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『限りなき鋪道』(1934年4月26日・松竹蒲田・成瀬巳喜男)

成瀬巳喜男のサイレント『限りなき鋪道』(1934年4月26日・松竹蒲田)をエリック・サティをBGMにスクリーン投影。これは、帝都復興が完成した後、昭和9(1934)年の銀座風景が活写されていて、成瀬のモンタージュも素晴らしく、戦前の銀座映画の最高作の一つ。原作は『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に連載された北村小松の同名小説。助監督に山本薩夫がクレジットされている。

銀座西六丁目の喫茶コンパルにつとめる杉子(忍節子)と同僚でルームメイトの中根袈裟子(香取千代子)、それぞれの恋愛と次の人生を歩み出す物語。のちの『朝の並木路』(1936年・P.C.L.)や『女人哀愁』(1937年・P.C.L.)などでリフレインされていく、職業婦人の恋愛と結婚、その厳しい現実は成瀬巳喜男の世界。

トップシーン。銀座通り(中央通り)の様々な光景がモンタージュ。待ち合わせしてランデブーする恋人たち。ショーウィンドーのペストリーに固唾をのむ貧乏学生。昭和8(1933)年2月、銀座三丁目に新装オープンした明治製菓銀座売店(前川國男設計図案)、その隣の松屋銀座デパートの晴れがましいショット。銀座四丁目交差点に、この映画の二年前に完成した服部時計店。銀座五丁目で風船の屋台を出しているおばさん。遊ぶ子供たち、などなどの光景を眺めているだけで、この映画の価値がある。

明治製菓銀座売店


杉子のつとめる喫茶コンパルは、銀座でも有名な喫茶店。この辺りには喫茶店が多く、コンパルの向かいは不二家、森永キャンデーストア、西側にはコロンバンがあった。そのワンブロック先、五丁目はレストラン松月、オリンピック、ブラジルコーヒーがあった。

さて、コンパルの名物は、客の目の前で焼くホットケーキ。バーテン(阿部正三郎)が、お玉を上に掲げて、ホットケーキミックスをさっと鉄板に広げる。焼き上がると丸いバターを乗せて、ウェイトレスが客席へ。可愛い女の子が多いので、女の子目当てで、通ってくる客も多い。その一人が三井弘次、コンパルのシーンには、必ず登場して、ホットケーキを注文。ニヤニヤと女の子を眺めている。
看板女優が失踪したため、女優のスカウトに来た「自由が丘撮影所」の千葉(笠智衆)たちが目をつけたのは杉子だった。

コンパルのナイトショット
店内からの眺め

杉子には原田町夫(結城一朗)という恋人がいて、町夫は彼女にプロポーズしようと、翌日のランデブーを約束。一方、袈裟子には、売れない画家の恋人・山村真吉(日守新一)がいて、真吉は五丁目の角、コロンバンの前で似顔絵書きをしている。

という滑り出しで、杉子は映画会社にスカウトされるも、町夫との結婚を考えていたので、女優になる気はない。翌日、仕事帰りに、町夫の待ち合わせ場所向かう、みゆき通りで交通事故に遭ってしまう。画面の奥には、外堀通りの向こうに泰明小学校。クルマを運転していた、御曹司・山内弘(山内光)は、責任を感じて、杉子を抱えて円タクで病院へ。

その騒ぎに何事かと町夫は、人混みを見やる。町夫がいるのは外濠川の山下橋あたり。待ち合わせはその辺りなのだろう。目の前を通る円タクの客席で、弘に抱かれている杉子を目撃してしまう町夫。

というわけで、ここから杉子と町夫のすれ違いが始まる。町夫は家の事情で田舎へ帰郷。杉子は入院していて、連絡が取れない。さらに弘は、母と姉の決めた婚約者・久山淑子(井上雪子)の奔放さよりも、杉子の清純さに惹かれて、交際を申し込む。

といった物語もさることながら、弘が杉子に「映画でも行きませう」と誘うのが、外濠川のほとり、朝日新聞東京本社の隣にあった円型の建物のロードショー劇場「邦楽座」(のちの丸の内ピカデリー)。そこで、二人はモーリス・シュバリエの映画『陽気な中尉さん』(1931年・パラマウント・エルンスト・ルビッチ)を観る。幕間のロビーで、弘は許婚者の淑子とその友人にバッタリ。淑子は、杉子のことが気になり「どなた?」と詰問。「彼女はぼくの妻(フラウ)です」と胸を張る弘。フラウとは、この頃、洋画の字幕から流行したハイカラな「夫人」という表現。

この邦楽座は、洋画の殿堂で、ぼくの母方の叔母が、こけでモギリをしていた。外濠川の丸之内橋(数寄屋橋のとなり)からの邦楽座のショット。映画広告の垂れ幕はユニバーサルの『透明人間』(1933年、日本公開は1934年3月29日・ジェームズ・ホエール)。ああ、映画時層探検!

 映画館といえば、トップシーンの銀座モンタージュで、車窓カメラが銀座シネマを捉える。上映しているのは、エドワード・E・ホートン主演の『旦那様お留守 LonelyWives』(1931年・ラッセル・マック)、ウィラー&ウールジーコンビの『頓珍漢嫁探し Girl Crazy』(1932年・ウィリアム・A・サイター)、アニタ・ペイジ主演『猛獣狩 Jungle Bride』(1933年・ハリー・ホイト)を上映中。『頓珍漢嫁探し』は、ガーシュイン兄弟のブロードウェイ・ミュージカルGirl Crazyの最初の映画化。

 さて、杉子は弘の愛を信じて、弘の母の反対を押し切って結婚。しかし義母と義姉のイジメに耐えられなくなり、弘はその板挟みで酒浸りの日々。PCLに移ってからの成瀬映画でリフレインされるテーマでもある。 一方、袈裟子は、なんと自由が丘撮影所の女優となり、真吾も美術スタッフとなる。この撮影所のシーンは、松竹蒲田撮影所のステージやセットで撮影。まず楽屋、女優になってコンパルに凱旋来店したときは、スターのような素振りでプロマイドにサインをしていた袈裟子だったが、実は大部屋女優。同輩たちと明治チョコレートを齧りながら、メイクをしている。ここでも明治チョコタイアップである。

 この撮影所のシーンは、日守新一のコミカルな演技が楽しめる。美術助手の真吉は、昼休みに、セットで、ディレクターズチェアに座って、監督気分に浸っている。キャメラのファインダーを覗いたり。そこへスタッフが戻ってきて、慌てて逃げ出す。しかしペンキのハケを、ディレクターズチェアに置いてきてしまい、監督がどかっと座り込む。

 大慌てで逃げ出す真吉。オープンセットのタバコ屋の角を曲がると、なんと別な組の本番中。こっぴどく叱られる。これも貴重な映像記録である。タバコ屋のセットの前の電柱には「クラブ歯磨」。前半でも、袈裟子と真吉が歯磨きをするシーンがあるが、もちろん「クラブ歯磨」タイアップ。後半、奥様となった杉子が、銀座へ出て買い物するのも「クラブ白粉」のショップ。そこで真吉に声をかけられ、お茶を飲みに行こうと歩き出したところで、円タクに乗っていた義姉に目撃されてしまう。その後、帰宅した杉子は、義姉と義母に嫌味を言われ、それがきっかけとなって、杉子は家を出る決意をすることに。

 というわけで、メロドラマパートは、成瀬のテーマでもある女性の離婚と自立が描かれていく。杉子には働きながら学校に通っている弟・高一(磯野秋雄)がいて、彼がこの映画の正しきモラルとなっている。『女人哀愁』の入江たか子の友人の佐伯秀男や、戦後の『山の音』(1954年・東宝)における原節子の義父・山村聰は果たす精神的役割である。この高一は、古いモラルに押しつぶされてしまうような姉の結婚に反対で、彼女に自立を促す。自分もクルマの運転免許を取得して円タクの運転手になる。最後、独身に戻った杉子が再びコンパルにつとめる。そのラストの爽やかさ、そして目の前を通ったバスに乗っていたかつての婚約者・町夫の姿を見て、複雑な思いになる杉子のショットで映画は終わる。

 このころ、成瀬は自分が撮りたい映画をなかなか撮れずにフラストレーションが溜まっていた。そこへ、P.C.L.から引き抜きの声がかかる。本作でタイアップを担当していた明治製菓の宣伝部の藤本真澄との知己を得て、成瀬は助監督の山本薩夫を連れてP.C.L.へ移籍。昭和10(1935)年、初のトーキー作品『乙女ごころ三人姉妹』(3月1日)を発表、P.C.L.のエース監督として数々の作品を手がけていくこととなる。

 


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