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『おかあさん』(1952年6月12日・新東宝・成瀬巳喜男)

7月8日(金)、深夜の娯楽映画研究所シアターで成瀬巳喜男特集として『おかあさん』(1952年6月12日・新東宝)をDVDからスクリーン投影。

「全国児童綴方集」の子どもの作文を原作に、水木洋子さんが脚本を執筆。つまり、戦前の東宝映画、高峰秀子さん主演の『綴方教室』(1939年・山本嘉次郎)の戦後版ということで企画されたもの。

出演は、田中絹代さん、香川京子さん、三島雅夫さん、加東大介さん、岡田英次さん、沢村貞子さん、中北千枝子さんたち、お馴染みの面々。チーフ助監督は石井輝男監督、舛田利雄監督も応援で参加している。

大田区大森に近い商店街で、クリーニング店を営む福原一家の悲喜交交の日々を、18歳の長女・年子(香川京子)の眼を通して描いていく。


明朗なホームドラマではなく、結核を患った長男・進(片山明彦)が寝込んでいる。母・正子(田中絹代)の妹で戦争未亡人の栗原則子(中北千枝子)の息子・哲夫(伊東隆)を預かっている。福原家には小学生の次女・久子(榎並啓子)もいて、大家族ゆえに家計は苦しい。

おそらく戦災で店が焼けてしまい、今は母・正子が露天商をして、年子も冬は今川焼き屋、夏はアイスキャンディの屋台を出して生活の糧にしている。戦前から一徹職人として一家を支えてきた父・良作(三島雅夫)が、自ら大工仕事をして「福原クリーニング店」を再建。かつての弟子・木村庄吉(加東大介)が手伝って、なんとか店を再開することができた。

戦後六年、どうにかこうにかやってきたものの、母・正子(田中絹代)にかかる負担は大きい。生活は苦しく、年子は「洋裁学校に行く夢」も叶わない。そうしたなか、長年の無理がたたって、父・良作は病に倒れて、あっけなく亡くなってしまう。

やがて、小学生の次女・久子(榎並啓子)を良作の弟夫婦(鳥羽陽之助・一宮あつ子)に養女に出すことになるが・・・

と、大筋を書いていくと「病気」「貧しさ」「悲劇」の連続なのであるが、成瀬巳喜男の演出は淡々と、日々の暮らしの「楽しさ」「嬉しさ」も明るく描いて、微苦笑のドラマが展開されていく。

特に、年子のボーイフレンドで、商店街のパン屋の息子・平井信二郎(岡田英次)のキャラクターがユーモラスで、彼の存在が映画の明るさになっている。

子どもたちが楽しみにしている夏祭り。のど自慢大会で「花嫁人形」を年子が歌い、信二郎がイタリア民謡「オー・ソレ・ミヨ!」を歌う微笑ましさ。
新二郎が張り切って作る芸術的な「ピカソパン」を持って出かける「レクリエーション」の行先は、石神井公園。大森からは少し遠いが、香川京子さんと対談をしたときに、石神井公園ロケの話を伺った。ちなみに「ピカソパン」とは、3色パンのように、餡・クリーム・蜜・カレーなどが入っていて、何が出てくるかわからないという創作パン。

そして次女・久子が養女に行く前の日、「おかあさん」は、こどもたちを連れて、向ヶ丘遊園に遊びに行く。乗り物が弱い「おかあさん」が、園内のミニ列車や、児童遊具で遊ぶに連れて気分が悪くなっていく。息子や夫が病気で亡くなっているので、いつも「大丈夫なの?」と心配になってしまう。

子どもたちが大喜びの「ウォータースライダー」は、向ヶ丘遊園の名物だった。最後に船頭のおじさんがピョンと飛ぶのが、僕もこども心に楽しかったけど、昭和27年のおじさんも豪快にジャンプしている。

で、そんなに気分が悪いのに、食事は町中華で、全員、チャーハンを注文。子どもたちは「美味しい美味しい」と食べるけど「おかあさん」胸焼けで食べられない。他のものを頼めばいいのに、といつも思ってしまう(笑)

この映画のハイライトは、香川京子さんが花嫁衣装を着る場面。これは未見の方のお楽しみとしておきます。

ともあれ、香川京子さんが可愛く、田中絹代さんが頼もしいお母さんを演じていて、何度観て「いい映画だなぁ」としみじみ。ダメ男も悪人も出てこないし。チンドン屋は出てくるけど。

コメディリリーフとしては、クリーニング屋の客で帽子を「ラクダ色に染めてくれ」と横柄に指示する小倉繁さん。『銀座化粧』(1951年・成瀬巳喜男)の無銭飲食の男である。松竹蒲田時代、斎藤寅次郎や成瀬巳喜男映画の常連。この小倉繁さんがおかしい。


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。