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『続へそくり社長』(1956年・東宝・千葉泰樹)

「社長シリーズ」第2作!

 前作から二ヶ月後、昭和31(1956)年3月20日。ミヤコ蝶々と南都雄二の「漫才学校」シリーズのバリエーション『漫才長屋は大騒ぎ』(山崎憲成)と二本立て公開されたシリーズ第2作。「社長シリーズ」が前後篇で作られたのは、前段となる『三等重役』(1952年)が、当初は第3作も用意されていたが、社長役の河村黎吉の急逝に伴い、結果的に二部作になったからである。

 源氏鶏太原作、小林桂樹主演の『坊ちゃん社員』(1954年・山本嘉次郎)が正続篇で作られたもの、このデンである。製作サイドとしては、一本半の製作費で二本分の収益があげられるので、効率も良いという台所事情もあってのこと。

 さて『続へそくり社長』は、東宝マークがあけて、森繁久彌が登場。カメラ目線で観客に前作のあらすじを語りかける。社長・田代善之助(森繁)の後ろには、先代社長・福原富太郎(河村黎吉)の肖像写真と、「仕事に惚れろ 金に惚れろ 女房に惚れろ」の書が掲げられている。およそ5分に及ぶ長尺の「あらすじ」だが、映画は一期一会の時代、前作を観ていない観客へのサービスでもあった。ほかに、この前編の「あらすじ」があるのは、「社長シリーズ」では『続サラリーマン忠臣蔵』(1961年・杉江敏男)だけ。

人気シリーズとして定着していくうちにシリーズの「大いなるマンネリズム」は観客も共有することになり、いつものメンバーがいつもの騒動を繰り広げるので、あえてストーリーの説明の必要がなかったということだろう。

「私は福原コンツェルンの一翼を担う、明和商事の田代善之助であります。今は亡き、先代社長のメガネに叶いまして、この重積に任じ、大過なく今日まで、会社を主宰し経営して参ったのでありまするが、まことに“好事魔多し”とか(ニッと笑う)」

 観客の期待する「森繁節」に乗せて、前作のダイジェストが展開される。

「大政所の厳命で、私は以後、どじょうすくいを禁じられ、小唄の稽古をしなければならないハメと相成りました。ところがこの小唄なるものが間違いの元でありまして・・・と申しますのは、小鈴師匠(藤間紫)というのが・・・いや、そのなかなかね」

 このダイジェストには、のちの「社長シリーズ」でリフレインされる、様々な「おなじみ」が凝縮されている。美人芸者に鼻の下を伸ばしたり、社長夫人から秘書に個人的な指導がはいったり・・・

「さて、いよいよ社員慰労会の当夜と相成りました。以上が前編のあらましでございます。では、どうぞごゆっくり」

 お辞儀してから、立ち去ろうとして、一瞬カメラ目線になる。この人が田代社長なのか、森繁なのか、わからくなる。このカメラ目線、観客に向かっての一言、めくばせは、「社長シリーズ」に限らず、森繁映画の定番。ラジオのジョッキーから映画に進出したハリウッドのコメディアン、ボブ・ホープが、ビング・クロスビーとの「珍道中シリーズ」などのパラマウント喜劇で得意をした手である。

 森繁は敗戦後、満州から家族とともに引き揚げてきて、生活のため、舞台に立ち、新宿ムーランルージュで人気者となり、NHKラジオ「愉快な仲間」(1950~1952年)での藤山一郎とのコンビが一斉を風靡。藤山がビング・クロスビー、森繁がボブ・ホープの役回りで、歌とコントの洒脱な番組だった。この人気を受けて、昭和25(1950)年、森繁にとって映画初主演となったのが、新東宝『腰抜け二刀流』(並木鏡太郎)。これはボブ・ホープの『腰抜け二挺拳銃』(1948年)の時代劇版で、森繁が歌う主題歌のメロディも同作主題歌「ボタンとリボン」そっくりだった。ことほどさように、キャリアの初期、森繁は和製ボブ・ホープを意識していた。そのエッセンスが『続へそくり社長』の冒頭に生かされている。

 脚本は前作に引き続き笠原良三のオリジナル。源氏鶏太の「三等重役」で定着したイメージを最大限に活かし「大いなるマンネリズム」に様々なバリエーションが加わり、東宝サラリーマン映画を発展させた笠原良三。時代の変化や、流行を先取りし、日本経済の発展とともに「社長シリーズ」のスケールもアップしていくが、同時に「変わらないもの」を大事にして、飽きのこない「王道」ともいうべき物語を紡ぎ出した功績は大きい。笠原は、シリーズ最終作『続社長学ABC』(1970年・松林宗恵)、小林桂樹の新シリーズ『昭和ひとけた社長対ふたけた社員』(1971年・石田勝心)まで全作品を手がけることになる。

 そして音楽の松井八郎は、戦後ジャズブームのジャズマンで、ビクターオーケストラからビクター専属作家として、新東宝時代から森繁のヒット曲を手掛けてきた。東宝映画の音楽も多く「社長」「駅前」両シリーズを音楽で支えた。時代の気分、イメージは松井八郎の音楽によるところも大きい。

 さて、年末の「へそくり作戦」によるボーナス支給の社員慰労会の席上で、大株主の赤倉社長(古川緑波)が、明和商事社長・田代善之助(森繁)の更迭を画策していることを、先代社長夫人・福原イネ(三好栄子)と令嬢・未知子(八千草薫)から聞かされた田代社長。秘書・小森(小林桂樹)に赤倉の居場所を突き止めるように指示するが、そのため小森は恋人・悠子(司葉子)とのランデブーがおじゃんとなる。

 赤倉が熱海で妻と静養中と聞いた田代は熱海へ向かうが、同じ頃、六義園でのお茶会で・田代夫人・厚子(越路吹雪)は、赤倉夫人・悦子(沢村貞子)とバッタリ会う。赤倉は女房に「名古屋工場に行っている」と偽って、小唄の師匠・小鈴(藤間紫)と浮気の旅をしていたのだ。そこへ厚子と、赤倉夫人が現れて、形勢逆転、赤倉の態度が豹変。社長更迭の危機は免れた。

 前半はこのビジネスの話で、後半は、社用でプライベートまで浸食されてしまうサラリーマン・小森の悲劇中心となる。「社長もの」と「サラリーマン映画」の二本立てのような構造は、このシリーズの原点が、小林桂樹の『ホープさん サラリーマン虎の巻』(1951年)や『坊ちゃん社員』(1954年)にあることを思い出させてくれる。

 小森が悠子の家に結婚の申し込みに行くことになっていた日曜日。前社長令嬢・未知子のわがままで、小森はゴルフのお付き合いをするハメに。

 これも小林桂樹のサラリーマンものにはお馴染みの展開で、そのバリエーションでもある加山雄三の『フレッシュマン若大将』(1969年・福田純)でも、同じようなシチュエーションで、若大将は恋人・節子(酒井和歌子)との仲がギクシャクする。

 しかし、ゴルフ場で未知子は、独身でダンディーな大株主・小野田(上原謙)と意気投合、小森は置いてきぼりを食らってしまう。弱り目に祟り目の小森である。

 「社長シリーズ」が連作されるうち、小林桂樹の「サラリーマンもの」の要素は、『サラリーマン出世太閤記』(1957年・筧正典)シリーズなどシフトされ、「社長」では小林桂樹のエピソードはサイドストーリーとなる。

 小森は悠子に、未知子との仲を誤解されて大いにクサる。未知子が小野田と結婚をすれば、社長の座は小野田に奪われてしまうと田代社長。スネる小森は「僕は社長秘書っていう仕事のおかげでね。自分自身ってものをダメにしちゃいましたよ。それだけならいいけど、恋人までなくしちまったんです」と田代社長にボヤく。

で、田代社長もここで愚痴る。二人とも「会社を辞めたくなった」と嘆いて、料亭で酒を飲むシーンがおかしい。こうしたシーンで、森繁社長と小林秘書の、立場を超えた友情、家族的会社経営の良さが「社長シリーズ」の根底に流れていく。

 誤解が憶測を呼んで、ややこしいことになるが、万事は未知子の行動力で、悠子の誤解もとけ、田代社長の杞憂もふきとぶことになる。八千草薫のツンデレぶりもチャーミングで、お嬢さんだけど、やるときはやる、というアクティブさで、すべてが丸く収まる。

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