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『殺しの烙印』(1967年・鈴木清順)

 1956(昭和31)年、『港の乾杯 勝利をわが手に』で、監督デビューした鈴木清順監督。映画黄金時代、プログラムピクチャー監督として、添え物のSP(シスター・ピクチャー)から、日活アクションなど、様々なジャンルの作品を作り続けて来た。ちょうど監督40作品目となるのが、奇しくも日活最後の映画となった、1967(昭和42)年6月11日公開の『殺しの烙印』だった。

 日活アクションのなかで、日常として描かれて来た“殺し屋”という虚構の職業。凄腕の殺し屋NO.3にランクされている花田五郎(宍戸錠)が、たった一度の失敗で、組織に命を狙われる。次々に襲って来る凄腕たち。花田の女房の真美(小川万里子)さえ、殺し屋だと判明する。死への畏れと焦燥。殺し屋No.1とは一体誰か? 花田は、ガス炊飯器で飯が炊ける匂いを嗅ぐと性的な興奮を覚える。真美とのセックスはまるで野獣のよう。モノクロ画面に繰り広げられる二人の痴態。細かいカットと、大胆な画面構成の積み重ねに、「声」を効果的にインサートして、独特のエロチシズムが溢れ出す。

 そして、花田の前に現れる謎の美女・美沙子を演じた真理アンヌ。エキゾチックなその顔立ち。土砂降りの雨の中に浮かび上がる真理アンヌの美しさ。美沙子が組織に監禁されるビジュアルの衝撃。スクリーンに写された美沙子を見て、うろたえる花田。どのシーンにも技巧が凝らされ、卓抜なアイデアが画面に溢れ出す。戦前の日活映画から活躍して来たベテラン永塚一栄によるキャメラが実に素晴しい。『殺しの烙印』で提示される行動やキーワードは、「食べる事」「セックス」「排泄行為」そして「死」。起承転結のストーリー運びよりもそれぞれのシークエンスが際立つ構成となっている。

 意外なことに清順映画としては、オリジナル脚本は本作が初めてとなる。それまでは会社の企画、脚本も宛行扶持(あてがいぶち)で、いかに撮りたい映画に近づけるかという腐心を続け、そのなかで、盟友の美術監督・木村威夫ら、気心の知れたスタッフたちとのコラボレーションによる“異色作”を残して来たことになる。この『殺しの烙印』は、企画当初「殺しの墓標」というタイトルが冠され、脚本は具流八郎(ぐるはちろう)が担当。

 具流八郎とは1966(昭和41)年に結成された脚本家グループ。鈴木清順、木村威夫、田中陽造、大和屋竺、曽根中生、岡田裕、山口清一郎、榛谷泰明、葛生雅美といった助監督を中心とするスタッフに、映画評論家の石上三登志(今村昭)、森卓也など、固定メンバーではなく、清順監督の周囲にいる才能集団だった。職業作家として異彩を放っていた清順監督のため、石上は、1965(昭和40)年に同人誌「OFF」を刊行。それまで断片的にしか語られることがなかった清順作品を本格的に論ずる場として、森卓也などが参加。その縁もあって『けんかえれじい』(66年)の“シナリオのぶっ壊し作業”のため、清順監督の依頼で、石上と森がアクションやギャグのアイデアを提供。清順評価をした若き評論家たちが作品に参加するという時代が到来。同時にプログラムピクチャーの時代の終焉が近づいていることでもあった。

 主演の宍戸錠は、この頃野村孝監督の『拳銃は俺のパスポート』(1967年2月4日)で、念願でもあったハードボイルドというジャンルで成功を収めていた。60年代前半のアクションコメディの饒舌さから一転、寡黙な“殺しのプロフェッショナル”のイメージを確立していた。日活アクションは、無国籍映画で撩乱し、リーディング・スターたちを格好良く見せるために量産されていった。そのなかで様々な「手」が凝らされ、ファンタスティックなジャンルへと昇華。癖のあるバイプレイヤーの存在感、ガンテクニック、そして美女たち。『殺しの烙印』はそうしたエッセンスを清順流にちりばめ、一方ではパターン化された物語を破壊して、クールでスタイリッシュなビジュアルが完成。

 キャストも充実している。組織の男・藪原に清順映画でおなじみの玉川伊佐男。花田を凌駕する殺し屋・大類進に南原宏治。東映のアクション映画や、松竹のメロドラマで活躍していた南原にとって、これが日活映画初出演。後半、花田とツーショットで繰り広げる「極限状況」のユーモラスな感覚。戸波志朗演じる郵便配達夫とのやりとりのおかしさ。「殺し屋はかくあるべき」という持論の展開の不思議な説得力。主題歌「殺し屋のブルース」は、具流八郎作詩、楠井景久作曲のオリジナル。歌うは具流八郎の一員でもある助監督の大和屋竺。 

 当時の日活首脳部は『殺しの烙印』を完成させた鈴木清順監督に対し、1968年4月「わからない映画を撮る監督は、日活にはいらない」と解雇。お仕着せの企画には飽き足らなくなり、実験精神を発揮し作家性を打ち出した専属監督と、それを支援する映画フアンに対する過剰な反応が解雇という形となった。それに反発した人々による「鈴木清順問題共闘会議」が結成されるなど、政治の季節のなかで、映画界を揺るがす大きな問題に発展。同時に鈴木清順をめぐる様々な伝説が、この『殺しの烙印』から、本格的に語られて行くことになる。

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