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『クレージーのぶちゃむくれ大発見』(1969年1月1日・東宝・古澤憲吾)

深夜の娯楽映画研究所シアターは、東宝クレージー映画全30作(プラスα)連続視聴。

23『クレージーのぶちゃむくれ大発見』(1969年1月1日・東宝・古澤憲吾)

昭和44(1969)年1月1日。加山雄三さんの若大将が京南大学を卒業し、日東自動車のサラリーマンとなった『フレッシュマン若大将』(福田純)との二本立て正月映画として公開。古澤憲吾監督としては『日本一の男の中の男』(1967年12月31日)以来、一年ぶりのクレージー映画となる。前年のゴールデンウィーク超大作『クレージーメキシコ大作戦』(1968年4月27日・坪島孝)の興行成績が、当初の予定よりも思わしくなかったため、クレージー映画もさまざまに変節してきた。

クレージー7人が全員揃った「クレージー作戦」シリーズではあるが、前作『〜メキシコ大作戦』から、予算も規模もスケールダウン。それゆえに脚本の田波靖男さんによれば「アイデア勝負」でもあった。「世はコンピューター時代」ということで、今回のテーマは人工知能と管理社会。ヒロインは、前年に加山雄三さんの『兄貴の恋人』(森谷司郎)で本格デビューを果たした機体の新人・中山麻里さん。しかも彼女の役は銀座の高級クラブのホステスが瀕死の状態となり、谷啓さん発明の人工知能を移植してアンドロイドとして再生する。そのアンドロイドをタレントに仕立て上げる植木等さんたち。といったSF仕立てになっている。

劇場版パンフレット

改めて見直して、クレイジーのメンバー全員が、それぞれ重要なパートを演じていて「作戦シリーズ」としては、『クレージー黄金作戦』(1967年)『メキシコ大作戦』よりも、全員の役回りが機能していることに感心した。ロケーションも都内と伊豆、クライマックスは熱海後楽園ホテルなので、スケールはかなり小さいけど、それゆえ、クレイジーキャッツのメンバーのキャラクターに頼っている。しかも、どんなシチュエーションでも、勢いだけが健在の古澤憲吾演出なので、それなりに楽しめる。予算削減によりキャストの数も減少している分、クレイジーのメンバーの役割が大きくなっているのだろう。

全体的に映像のトーンが暗いので、ショボい印象なのだけど、その分、植木さんの衣裳のハデさや、谷啓さんのカットインや、ハナ肇さんの大声とオーバーアクションで、そのマイナスが補填されているような(贔屓の引き倒しですが・笑)。具体的には東宝のセットもこれまでよりも小さく作ってあって、植木さんの「俺は売り出し中」(作詞:山口あかり 作曲:山本直純)の歌唱シーンは狭苦しく感じるけど、その分(こればかり・笑)スクールメイツの女の子がぎっしり。「ゴマすり行進曲」の開放感とは対極にあるけど、古澤演出はそれでもパワフルに頑張っている。

それにラスト「大銀座まつり」でのクレイジーキャッツが山車に乗って、ミリタリールックで、幻の新曲となった「笑って笑って幸せに」(作詞:山口あかり 作曲:平尾昌晃 編曲:萩原哲晶)を唄うシーンは素晴らしい。この年は「明治100年」。鳴り物入りで大銀座まつりが開催された。銀座通りを、各企業のスポーンサードによる山車(といってもトレーラー)の上にダンサーやタレント、踊り手たちがパフォーマンスをしながらパレードをする。ディズニーランドの「エレクトリカル・パレード」を観るまでは、ぼくにとっては夢のような体験だった。

この時の「大銀座まつり」も、京橋の会社に勤めていた父親に連れられて、家族四人で観に行った。松屋銀座デパートの前で、次々とやってくる山車を目を輝かせて見つめた。クレイジーキャッツの山車も覚えている。今思えば「笑って笑って幸せに」の撮影現場だったのだ。まだ5歳だったので、ただクレイジーだ!と喜んだ記憶しかない。

銀座ロケということでは、前半、植木等さんとハナ肇さんが、打ち合わせするシーン。銀座四丁目に、昭和38(1963)年に竣工した「三愛ドリームセンター」の階上のティールーム。服部時計店、銀座三越と共に、銀座四丁目のランドマークである。『クレージー大作戦』(1967年)の冒頭、植木さんが「たるんどる節」を唄うシーンで晴海通りを右に曲がって立ち止まるのがこの「三愛ドリームセンター」の前だった。このビルの前身「三愛ビル」は昭和21(1946)年に建てられた二階建てのビル。「てまり毛糸」の看板でお馴染みだった。『ゴジラ』(1954年・本多猪四郎)のスチールにある「てまり毛糸」の看板のある建物が「三愛ビル」である。

立看ポスター

東西電気・営業部の花川戸大五郎(ハナ肇)は、女房・若子(春川ますみ)が、カラーテレビに飽き足らず、勝手に電気洗い機を月賦で買ったことに腹を立てて大喧嘩。若子は「着物を売って、自分で払う」と家出してしまう。そこへやってきたのが月賦集金人(加藤茶)。ここでのハナさんとカトちゃんのやりとりがおかしい。当時のテレビのコントのような雰囲気である。カトちゃん大人気ぶりがよくわかる。腹を立てたカトちゃん、団地の部屋のブザーをテープで押さえつけて、ブザーを鳴りっぱなしする嫌がらせをする。小学生か!

で、若子が着物を抱えたまま質屋の前で逡巡していると、中から札束を手に「ああ、質屋の息子に生まれば良かったなぁ」と豪快な笑いと共に現れるのが派手なストライプの背広を着た男・植村浩(植木等)が登場。ロケーションは渋谷区桜ヶ丘。植木さんの後ろの坂道を上がっていくと、現在の渡辺プロダクションの入っているビルがある。ちなみに一筋となりの道には『大冒険』(1965年)『日本一の男の中の男』で植木さんが住んでいたアパート「日本館」がある。古澤憲吾監督のお気に入りのスポットなのだろう。

で、植村浩の仕事は、銀座のバー(といってもナイトクラブ)「アンブレラ」のマネージャー。女の子をスカウトしたり、未集金を取り立てたり、時にはボディガードの役割もする。梶山季之さんの小説「女の警察」主人公・篝正秋にインスパイアされ「トレンド職業」として植木さんに「女の警察」をやらせたと、田波靖男さんから伺ったことがある。

日活で『女の警察』(1969年・江崎実生)が映画化され、公開されるのが1ヶ月後の2月8日だから、やはりこの職業がトレンドだったのだ。しかも小林旭さんが演じる前に、植木さんの方が早い(タイプは全く違うが)のである!

バー「アンブレラ」に、花川戸大五郎の女房・若子を入店させて、常連客の花川戸と鉢合わせ!というのは『ニッポン無責任野郎』(1962年・古澤憲吾)のバリエーションでもある。で、「アンブレラ」の売り上げナンバーワンホステス、天野好子(中山麻里)は美人だが、相当性悪な女で、植村を手を焼くほどの悪女。その未集金が溜まりに溜まって、植村は東西電気に取り立てに行くも「コンピューターの指示」で支払われてないことを知る。

そこで、植村は「コンピューターに直談判する」とコンピュータールームへ。そこで開発者であり天才学者・谷井明(谷啓)、プログラマーで夜は易者のバイトをしている安西(安田伸)と交渉。未集金を天野好子の口座に入金させることに成功。ところがプログラムミスで、東西電気の全ての利益の全てが、好子の口座に入金されてしまって大変なことになる。

で、花川戸と植村は、コンピューター至上主義の捜査に嫌気がさして警察をやめた犬丸刑事(犬塚弘)と元泥棒の八重樫(桜井センリ)が始めた「サンセット秘密探偵社」に行方不明の好子の捜索を依頼。谷井も易者の安西の八卦で好子の行方を探す。

ようやく居場所が判明した好子は、バスルームで何者かに殺されていた。大事にならずに銀行の金を引き出したい3人は追い詰められる。そこで植村のアイデアで、好子に人工知能を移植して蘇生させようと発案。好子に惚れていた脳外科の権威、石渡医師(石橋エータロー)の病院に担ぎ込んで、手術は無事成功。好子はアンドロイドとして無事蘇生したが、全ての記憶を失っていた。そこで、植村たちは彼女に英才教育をして、人気タレントに仕立て上げる。まさにバーナード・ショーの「ピグマリオン」である。

しかし、天野好子を殺害した一味は、アンドロイドとは知らずに好子の命を狙い始めて…

田波靖男さんによるプロットは、クレージー映画としても、娯楽映画としてもなかなか良くできている。もう少し予算があれば、クライマックスの熱海後楽園ホテルのシークエンスを海外ロケしてスケールアップができたのにと、田波さんが苦笑していたことを思い出す。

その「熱海後楽園ホテル」の遊園地で、悪漢に追いかけられた犬丸(犬塚弘)が、命綱も付けずに観覧車の梯子を登って、ホイールの鉄骨伝いに移動するシーンがある。スタントマン(といっても鳶職)を用意して、安全用の命綱をつけてテストをしたが、古澤監督「足が3本ある!」と怒り出した。つまり3本目の足、命綱が邪魔、というのである。人命にも関わることなので、犬塚さんが「ならばボクがやります」とその場で言い出して、リハーサルなしの一発撮りで撮影。しかもヘリコプターからのショットなのでタイミングは一度きり。「あんなに怖い思いをしたことない」と犬塚さんが語ってくれた。

というわけで、低予算でも「勢いでなんとかなる」古澤憲吾作品。この年のゴールデンウィークには『クレージーの大爆発』(4月27日)も手がけることになる。ラスベガス→メキシコでロケーションをした大作映画が続いたが、そんな予算はない。「ならば宇宙へ行こう!」と企画されたのが、これまたSF冒険活劇『クレージーの大爆発』だった。


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