エノスケ、ミスワカナ・玉松一郎たちは「中支那班」として派遣された。

 余談だが、前作『僕は誰だ』(1937年9月)からしばらく、エンタツ・アチャコ映画が作られなかったのは、この「わらわし隊」に参加していたこともある。後篇『水戸黄門漫遊記 日本晴れ』に出演しているミスワカナ・玉松一郎は、この「わらわし隊」での慰問で、さらに人気が爆発。その時の体験をネタにした漫才が十八番となる。それゆえ、翌年の新興キネマ演芸部からの引き抜きは、吉本興業には大きな痛手となった。

 で、前篇のクライマックスとなる、若侍とその妹・信乃の田丸傳三郎(高勢實乘)への敵討ちを手助けするシーン。エンタツのお気に入りの信乃(山根寿子)が産気づく。

エンタツ「どうしたんですか? 産まれる? 何が産まれるの?」
アチャコ「何が産まれるって、女子なら子供が産まれるのは当たり前やないか」
エンタツ「子供?娘さんが子供を産むか?」
アチャコ「気の効かん奴やな。この二人は若夫婦やないか」
エンタツ「夫婦か。しまった。そんなやったら、手伝うんやなかった。帰ろ!」
アチャコ「そんなこと今更いうな。手伝え、手伝え」

 仇討ちの途中で産気づいて、信乃が若侍の妹ではなく、妻だということが判明。がっかりするエンタツ。信乃は、急遽産婆の家に運ばれる。これぞ齋藤寅次郎喜劇!という感じの「なぜかこうなる」展開。で、どの映画よりもこの作品でのアノネのオッサンの含有量が高く、とにかくおかしい。義経みたいな武者装束で、二刀流だけど、臆病で滅法弱い。金語楼も腰が引けている。その二人が対峙している。

オッサン「危ない、怪我したらどうすんの?」
金語楼「敵討ちじゃないか」
オッサン「敵討ち敵討ちとオッサンいうけどね。何もそんな人の悪いもんじゃないんだよ。、みんなが敵、敵って言うから我慢しているけどね。だいたい、オレは人なんか殺すような精神じゃないよ。顔見てもわかるでしょ。第一、人を斬ると血が出るでしょ。ありゃ、かなわんよ。あれは」

 と、戦意喪失。で結局、戦うのは配下に任せ、金語楼と一緒に休憩する。その間に、信乃は男の子を出産して、そのまま敵討ちを再開する。このシークエンス。金語楼とオッサンのやりとり、今観ても面白い。結局、刀を使わずに頭を使って、アノネのオッサンをやっつける。オッサンが座っているのは網の上で、エンタツ・アチャコが引っ張ると、見事に木の上から吊るされる。

オッサン「詐欺じゃないかこれ、オッサン」
金語楼「頭だよ。頭だよ」
オッサン「どうもさっきからヘンだ、ヘンだと思っていたよ」

 ここはオッサンの独壇場。これが受けに受けて、以後、東宝喜劇ではエノケン映画やエンタツ・アチャコ映画には、オッサンがなくてはならない存在となる。

 で、この後が後篇『日本晴れ』からのシークエンスとなる。木曽への道中、「旅笠道中」のインストが流れる中、山賊に襲われている薬売りの女(神田千鶴子)。「ここは地獄の一丁目だ。二丁目がないところだぞ」とお約束のセリフを放つ山賊の手下。

エンタツ「義をみてせざるは勇なきなり、よしいけ!(とアチャコの肩を叩く)」そして山賊たちをやっつけてしまう。そこでお礼にと貰うのが「笑ひ薬」。そんなもんあるかいな。と思うが「ご気分の悪いときに、こちらを一服呑みますと、たちまち、朗らかになりますの」と神田千鶴子が解説。少し匂いを嗅ぐだけで、二人で大爆笑。

 これで観客が納得してしまうのは、二村定一のヒットソングに「笑ひ薬」というのがあって、それがポピュラーとなっていたから。で、エンタツ・アチャコは、木曽の山中で田丸傳三郎(高瀬實乘)の一味に捕まってしまう。ここで流れるのは「山賊の唄」。コロムビアリズムボーイズと思しき歌声が気持ちいい。

 オッサン「お前たちは、オレの弟を殺害した連中に違いない」と激怒。刀を振りかざすが、刃が錆びていて使いものにならない。「お前、研いでこい」と配下に命じたり。相変わらずおかしい。で、牢屋には多左衛門(山田好良)、妹お熊(中村正子)、その恋人要助(冬木京三)も捕まっていて、お熊がオッサンの酒の相手をさせられる。「これでもワシは若いときには、小町息子と呼ばれていたもんだ」とおっさん、相変わらず暴走している。気を利かした配下が、先に捕まっていた金語楼に、親分のために何か芸をさせて、ご機嫌を取ろうとする。

オッサン「講釈師か、何かやってみろ。ワシはな、滅多に笑わない人間だが、もしもお前が笑わすことができたら、お前を赦す」。

 笑わせられなかったら殺されてしまう。そこで金語楼、お得意の落語を始めるが、これが一向に面白くない。延々ネタを繰り出す金語楼。ここは金語楼の見せ場なので映画館では大爆笑だったことだろう。さあ、困った。そこでエンタツ・アチャコが「笑ひ薬」を振りまいて・・・

 というわけで、これが後篇のクライマックス。考えてみれば「偽の黄門様一行」ネタは、この後も、映画やテレビで繰り返されていく。東野英治郎版「水戸黄門」が1979年に東映で映画化されたときには、偽の黄門一行を、クレイジーキャッツのハナ肇・植木等・谷啓が演じていた。

 エンタツ・アチャコの『水戸黄門漫遊記』は、齋藤寅次郎喜劇としても良くできていて、文字通りの大ヒットを記録。ようやくエンタツ・アチャコを映画で活かすことが出来る監督が登場したのだ。

 齋藤寅次郎は、この後、古川緑波の『ロッパのおとうちゃん』(1938年11月9日)、『ロッパの大久保彦左衛門』(1939年1月11日)、『娘の願ひは唯一つ』(1939年3月14日)、『ロッパの子守唄』(1939年6月14日)のロッパ映画を4本手がける。アチャコとは『思ひつき夫人』(1939年5月1日)でコンビを組み、1年後の『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』(1939年7月12日)で、エンタツ・アチャコ映画の最高傑作を撮ることになる。

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