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『続社長学ABC』(1970年・東宝・松林宗恵)

「社長シリーズ」最終第33作!

 昭和31(1956)年1月3日公開『へそくり社長』(千葉泰樹)からスタートした森繁久彌、小林桂樹の「社長シリーズ」がいよいよ大団円。興行成績が低下しての自然消滅ではなく、東宝の製作本部長である藤本真澄は、このシリーズを大事にしていて、惜しまれつつ「有終の美」を飾ろうと、前年の『社長えんま帖』(1969年)から、フィナーレを計画していた。

 「変わらないこと」を信条に、高度経済成長を支えた「家族的会社経営を是とする」理想的な「会社組織の映画シリーズ」だった社長シリーズは、本作でその役割を終える。昭和45(1970)年、「日本万国博覧会」が大阪千里丘で開催され、日本中の人たちが、「人類の進歩と調和」の世紀のイベントに晴がましい気持ちで訪れた。

 同時に経済大国として邁進していく日本人は「エコノミックアニマル」と海外メディアに揶揄され、高度経済成長の歪みがあちこちで問題となっていた。1960年代後半から、光化学スモッグ、工場の廃液による被害など、公害問題が顕在化。その元凶は、大企業による利潤優先の操業であると、庶民の怒りは爆発寸前。

 かつては戦後復興の旗印として、経済力を高めてきた「会社」は、サラリーマンとその家庭にとっては「終身雇用」が約束されている、頼もしい存在だったが、1970年代になるとそれは代償の大きい「幻想」に過ぎなかったことが明らかになる。

 「明るく楽しいみんなの東宝」のキャッチコピーで、明朗な都会派喜劇の代表だった「社長シリーズ」が、1970年に終了したことは、いろんな意味で象徴的である。

 とはいえ「社長シリーズ」の果たした役割は大きい。戦後、先代がパージされために、経営者となった戦後派社長の悲哀を描いた『三等重役』(1952年)から、日本企業の海外進出を描く『社長外遊記』(1963年)、そして「なべ底不況」のなか資金繰りに奔走する『社長行状記』(1966年)と、折々の日本企業の姿の合わせ鏡でもある。

 時代の風俗、流行などが反映されていて、遅れてきた世代にとっては「タイムマシン」のように、1950年代から60年代にかけての「時間旅行」を楽しむことができる。

 さて、『続社長学ABC』は、大阪万博開幕の直前、昭和45年2月28日に、中村錦之助の中村プロ製作、時代劇の名匠・伊藤大輔監督『幕末』と同時公開。錦之助が坂本龍馬と日活の青春スター吉永小百合がお良、三船敏郎が後藤象二郎というオールスター大作。ちなみに小林桂樹は、西郷吉之助の役で、こちらにも出演している。

 大日食品の新社長・丹波久(小林桂樹)は、経営刷新、ヤングパワーの登用をスローガンに積極政策に乗り出していた。前社長・網野参太郎(森繁)の秘書だった井関英男(関口宏)を営業課長心得となり、フレッシュマンの三浦(東山敬司)と花井(大矢茂)とプロジェクトチームとして大張り切り。

 井関は丹波社長の妹・未知子(内藤洋子)と交際中。そこへ、台湾と日本を股にかけて活躍中のバイヤー、汪滄海(小沢昭一)の姪・梨花(恬エンテ)が東京駐在員として、大日食品に出向。台湾での縁もあり、井関は必要以上に梨花にサービスするので、未知子は面白くない。

 取引先の令嬢や、会長の娘に翻弄されて、恋人に嫉妬されてしまう。小林桂樹の時代からの「社長シリーズ」の伝統がここにもある。

 そして丹波新社長は、新宿のスナック「唇」のママ・木内真沙枝(団令子)に夢中となり、
日曜日、ボウリング場で偶然あった真沙枝とデートをする。小林桂樹は芸能界きってのボウリングの名手で、ここでも一発でストライクを決めている。そういえば『社長行状記』(1966年)でも原恵子とボウリングするシーンがあった。

 昼下がり、真沙枝がスナック「唇」で手料理をご馳走する。大日食品の「ホンコンやきそば」に一手間加えたもの。この「ホンコンやきそば」は、昭和39(1964)年、エスビー食品が発売した袋めん。日清焼きそばとともに、ぼくたちの子供の頃、土曜日の昼の定番メニューだった。袋にはチャイナ服を着た中国人コックのイラストが描かれていて、実はいまでも現役商品である。袋の裏に「香港は様々な中華料理を味わえる都市。その中華料理の調理法に習い、豚のだしとコシのある麺の食感にこだわりました。」とある、コマーシャルの「ホンコンにうまいよ」は、子供達の常套句となった。

 さて、親会社・大日物産の郷司大社長(東野英治郎)の気まぐれで、せっかく大社長のポストを譲り受けたものの、いまだにお預け中で、大日食品・会長として、暇な日々を持て余してる網野会長だったが、郷司大社長からの命を受けて俄然張り切る。

 「鞆浦」で有名な、広島県福山市の「阿藻珍味株式会社」と提携して、日本の海産物の輸出強化を図ろうというもの。早速、網野会長は、井関を伴い福山へ。ところが阿藻珍味の社長・阿藻次郎(十朱幸雄)の様子がおかしい。接待の席を設けても、のらりくらり、阿藻会長(左卜全)は現れず。東京から丹波社長、営業部長・猿渡平一(藤岡琢也)も出張してきたのに、取引は暗礁に乗り上げる。

 結局、阿藻珍味に、汪滄海がアプローチしていたためと判明するが、ビジネス第一主義の汪滄海は、首を縦に振らない。
 昨日の友は今日の敵、ということで後半は、汪滄海をどう納得させるかがポイントになってくる。

 会長になっても網野の浮気癖は収まらず、長年馴染みの銀座のマダム・時岡マヤ(草笛光子)といよいよ、ランチタイムの情事というときに、赤坂東急ホテルのグリルで、新宿のスナックのママ・木内真沙枝(団令子)と丹波社長のデート現場に居合わせる。ホテルの部屋をリザーブして、やる気満々の網野会長だったが、真沙枝が丹波社長に「パトロンになって欲しい」と頼んでいるのを聞いて激怒する。

 「遊びはほどほど」「ほんの浮気にとどめておく」。社長シリーズに通底する「鉄則」を破ってはならない。という作り手のセオリーがここで発動する。丹波社長に説教をする網野会長、これぞ「社長学ABC」だが、マヤも真沙子もプンプンに怒り。部屋のリザーブは無駄に終わる。「浮気は完遂できず」。家庭円満の「社長シリーズ」らしいモラルである。
 
出張先の福山のお座敷で、芸者(団令子)に、真沙子の面影をみた丹波社長は、悪酔いして、網野が寝ている旅館の部屋に、芸者を連れ込むシーンもおかしい。普段は真面目な小林桂樹が、酒が入ると別人格となる。『サラリーマン清水港』(1962年)以来のキャラクターの豹変ぶりである。

 そして期待通り、網野は大日物産の大社長となり、万々歳のラストシーンとなる。小林桂樹の社長は、新シリーズ企画『昭和ひとけた社長対ふたけた社員』(1971年・石田勝心)で再び登場することとなる。

 そして、1970年代、加東大介没後に、藤本真澄は「社長シリーズ」の復活を企画。笠原良三脚本、松林宗恵監督による『社長開運記』の準備がすすめられた。ロッキード事件による商社の不正が新聞を賑わしていた時代。ニューヨークで客死した社長(加東大介)のピンチヒッターとして、森繁社長が返り咲くというもので、フランキー堺、三木のり平も復帰する予定だった。残念ながら企画は幻となったが、ファンとしては、映画化して欲しかったとつくづく思う。


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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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