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『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年・川島雄三)

                                
 昭和33(1958)年4月1日。売春防止法が施行され、赤線の灯が消えることとなった。この法案は昭和31(1956)年5月に制定されている。川島雄三監督の日活時代の代表作の一つである『洲崎パラダイス赤信号』が公開されたのは、それから二ヶ月後の7月31日のこと。この法律については、日活での第一作『愛のお荷物』でも、青木富夫の遊郭経営者が登場するくだりでも話題となっている。後の『幕末太陽伝』(1957年)でも、消え行く赤線への、川島たちの思いが込められている。
 原作者・芝木好子は、東京の下町・浅草馬道に生まれ、江戸風俗の名残が残る東京を舞台にした風俗小説を数多く残した作家。昭和17(1942)年2月「青果の市」で第十四回芥川賞を受賞。「洲崎パラダイス」が発表されたのは昭和28(1953)年のことで、以後、洲崎を舞台にした小説を連作している。晩年に発表した「隅田川暮色」に、芝木の東京への思いが色濃く綴られているが、東京とそこに住む人々を愛した作家でもある。

 「洲崎パラダイス」について、芝木自身は「芝木好子作品集」(読売新聞社)第五巻の巻末にこう書いている。「『洲崎パラダイス』を書く時も転機に迫られていて、ゆきくれた時期だった。ある日銀座からあてもなく下町をめぐるバスに乗り、月島をめぐって、日没のあとの洲崎へ降りたのがこの世界とのふれあいのはじまりである(中略)。夜更けの洲崎の暗い海を幾度のぞいたことだろう。するうち橋桁に立っている女を見ると、それだけで私自身が彼女と合わさって、語り合っている気になったものだった(後略)」。

 まさに川島雄三が映画で描いたファーストシーンと同じ。東京中央区、銀座にほど近いが、風景は打って変わった隅田川にかかる勝鬨橋が、画面一杯に広がる。この勝鬨橋は、昭和8(1933)年に着工され、紀元二千六百年に沸き立つ、昭和15(1940)年に建設された、長さ246メートル、幅22メートルの橋。隅田川を航行する大型船を通すために、橋の真中からおよそ70度の角度で開閉する二葉跳開橋で、日露戦争の旅順攻略に戦勝したことを記念して「勝鬨橋」と名付けられた。

 画面でもわかるように、都電が中央を走行していた。昭和43(1968)年までは開閉をしており、その光景は終戦間もなく作られたエノケン、ロッパの『新馬鹿時代』(1947年)などに活写されている。秋本治の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも、かつての東京をしのぶランドマークとしてしばしば登場している。

 その袂のタバコ屋で、ボロボロの百円札を差し出して、タバコを買うヒロイン・蔦枝(新珠三千代)。それを待っている冴えない男・義治(三橋達也)。愚痴ばかりこぼすダメ男と、落ちぶれても生活力を感じさせる女。本編の主人公は、それまでの川島映画で、新珠三千代と三橋達也が演じて来たカップルとはテイストがいささか違う。この調子でずっと続いて来た、くされ縁の男と女。

 蔦枝は、思いつきで通りかかったバスに飛び乗り、義治はあわててそれに従う。都営バスのなかで空席を探す蔦枝の旺盛な生活力。勝鬨橋から月島を抜けたバスは、深川の木場を抜け、洲崎弁天町へと進んでいく。車窓に写された風景はまさしく、昭和31年の東京そのもの。

 この映画では、かつて芝木好子があてもなく乗った<下町をめぐるバス>に、観客を乗せ、その変わりゆく風景を体験させてゆく。洲崎弁天町とは、現在の江東区東陽町界隈。地下鉄東西線の木場駅周辺のこと。ここにはかつて明治時代に根津から移転して来た遊郭があった場所。根津神社の門前にあった遊郭は、帝大医学部設置のため移転を余儀なくされ、深川不動や富岡八幡にほど近い平井新田を埋め立てて、明治21(1888)年に完成したのが洲崎遊郭。明治42(1909)年には、160軒の業者が軒をつらね、1700人もの従業婦がいたという。やがて「洲崎遊郭」から特飲街「洲崎パラダイス」と名前を変え、原作「洲崎パラダイス」が書かれた翌年の昭和29(1954)年には、カフェー220軒、従業婦800人として、合法的に営業をしていたが、昭和33年4月1日の売春防止法の施行とともに、その灯が消えることとなる。余談だが、三浦哲郎の小説「忍ぶ川」のヒロイン・志乃も「洲崎パラダイス」にある射的屋の娘だった。

 その「洲崎パラダイス」の前に流れているのが洲崎川。現在は埋められてしまっているが、当時はこの川が特飲街への入り口だった。客である男は期待に胸を膨らませ、女は苦界に身を落としていく。そんなこちら側とあちら側の境の橋の袂にあるのが、本編の舞台となる一杯飲み屋「千草」。

 飲まず食わずで、この町にたどり着いた蔦枝と義治。永代通りに立つ二人の脇を大型トラックが通過していく。東京湾の埋め立てが盛んになっていた時代を感じさせる。「洲崎パラダイス」の門を前にした二人の胸に去来する思い。特飲街の女たちの嬌声と勢い良く走るトラック、しょぼくれた二人が好対照をなす。

 このトラックの運転手たちは、戦後経済の波に乗って羽振りが良い。特飲街の上客であることが、「千草」のおかみ・お徳(轟夕起子)とのやりとりから伺える。こうして東京の風景描写のなかに、主人公たちの置かれた状況をビジュアルで見せながら物語が動き出す。「千草」の「女中さん入り用」の張り紙を看て、「昼から何も食べてなかったわね」と店に入る蔦枝は、ビールを注文し、店に住み込みで働く事を即決してしまう。この生命力。

 生活力旺盛な蔦枝と、何事も無気力な義治。そこへ、秋葉原でラジオ屋を経営する中小企業の社長・落合(河津清三郎)があらわれ、彼らの状況は急転回していく。義治がつとめた蕎麦屋「だまされ屋」の女店員・玉子(芦川いづみ)の可憐さ。先輩店員・三吉(小沢昭一)のキャラクターの味わいなど、川島映画ならではのディテール豊かな人物描写が味わい深い。三吉がハナ唄で唄う流行歌「洲崎悲歌」は、現場で小沢が適当に唄った歌を膨らませて、タイトルバックの主題歌へと発展していった。

 中盤、落合に囲われて洲崎を離れた蔦枝を探して、外神田界隈をさまよう義治を追う高村倉太郎のキャメラが実に素晴しい。昭和31年の東京がドキュメント映像として記録されている。秋葉原の電気街の活況。そこで働く人々。蔦枝を探しまわる義治の鬼気迫る表情。あまりの暑さに、路上に倒れ込んでしまう義治の姿の遠景に見える日本橋三越の尖塔が実に印象的。蔦枝が百貨店で河合から着物を新調してもらったエピソードと、このショットが対応している。

 特飲街をめぐる様々な世代の男と女の物語が綴られるが、亭主が「なか」の女と駆け落ちしてしまったお徳をめぐるエピソードが印象深い。女との関係を清算した亭主・伝七(植村謙二郎)が、洲崎に舞い戻って来たときのお徳の表情に、彼女の中にある女性を感じさせる。

 さまざまな人生を呑み込んで、物語が進んでいくが、変わらないのは蔦枝と義治の「くされ縁」。生活に草臥れ、人生に絶望し、無一文となっても別れられない女と男。二人はまたバスに乗って、どこかの街へと流れて行く。

 とりあえずのラストシーンの二人の姿。この映画が深い印象を残すのは、蔦枝と義治に待ち受けている“これから”を、観客に委ねるからなのかも知れない。波乱の日常を繰り返しながら、「情」が二人を永遠に繋いでいるかのようである。

 この映画が封切られてから一年半経って、洲崎パラダイスはその灯を消すこととなる。『洲崎パラダイス 赤信号』は、消えてゆく洲崎という街の最後の活況を記録した作品ともなり、日活を離れた川島は、大映で『女は二度生まれる』(1961年)を撮り、東京映画で『花影』(1961年)を完成させ、夜の世界に生きる女の悲劇と、その女をめぐる男のドラマを描き続けていくこととなる。


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