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『陽のあたる坂道』(1958年・田坂具隆)


 石原裕次郎はデビュー以来、様々な監督とのコラボレーションで昭和30年代の日活映画のスタイルを作り上げた。井上梅次監督の『勝利者』(1957年)でのボクサー、『嵐を呼ぶ男』(1957年)のドラマー、蔵原惟繕監督の『俺は待ってるぜ』(1957年)の過去を持つ男。いずれも裕次郎の地の魅力でもある「不良性」を巧みに引き出して、スクリーンにおけるイメージを決定づけた。

 そしてもう一つの顔が、のびやかに育った戦後派青年のイメージ。戦後デビューの新人が多かった日活の監督のなかで、戦前から数々の名作を残してきた田坂具隆監督の『乳母車』(1956年)での裕次郎は、ヒロイン芦川いづみの父親の愛人・新珠三千代の弟、といういかにも石坂洋次郎らしい設定の役どころ。芦川と裕次郎が、芦川の父母と愛人との関係を和解させようとする姿は、ウエットな日本映画にはない、リベラルと言う言葉が相応しいものだった。

 それは『狂った果実』(1956年)で裕次郎が見せた反抗的で虚無な青年像とは、好対照をなすもので、原作者・石坂洋次郎は映画『乳母車』での裕次郎のイメージをもとに、読売新聞に新聞小説「陽のあたる坂道」を連載。石坂も認めているように、ジョン・スタインベックが1952年に発表した「エデンの東」と、ジェームス・ディーン主演による映画化『エデンの東』(1955年・エリア・カザン監督)をヒントにしている。

 兄弟の確執。美しいヒロインとの三角関係。主人公の出生の秘密。まさしく『エデンの東』を構成した要素だが、この『陽のあたる坂道』の成功をきっかけに、日活青春映画の一つのパターンとなる。赤木圭一郎の『錆びた鎖』(1960年・齋藤武市)の兄弟関係もこのパターンだ。

 田坂演出は端正かつ正攻法である。タイトルバック、東京・世田谷区にある田代家への坂道を登ってくる、ヒロイン倉本たか子(北原三枝)の清楚さと、当時の現代女性らしい活発さ。田代家の次男坊・信次(裕次郎)との出会いのシーンの、微笑ましさ。胸を触るという行為のセンセーション! 一人一人の言葉遣いが丁寧で、しかもはっきりとした自己主張をする。

 これは石坂文学の特徴だが、特に、幼くして足が不自由な、信次の妹・くみ子(芦川いづみ)の清純な美しさと、可憐な表情は魅力的。後半、自ら婦人科へ赴いて「赤ちゃんが出来るかどうか?」医者に詰問するシーンは、数ある芦川のフィルムキャリアの中でも、傑出した名場面だろう。

 くみ子が熱を上げているジャズ喫茶の花形歌手・ジミー小池=高木民夫(川地民夫)と、信次をめぐる運命の糸。自らの出生の秘密を知りながら、その運命を受け入れ、前向きに生きていこうとする主人公の姿は、石坂文学の真骨頂でもあり、日活映画の主人公に通底するポジティブさでもある。

 それは、母親・みどり(轟夕起子)や父親・玉吉(千田是也)たちも同様。それぞれの影の部分がありながらも「ホームスイートホーム」よろしくリベラルな家族関係を続けている。その問題が一気に噴出する後半、彼らは目の前の事態をポジティブに受け入れ、自らの人生を進もうとする。

 兄・雄吉(小高雄二)と信次の兄弟の確執と、後半の対立。そして民夫と信次の殴り合いもまた、彼らにとって重要なステップなのである。

 石坂文学特有のダイアローグの魅力に溢れる脚本は、田坂監督と後に作家・隆慶一郎となる池田一朗の共作。三時間半近いの長尺を飽きさせず、微笑ましいエピソードと、痛烈な風刺を織り交ぜたシナリオ構成も見事。しかし、完璧主義でスローペースの田坂監督による撮影スケジュールは、大幅に遅れ、前年秋の『乳母車』同様、昭和32(1957)年秋公開の予定が、昭和33(1958)年正月へとずれ込み、さらに完成に時間を要することとなった。

 そのため『嵐を呼ぶ男』を完成させたばかりの井上梅次監督が、その穴埋めに急遽、裕次郎主演のミステリー『夜の牙』(1月15日公開)を撮り、舛田利雄監督が『錆びたナイフ』(3月11日)を本作と同時進行で撮影するなど、様々な伝説を生み出した作品でもある。

 当時のプレスシートに「新しい世代に生きる石原裕次郎を暖かい眼で見る巨匠田坂具隆畢生の名作!」とある。田坂監督は、裕次郎の持つ生来の坊ちゃん気質を愛し、そのまま自然な演技を引き出して裕次郎の新境地を開拓したことは、その後の裕次郎映画にも大きな影響を与えている。

 なお、本作で映画デビューを果たした川地民夫は、裕次郎に弟のように可愛がられていた遊び仲間で、しばしば日活撮影所を訪れていた。そのフレッシュさに目をつけたプロデューサーから、本作への出演要請があったという。川地によれば「一本のつもり」で出演したが、次々と作品に出演させられ、そのまま俳優になってしまったという。

 挿入歌「SEVEN O’CLOCK」は、劇中では川地民夫が歌っているが、裕次郎はレコードに吹き込んでいる。

 昭和42(1967)年には、渡哲也主演で西川克己監督によるリメイクが作られた。ちなみにその時の配役。田代信次(渡哲也)、倉本たか子(十朱幸代)、高木民夫(山本圭)、田代雄吉(早川保)、田代くみ子(恵とも子)、高木とみ(桜むつ子)である。

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