見出し画像

『風と女と旅鴉』(1958年4月15日・東映京都)

 昨夜の娯楽映画研究所シアター第二部は、加藤泰監督&中村錦之助の股旅もの『風と女と旅鴉』(1958年4月15日・東映京都)を、本当に久しぶりに観た。リチャード・ウィドマークの『街の野獣』(1950年・英)に続いて、若きアウトローのトッポさを時代劇で観るならと、溌剌とした錦ちゃんの無鉄砲ぶりに会いたくなってハードディスクから再生。

 原作はなく、脚本の成澤昌茂のオリジナル。錦之助の兄貴分にあたる渡世人に、三國連太郎。タイトルの「女」は、長谷川裕見子さんと丘さとみさん。故郷を追われた、威勢の良い旅鴉・風間の銀次(中村錦之助)が久方ぶりに、亡母の墓参りのために故郷の村(映画では町と言っているがどうみても村)に帰る途上、一匹狼の刈田の仙太郎(三國連太郎)と出会う。

 そこへ代官への年貢の千両箱を運ぶ、岡っ引きの健太(殿山泰司)たち、銀次の故郷の連中が通りかかり、二人に恐れをなして、大事な千両箱を置いて逃げ出す。この辺りの展開「むかし話」みたいな長閑さがある。

 で、銀次はその千両箱を持ち逃げしようとするが、仙太郎は「ちゃんと届けよう」と宿場にやってくる。しかし二人を強盗と思い込んだ宿場の連中。源造(上田吉二郎)の鉄砲に撃たれて、銀次は瀕死の重傷となる。

 なぜ故郷の連中は、銀次に冷たいのか? 銀次の父親が罪人で人々に憎まれていて、それゆえ反抗的な銀次は故郷を追われていたことが次第にわかってくる。理不尽な差別、中傷に傷ついて、やくざとなった銀次は、まさにジェームス・ディーン。「大人は判ってくれない」「俺が何をしたというのか!」の怒り。まさに『エデンの東』『理由なき反抗』(1955年)のジェームス・ディーンの「怒れる若者・股旅篇」である。

 なので、ここではそのナイーブな錦之助の傷つき、苦悩する姿を味わうのがいちばん。時代劇ヒーローとしてはスッキリしないかもしれないが、ちょうど石原裕次郎さんの『陽のあたる坂道』(日活・田坂具隆)が、同日公開であると考えれば「1958年の若者像」を描こうとしたと納得できる。

 そんな銀次を暖かく見守る仙太郎(三國連太郎)は、銀次を亡くなった息子と重ね合わせて、何かにつけて面倒をみる。「怒れる若者」の最大の理解者である。その仙太郎も、かつては無頼で、島流しの憂き目にあったことも。

 銀次をめぐる二人の「女」も対照的。負傷した銀次を看病するおちか(長谷川裕見子)も一度は宿場を捨て遊芸人になっていた過去がある。若くてはつらつとしている女中・おゆき(丘さとみ)にも悲しい過去がある。それゆえ銀次は、それぞれに惹かれていくが、人を愛することも知らない男なので、二人を傷つけてしまう。このあたりもジェームス・ディーンの世界。

 寓話的な設定と展開なので、のちの股旅映画の傑作、長谷川伸原作『沓掛時次郎 遊侠一匹』(1967年・東映京都・加藤泰)のようなスッキリした渡世人の世界をイメージすると、拍子抜けするかもしれない。

 後半、祭りの夜に、極悪な貸元・鬼鮫の半蔵(進藤英太郎)たち「鬼鮫一家」が現れて、宿場をおさめている銭屋庄兵衛門(薄田研二)の蔵の金をごっそり奪ってしまう。銭屋に頼まれて仙太郎は、宿場の用心棒になっていた。銀次もその助手をつとめていたが、かつては鬼鮫一家の身内だった。なので鬼鮫の配下・片目の寅吉(河野秋武)を五両の金で逃がしてしまい、そのことを半蔵にバラされてしまう。「やっぱり銀次は悪党の息子だ!」冷たい人々の目線。さらに仙太郎も、半蔵と島流し仲間だったことがわかる。

 さあ、どうする? どうなる? のクライマックスは、東映時代劇ならではの面白さかと思いきや、仙太郎はすぐに銃撃されて身動きできない。冒頭では錦之助、クライマックスで三國連太郎が銃撃されてしまう。ヒーローは弾に撃たれないの鉄則を、見事に覆している。

あえてカタルシスとヒロイズムを外しているので、娯楽映画としてスッキリはしないが、それが狙いでもあり、とはいえ変則ながらの見どころたっぷり、若き錦之助の魅力を堪能できる時代劇。


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。