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『兵隊やくざ』(1965年3月13日・大映東京・増村保造)

 『悪名』(1961年)、『座頭市物語』(1962年)のシリーズ化で、勝新太郎は大映のエースとなり、昭和40年代半ばにかけて、斜陽の映画界を支えた。そのもう一つの柱となったのが、昭和40(1965)年3月13日に公開された『兵隊やくざ』を第一作に(勝プロ=東宝も含めて)全9作作られる「兵隊やくざ」シリーズである。映画ファン的には『続・悪名』(1961年・田中徳三)やそのリメイク『悪名 縄張荒らし』(1974年・増村保造)のラストで、朝吉(勝新太郎)が出征。中国戦線に向かうところで映画が終わるので『兵隊やくざ』は、軍隊での朝吉の大暴れを観るような気分で眺める楽しみもある。朝吉は昭和12(1937)年に出征したが、『兵隊やくざ』はそれから6年後、地方(内地)ではやくざだった暴れん坊・大宮貴三郎(勝新太郎)が、ソ満国境の関東軍に初年兵として配属されるところから物語が始まる。

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 原作は、傑作ミステリー『三十六人の乗客』(1957年・東宝)や、吉永小百合と浜田光夫コンビのきっかけとなる青春映画『ガラスの中の少女』(1960年・日活)など、映画化作品も多い作家・有馬頼義の「貴三郎一代」(文藝春秋)。作者が昭和12年から昭和15(1940)年にかけての満州での兵役体験を描いたもの。激化する日中戦線で、型破りの“兵隊やくざ”大宮貴三郎の無頼ぶりが、読者を惹きつけた。

 大学卒のインテリ古参兵と、地方=シャバではやくざだった新兵。軍隊でなければ、およそ知り合うことのない二人の友情と、軍国主義、軍隊への抵抗をダイナミックに、時にはコミカルに描く。昭和18(1943)年、満州でも太平洋でも日本軍の敗色が色濃くなってきていた時代。敵と戦うシーンよりも、軍隊内部の非人間性や、立場を利用したワルたちに抵抗する勝新太郎と田村高廣の抜群のコンビネーションで「インテリとやくざ」の組み合わせは、田村高廣にとっても勝新にとっても新境地となった。

 来春、満期除隊を楽しみに、なるべく体力を温存している3年兵、有田上等兵を演じて、田村高廣は、その演技が高く評価され、昭和41(1966)年の第十六回ブルーリボン賞・最優秀助演男優賞を受賞。「兵隊やくざ」は大映のドル箱の一つとなり、『兵隊やくざ 強奪』(1968年・田中徳三)まで8作、昭和47(1972)年には勝プロ=東宝提携で『新兵隊やくざ 火線』(増村保造)が作られ、計9作のシリーズとなった。

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 戦争末期の極限状況のなか、軍隊の非人間性、戦争の愚かさを痛烈に批判しながら、規則に縛られた軍隊のなかで「自由に振る舞い続けようとする」兵隊やくざ=大宮貴三郎の破天荒な行状を、バイオレンスとユーモア、ダイナミックなタッチで描いた重量級の佳作。

 関東軍四万の兵が駐留していた、ソ満国境に近い満州・孫呉の兵舎へ、大宮貴三郎が新兵として赴任される。映画は、その関東軍での春夏秋冬の軍隊生活を、様々な事件とエピソードを重ねて、有田上等兵と大宮一等兵が友情、信頼関係を築いていくプロセスを描いている。なのでストーリーというより、エピソード集という構成で中盤まで展開していく。

 入隊三年の古参兵だが、あえて出世は望まない有田上等兵(田村高廣)が、札付きのワルの新兵・大宮貴三郎(勝新)の教育係を命ぜられる。東京で浪花節語りの修行をしていたが、師匠(山茶花究)に破門され、ヤクザとなり、出入りで人を殺したことがある大宮と、翌年春の除隊を楽しみに、軍隊や軍国主義に批判的なシニカルなインテリ・有田が、お互いをかばい助け合っていくプロセスが実にいい。

 おそらく、この企画は、渥美清主演の松竹映画『拝啓天皇陛下様』(1963年・野村芳太郎)のヒットを受けて企画されたもので、インテリと初年兵の奇妙な友情という点ではよく似ているが、渥美清と勝新太郎の俳優としての資質の違いが、全くタイプの異なる軍隊ものにしている。

 型破りな大宮は、将校専門の慰安所でナンバーワンの音丸(淡路恵子)に突撃して、彼女に惚れられてしまう。しかも有田もそこへ通って、具体的な描写はないが、三人で楽しんだことが音丸のセリフで匂わされる。昭和40年の一般映画で、である。

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 バイオレンス・シーンも多く、兵隊係の白井上等兵(藤山浩二)の鉄拳制裁、砲兵隊で元ボクサーの黒金伍長(北城寿太郎)によるリンチ、炊事班の石上軍曹(早川雄三)による暴力などなど、大宮二等兵はいつも血だらけ。暴力シーンも多いがモノクロなので、映画としてはバランスが取れている。

 軍隊は階級ではなく、年功序列というのが貫かれていて、こうした制裁やそれへの報復シーンに、軍隊の非人間性、極限状況に置かれた人間の暴力性が垣間見える。

 後半、貴三郎が南方へ送られることになり、有田と別れ難さに、計算づくで営倉に入れられるなど、貴三郎はなかなかの知恵者でもある。いよいよ関東軍が、最前線の南方への移動が決定。もはや生きて内地に帰ることははないとなると、その知恵をフル回転させて、奇想天外な脱走計画を実行する。戸惑う有田に、貴三郎は「上等兵、だまって俺について来い!」と凄む。

 ここで観客はどっと笑っただろう。大流行していたクレイジーキャッツの植木等のフレーズを勝新が大真面目で言ってのけるからだ。改めて、この大1作『兵隊やくざ』は、渥美清と植木等が巻き起こしたブームの影響を受けているのだということに気づいた。

 脱走計画をサポートする音丸の「あたしの分まで、生きてください」のセリフが胸に迫る。芸者から慰安婦へと身をやつし、流れ流れて北の果てまでやってきた音丸には「明日がない」のである。

 菊島隆三脚本は、自殺する新兵、脱走する兵隊の恐怖や悲しみを随所に描きつつ、慰安所の女性の悲しみも描いている。だからこそ、明らかに戦死となる南方戦線への移動を拒み、国家に反逆する”兵隊やくざ”の反骨精神が、なんとも爽快なのである。


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