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幸福の青い鳥をもとめて『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年12月30日、BSテレ東「土曜は寅さん」で第37作「幸福の青い鳥」放映。拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、ご紹介します。

 この年、昭和六十一(一九八六)年の夏、山田洋次監督は、松竹創業九十周年記念映画『キネマの天地』を演出したため「男はつらいよ」は一回、お休みしたのです。後に、年一作となるわけですが、この頃の感覚だと「一年ぶりの寅さん」満を持して登場でした。

 今回は、第八作『寅次郎恋歌』の冒頭、下田の漁港(設定は高知)で雨の降る、とある秋の日に、寅さんが出会った旅役者一座の座長の娘で、花形役者・大空小百合の「その後」が描かれます。坂東鶴八郎一座と当時は名乗っていた彼らは、第十八作『寅次郎純情詩集』第二十作『寅次郎頑張れ!』第二十四作『寅次郎春の夢』で登場。旅先の寅さんや、第二十四作ではマイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)が芝居を観たり、彼らとひとときのふれあいをします。

 柴又で家族と些細なことで喧嘩して、二度と帰らない覚悟で旅の人となる寅さんにとっては、その途上で出会うテキヤ仲間や、馴染みの旅一座は、仲間であり、寅さんのもう一つの世界でもあります。第八作で座長を演じたのは、東映時代劇で数々の悪役を演じてきたバイプレイヤーの吉田義夫さん。座長役以外でもシリーズでは、冒頭の夢のシーンの悪役を演じ続けていました。その娘・大空小百合を演じたのは、ぼくらの世代では、アニメ「いなかっぺ大将」(一九七〇年CX)でキクちゃんの声を担当していた、岡本茉莉さん。

 第八作『寅次郎恋歌』で、そぼ降る雨のなか、傘を差して寅さんを宿まで送るシーンが印象的です。寅さんが格好つけて、小遣いを渡すのですが、間違えて五千円を出してしまって手痛い出費となります。その時、小百合は寅さんのことを「フーテンの寅先生」と呼びますが、そのイントネーションがなかなか可愛らしいのです。

 この時は雨で、寅さんの商売も、一座の芝居もうまくいかず、お互いの境遇を座長と話し合うシーンで、寅さんは「今夜中にこの雨もカラッと上がって明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。」と励まします。第八作のラスト、甲州路で再会するのですが、その時の日本晴れが忘れられません。苦しくても、悲しくても、頑張っていれば良いことがある。寅さんの人生哲学でもあります。

 以後シリーズには、しばしば一座が登場しました。また第二十二作『噂の寅次郎』の併映作、『俺は田舎のプレスリー』(満友敬司監督)にも、一座と大空小百合が登場。青森のりんご園のご隠居(嵐寛寿郎)がパトロンとして肩入れするのですが、なんとも贅沢な気分の二本立てでした。

 さて、第三十七作『幸福の青い鳥』です。寅さんは、風の吹くまま、下関から関門海峡を渡って、かつて炭坑で賑わった、飯塚の嘉穂劇場へとやってきます。嘉穂劇場は、昭和六(一九三一)年に開場、歌舞伎や女剣戟、漫才など、数々のエンタテインメントを上演してきました伝統ある小屋です。

 慈しむように、歴史ある小屋を見渡す寅さん「俺は前この小屋で東京の歌舞伎見たことがあったっけな、高麗屋、あれはいつだったけ」と呟きます。すると、掃除のおじさんが「昭和三十八年三月十日」と明快に答えます。寅さんが「勧進帳良かったなぁ」としみじみいうと、おじさんは、モップを小脇に抱えて、眼を剥いて六方を踏みます。「おじさん元役者やっていたんじゃないか?」

 男と寅さんの、ひとときの会話。ここに流れる空気は、寅さんと一座との間のそれと同じです。この「掃除の男」を演じているのは、一九六〇年代末から一九七〇年代にかけて「アングラの帝王」の異名を持った役者・すまけいさんです。すまさんは、七〇年代前半に引退、昭和六十)一九八五年に井上ひさしさんのこまつ座の芝居でカムバック。シリーズでは本作が初出演ですが、ここから最終作『寅次郎紅の花』まで、様々なキャラクターを演じ「男はつらいよ」をさらに豊にしてくれました。

 ここで、寅さんは、かつて馴染みだった一座の座長の消息を、男に尋ねます。聞けば座長は、この夏に亡くなったと。「葬式に人の集らなんで、ほんに寂しかった」とその最後を憐れむ男。「男はつらいよ」は、こういう深い印象を残す名シーンがあります。寅さんの生きる世界の光と影です。

 ちなみに、吉田義夫さんは、この映画の公開の二日後、昭和六十一(一九八六)年十二月二十二日に七十五歳でその生涯を閉じることとなります。当時、映画を観た直後の訃報に驚きました。

 やがて、寅さんはかつての炭住にある、座長の家を尋ねます。そこで、かつて大空小百合として旅役者をしていた、美保(志穂美悦子)と再会。今回は寅さんが美保と会うまでの旅の描写が実に丁寧です。

 福岡県は遠賀川の沈下橋を渡るシーンがあり、飯塚市の嘉穂劇場で、座長の死を知り、飯塚の炭住で、大空小百合=美保と会うのです。旅先の寅さんを丁寧に描きながら、寅さんが炭坑で賑わっていた劇場を昭和三十八年(一九六三)年に尋ねていたことや、昭和四十七(一九七二)年に下田港で一座と出会っていた旅の歴史を、観客に伝えてくれるのです。『幸福の青い鳥』は、一年ぶりの作品ということもあってか、寅さんをめぐる描写が実に丁寧です。

 そして、本作の大空小百合=志穂美悦子さんが登場してからは、第二十六作『寅次郎かもめ歌』のテキヤ仲間の娘・すみれ(伊藤蘭)の時と同じ様に、不幸な境遇にいる若い娘のため、寅さんが奮闘努力をする、という展開となります。

 この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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