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星降る夜の寅次郎〜『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(1976年12月25日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年8月5日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十八作『男はつらいよ純情詩集』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

「寅さん、また、きっと来てくださいね。娘がいない時の私はほんとうに一人きりで寂しいんですもの。分かっています。親娘に送られて表に出る。降るような星空だよ。」

 この「降るような星空だよ」という言葉で、ぼくらは寅さんのアリアを聞きながら、頭の中のスクリーンに映像が拡がります。京マチ子さんが薄幸のマドンナ・柳生綾を演じた第十八作『寅次郎純情詩集』は、「愛と死」をテーマに、人が生きていくこと、人が人を想うことの尊さを描いた感動篇です。ヒロインが亡くなるのは、作り手としては「禁じ手」かも知れません。しかし、文学や映画の世界では「難病もの」「愛妻もの」といったジャンルが古くからあります。

 劇中、長野県の別所温泉で坂東鶴八郎一座が上演している、徳富蘆花の「不如帰」は、日本のメロドラマのルーツ的な物語です。浪子は、夫の海軍少佐・川島武男が日露戦争で出征している間に、結核を理由に離婚を強いられてしまいます。継母や姑の冷たい仕打ちを受け、それでも夫を慕うヒロインのいじらしさをタップリと描いたところで、病魔で亡くなってしまう浪子。

「ああ、人間はなぜ死ぬのでしょう? 生きたいわ、千年も万年も生きたいわ」の台詞は、芝居などを通して、明治時代から広く知られ、数々のパロディの対象にもなっています。

 たとえばエノケンこと榎本健一さんと二村定一さんのヒット曲「ラブ草紙(ぞうし)」(一九三一年)にも「啼いて血を吐く思いの不如帰」というフレーズがあります。

 こうした定番の悲劇を「男はつらいよ」の世界でどう描くか? シリーズ十八作目を迎えて、山田洋次監督はあえて「大悲恋」に挑戦しました。おそらく、マドンナに戦後日本映画を代表する大女優・京マチ子さんを迎えたことで、この物語を着想したに違いありません。

 実家の柳生家が戦後没落し、戦争成金との政略結婚を余儀なくされた綾が、一人娘・雅子(壇ふみ)を産んでほどなく、病気を理由に離縁され、それから病と戦いながら二十数年の歳月が流れます。三年ぶりに病院を退院して、これから余生を過ごして行こうと想った矢先に、ある男性と運命的な出会いをします。しかしその退院は快癒ではなかったのです…。
 
 まさしく往年のメロドラマのような筋書きです。ただ、運命的な出会いをするのが「寅さんだったら?」ということで、これが「男はつらいよ」の世界になってしまうわけです。

 こうした本歌取りは、冒頭の「夢」ではしばしば行われています。しかし本編で描くということは、やはり冒険だったと思います。苦労を重ねてきたヒロインが、その人生の最後に、寅さんと出会い、ふれあうことで、幸福な気持ちで、生きている喜びを味わうのです。武者小路実篤の「愛と死」を映画化した石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんの『世界を賭ける恋』(1959年)や、吉永小百合さんと浜田光夫さんの『愛と死をみつめて』(1964年)という作品がありますが、この『寅次郎純情詩集』もまた、そうした「愛と死」を描いているのです。

 しかもパロディではなく真正面から向き合っています。そのために綾という女性を、単なる悲劇的なヒロインではなく、チャーミングに描いています。綾の「世間知らずなお嬢さんぶり」や、かつてタコ社長が恋いこがれた女性の魅力を、京マチ子さんは、出て来るだけで表現します。さらに、その肉体が放つ「妖艶さ」さえも感じさせてくれるのです。

 これは、ぼくの憶測ですが、山田監督は綾を描くにあたって、京マチ子さんのなかにある「魔性の魅力」、はたまた「幽冥」のムードをうまく引き出しています。名匠・溝口健二監督に『雨月物語』(一九五三年)という名作があります。江戸時代、上田秋成によって書かれた読本を映画化したもので、ここで京マチ子さんは「蛇性の淫」をモチーフにしたエピソードで、魔性の女・若狭を演じています。

 森雅之さんの主人公が、上臈風の美女・若狭に誘われるまま、彼女の住む朽木屋敷を訪ね、饗応を受け、彼女に耽溺していくと、実は彼女はこの世の人ではなかった…。という展開です。織田信長に滅ぼされた朽木一族の悲劇と相まって、切ない物語でした。この映画の京マチ子さんは、黒澤明監督の『羅生門』(一九五一年)のようなセクシーな肉体派ではなく、この世のものとは思えない儚い美しさを湛えていました。あの世とこの世を往来し「幽冥」を彷徨う美女です。

 『寅次郎純情詩集』『雨月物語』を感じたのは、綾が病院を退院して、久し振りに柳生家に帰ってくるシーンです。主がおらず、荒れ放題の庭、朽ち果かけているかのようなセットは、まるで『雨月物語』の朽木屋敷のようです。京マチ子さんは「幽冥」から現世にあらわれた美女という雰囲気すらあります。裏読みかもしれませんが、映画を観る楽しみは、こうした想像をすることにもあります。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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