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ダメ男を支えたシッカリ者の“駅前”女将 淡島千景の魅力


 淡島千景さんが、2012年2月16日、87歳で亡くなった。最後まで現役だった日本映画が誇る大女優だった。松竹大船、東京映画で数多くの文芸、喜劇に出演された淡島さんと初めてお目にかかったのは、1995年、東宝関係者のパーティの席だった。淡島さんは会うたびに「駅前シリーズ」のことや、森繁さんの話を楽しそうに話してくださった。大女優にお景ちゃんとは失礼かもしれないが、淡島さんはいつも“駅前のお景ちゃん”の雰囲気をたたえておられた。

 プログラムピクチャーの“いつもの味”、すなわち安定感をもたらしてくれるのは、“おなじみの役者”の存在。東宝傍系の東京映画で1958(昭和33)年の『喜劇 駅前旅館』から24作続いた「駅前シリーズ」は、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺のトリオによる風俗喜劇だが、ここに登場する男たちは、色と欲に素直なダメ男ばかり。

 その筆頭ダメ男の森繁を支える“しっかり者の女将さん”を演じたのが淡島千景だった。その役名はいつも“お景ちゃん”。

 森繁と淡島のコンビ作に通底するのが、この“ダメ男としっかり者の女性”の関係。織田作之助原作『夫婦善哉』(55年)は、森繁の演技力が高い評価を受け、後のイメージを決定づけたが、森繁が演じた柳吉は、風に吹かれる柳のようなダメな男。それを支えるのが淡島の蝶子。何度裏切られても、結局は柳吉を見放すことなく、そのワガママを受け入れる。『夫婦善哉』の森繁が魅力的なのは、柳吉を支える蝶子の存在あればこそ。「おばはん、頼りにしてまっせ」。森繁がラストに放つ言葉は「駅前シリーズ」へと受け継がれる。ダメ男は、かしこい女性の存在によって、映画的にはダメ男ではなくなるのだ。

 淡島は、松竹蒲田撮影所近くで生まれ、子供の頃、かの栗島すみ子と同じ師匠のもとで踊りを習い、島津保次郎監督の娘と幼なじみだった。幼い頃から芸事を習い、1939(昭和14)年に宝塚音楽学校に入学、太平洋戦争がはじまる1941(昭和16)年に初舞台を踏む。宝塚の月組でコンビを組んだ男役の久慈あさみは、後に「社長シリーズ」で森繁社長の夫人を演じることになる。“駅前女将”と“社長夫人”がコンビだったとは! 

 戦後、宝塚やSKDのスターたちが、次々と映画界に進出するなか、1950(昭和25)年に松竹大船に入社。渋谷実のモダン喜劇『てんやわんや』(50年)に主演、戦後派アプレゲールとして一世を風靡することとなる。『てんやわんや』で淡島の登場カットは、セパレートの水着姿。そのキャラクターは、ハリウッドのスクリューボール・コメディもかくやの“新しい女性”だった。小津安二郎の『麦秋』(52年)でも原節子の親友のモダンガール。昭和20年代の淡島は“戦後の新しい女性”を演じ続けた。

 そんな淡島の初の他社出演が『夫婦善哉』だった。続く森繁との『世にも面白い男の一生 桂春団治』(56年・宝塚)でも、ダメ男に振り回される愛人を好演。さらに加東大介主演の『大番』(57年・東宝)で、猪突猛進の主人公ギューちゃんを支える“おまき”さんを演じ、これが大ヒット。この3本の東宝作品で、淡島は主人公を優しく包み込む“母性”を持った相手役が多くなる。

 それを繰り返し演じたのが「駅前シリーズ」ということになる。『喜劇 駅前旅館』から『喜劇 駅前桟橋』(1969年)まで24作作られた「駅前シリーズ」のなかで、淡島が出演していない三本のうち、赤塚不二夫の「おそ松くん」と藤子不二雄の「オバケのQ太郎」をフィーチャーした異色作『喜劇 駅前漫画』(66年)だけは、「マンガと一緒にはイヤ」と自らの意思で断った。その理由は「オバQと一緒じゃ、どんな芝居していいのかわからない」から、という淡島の弟・中川雄策は、渡米しハナ&バーベラプロでアニメーター、スティーブ・ナカガワとして活躍した。

 彼女のフィルモグラフィーをみると、戦後の風俗喜劇の流れのなかで、本人は流されずに、しっかりとプログラムピクチャーの安定感を支えていたことがわかる。

観ておくべき3作品

『駅前旅館』1958年東京映画 豊田四郎
 井伏鱒二の風俗小説を『夫婦善哉』の豊田四郎が映画化。舞台は東京上野、近代化のなかシステムに呑み込まれていく老舗旅館の番頭・森繁と、その周辺の人々の哀歓を描いている。『夫婦善哉』が大阪映画とするなら、こちらは文字通りの東京映画。淡島は東上野の飲み屋の女将で、森繁とは深い仲にあり、言わずもがなのすべて得心、の大人の男と女の関係。フランキーのモダン、伴淳のローカリズム、そして森繁のオールドスタイルは、後のシリーズに受け継がれる。ある日、紡績工場の慰安旅行の一行がやってきて、その引率をしている淡路恵子が、実は森繁とワケありだった女と判り、淡島女将の心が揺れる。歯切れの良いセリフに、微苦笑のエピソード。古き良き時代が終りを告げる哀歓、芸達者たちの共演が楽しい、芳醇の風俗喜劇の佳作となった。後の良い意味でのデタラメさが横溢したシリーズの狂騒曲からは、想像つかないほどしっとりとした味わいの文芸作。

『大番』1958年東宝 千葉泰樹
 獅子文六が1956(昭和31)年から1958(昭和33)年にかけて、週刊朝日に連載した大衆小説を、連載中に千葉泰樹監督による映画化が始まり、全四作(1957〜58年)が作られた。愛媛から立身出世をめざして上京してきたギューちゃん(加東大介)が、株屋の小僧から名うての相場師となり、時代に翻弄されつつマネーゲームを重ねて、自分の時代を築く姿を描いている。高度成長期らしいサクセスストーリーだが、淡島が演じたのは、そのギューちゃんを支えるおまき。商売の成功を祈願しに、おまきがギューちゃんを連れていくのが、葛飾柴又の帝釈天。その参詣のときに、立ち寄るのが老舗の川魚料理屋「川千家」。「男はつらいよ」より十三年前に、柴又へロケーションしている映像も楽しめる。上昇志向、猪突猛進のギューちゃんの破天荒な生き様を支えるおまきさんは、恋人や愛人というより、母親のような母性の持ち主。当時、経済界やファンのオヤジたちが「理想の女性」としたのもうなずけるが、当の淡島は「男って勝手よね」と筆者に笑って話してくれた。

『花のれん』 1959(昭和34)年 宝塚映画 豊田四郎
 山崎豊子が1958(昭和33)年に中央公論に連載した「花のれん」は第39回直木賞受賞作。今年創立100周年を迎える吉本興業を創業した吉本せいをモデルに、大阪の興業界の生長を描いている。舞台では三益愛子が演じたヒロインを、映画では淡島千景が演じている。大阪船場の呉服店を倒産させてしまった淡島と森繁の夫婦が、天満天神近くの寄席を買い取って大成功をおさめるが、夫の浮気の虫が騒ぎだし、愛人の家で夫が急死。そこから女の一代記がはじまる。監督が『夫婦善哉』の豊田四郎だけに、森繁がダメ男として登場。法善寺横丁の「夫婦善哉」も登場する。ダメ男を支える女を演じてきた淡島が、ダメ男から解放されて成功を手にする女性を演じているのが面白い。この映画がイイのは、戦前の上方の寄席や芸人たちのエピソードがふんだんにあること。主人公の名前は河島多加となっているが、桂春団治や横山エンタツ、花菱アチャコといった芸人たちをめぐる伝説が次々と登場、サクセスストーリーのなか、華やかな大阪笑芸の歴史も垣間みることができる。

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佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所
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