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『東海二十八人衆(東海水滸傳 改題)』(1945年7月12日・大映・伊藤大輔、稲垣浩)

 阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門。戦前から戦後にかけて日本の時代劇スター、剣戟スターのビッグ3が顔を揃えた豪華な「清水次郎長映画」。『東海水滸傳』は、海軍航空本部の委嘱を受けて製作され、敗戦間際の昭和20(1945)年7月12日に公開された。戦後、GHQによる「チャンバラ禁止令」を受けて、フィルムはその後上映されることはなかったが、サンフランシスコ講和条約施行後の昭和27(1952)年に『東海二十八人衆』と改題されて再上映された。KADOKAWAからリリースされているDVDをスクリーン投影。

 ビッグ3が演じているのは、清水次郎長=阪東妻三郎、森の石松=片岡千恵蔵、小松村の七五郎(市川右太衛門)。広沢虎造の浪曲でもお馴染みの次郎長一家のはみ出しもの森の石松の金毘羅代参から、その帰途、次郎長に禁じられていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる騒動。悪辣な都鳥吉兵衛(遠山満)と金太郎(寺島貢)兄弟の策謀で、石松は絶体絶命のピンチに陥ってしまう。誰よりも石松を案じている兄貴分の小松村の七五郎(右太衛門)も活躍も虚しく…。

 次郎長映画の傑作、マキノ正博『次郎長三国志 第八部海道一の暴れん坊』(1953年・東宝)でも描かれる「森の石松の最期」を、たっぷりの名場面と共に、伊藤大輔・稲垣浩、両監督が描いていく。戦時下の時局迎合映画というより、娯楽に飢えていた人々のためにサービスタップリの「ご存知」の連続は、まさに「映画で楽しむ浪曲」の世界。

 千恵蔵御大の森の石松といえば、マキノ正博『續清水港』(1940年・日活)を思い出すが、その延長として観るのも楽しい。同作の子役・芳太郎役でスクリーンデビューをした澤村アキヲ(長門裕之)は、その後、稲垣浩監督『無法松の一生』(1943年・大映)で阪妻と共演。本作では、石松の少年時代を演じている。

 この石松の少年時代の回想シーンがなかなかいい。都鳥吉兵衛に、酒の上で次郎長に届ける百両を貸してしまった石松。その借金返済をじっと待って宿で過ごしている。その宿には、遠州森出身で、石松の幼馴染のおりき(藍染夢子)が働いていた。幼き日、石松は彼女のために木から落ちて右目を失明、しかし、その時も一切恨言は言わずに、石松少年は泣きじゃくるおりきを励ました。だからこそ、この二人には結ばれて欲しい。と観客は思うわけで。その石松の少年時代を、澤村アキヲくんが見事に演じている。

 千恵蔵御大の石松は、おっちょこちょいのお人好しをコミカルに演じている。こうした要素がのちの『アマゾン無宿・世紀の大魔王』(1961年・東映・小沢茂弘)のようなコミカルなキャラクターに発展していったのだろう。とにかくチャーミングである。

 一方、他の次郎長映画では、尾羽うち枯らした「たそがれ侠客」のイメージが強い、石松の兄貴分・小松村の七五郎(右太衛門)だが、流石に右太衛門丈が演じると風格がある。次郎長のような立派な親分になるであろう売出し中の若親分を堂々と演じている。阪妻の次郎長は、冒頭の石松の旅立ちシーンで貫禄を見せた後、石松の死後まで1時間近く出てこない。客演扱いかと思っていると、後半、俄然、かっこいい見せ場となる。このバランス感覚!

 無念の死を遂げた石松の代わりに七五郎が清水へ、石松が金毘羅で受けたお札を届ける。そこで都鳥一家への敵討ちをして欲しいと、次郎長を説得する。しかし酒断ち、喧嘩断ちをして「金毘羅参り」したのに、その禁を破った石松が悪い。神様に申し訳が立たないと、一度は敵討ちを断る。しかし、大政(香川良介)、小政(原聖四郎)、増川仙右衛門(島田照夫)、法印大五郎(光岡龍三郎)たちが黙っていられない。しかし次郎長にも考えがあって「都鳥一家を成敗するのは常道」と立ち上がる。

 そこで「わっしょい!わっしょい!」と次郎長一家の精鋭メンバーと七五郎が、都鳥吉兵衛のもとへ。そこからの壮絶なチャンバラ・アクションは、見ていてスカッとする。とにかく阪妻の男ぶりが最高!右太衛門丈の立ち回りもカッコいい!

 女優陣も豪華、おりきの花柳小菊、七兵衛の女房・お民には市川春代、石松が泊まる宿・ふじや仲居・おたかに深水藤子。皆さん美しく、それぞれの役回りをきちんと演じている。そうそう、前半の「三十石船」の「寿司食いねえ」のシーンには、江戸っ子役で藤原鶏太(釜足)が出てきて、千恵蔵とのコミカルな応酬で笑わせてくれる。

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