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瀬戸内の波光『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(1993年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年3月16日、BSテレビ東京「土曜は寅さん4Kでらっくす」にて第46作「男はつらいよ 寅次郎の縁談」放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、一部抜粋してご紹介します。

 満男(吉岡秀隆)も大学四年生、就職活動に明け暮れています。しかし思うような結果が出ずに、博(前田吟)と大げんか、何もかも嫌気が差して家出をしてしまいます。「満男シリーズ」もこれで五作目となり、いつまでも変わらない登場人物のなかで、その成長を観客が見守ってきた満男の学生時代も終りを告げようとしています。とはいえ、さくらと博にとって、満男は幾つになっても可愛い息子。第四十六作『男はつらいよ 寅次郎の縁談』の冒頭の、満男の就職をめぐる親子喧嘩のエピソードを見ていると、その「息子可愛さ」のあまりに、さくらも博も、いささか過保護に見てしまいます。

 ですが、このあたりの描写は、実にリアルというか、バブルが弾けて、世の中に不景気の風が吹いていた一九九〇年代初頭のニッポンの家族の断面を垣間みるようです。

 家を飛び出た満男が東京駅から飛び乗ったのは、二十一時発のブルートレイン瀬戸号・高松行きです。今は「サンライズ瀬戸」として人気の寝台特急です。柴又で、皆賀満男の家出を心配している頃、寅さんが江戸川堤を歩いて、帰ってきます。見慣れたシーンですが、山本直純さんの音楽も、土手で寝転んでいる源ちゃんの姿も、この頃になると「懐かしい、特別なもの」という感じで、映画館の観客の体温がグッと上がるという、そんな感じがしました。

 満男を心配するさくら、おばちゃんに、寅さんは「いいか、この俺はな、自慢じゃねえけれども、十六の歳に、この家をプイっと家出して、それから二十年間帰ってこなかったんだぞ。たかが一週間、目の色変えてガタガタ騒ぐんじゃないよ。ガキじゃねえんだぞ、あいつは大人なんだ。」ごもっともです。

 しかし、ここでおばちゃんが「お前の帰って来ない二十年間、あんたのおっ母さんや私たちがどんなに心配したことか、そんなこと考えてみたこともないだろ、この親不孝ものめ」と切り返します。

 さて、その満男がどこにいるのか? 郵便で届いた「ママカリ」で判明します。香川県琴島、映画のための架空の島(撮影は香川県の高見島、志々島)ですが、瀬戸内海の小島で暮らしていることがわかり、寅さんが、満男を連れ戻すために島に向かうこととなります。

 瀬戸内海の小島。山田洋次監督の映画にはこれまでもしばしば登場してきました。『馬鹿まるだし』(一九六四年)で安五郎(ハナ肇)が久し振りに戻ってくる故郷は瀬戸内海の平和な田舎町でした。姉妹編の『いいかげん馬鹿』(一九六四年)の主人公・安吉(ハナ肇)が育ったのも瀬戸内海の小島ですし、フランスの劇作家・マルセル・パニョルの「ファニー」を翻案した倍賞千恵子さん主演の傑作『愛の讃歌』(一九六七年)も瀬戸内海の日永島でした。山田洋次監督は敗戦で、大連から引き揚げて来た時に、瀬戸内海に浮かぶ島々の風景を眺めて、日本に帰ってきたことを実感したそうです。いわば山田監督にとっての日本の原風景が、この波光きらめく瀬戸内海でした。

「男はつらいよ」シリーズがヒットするなか、昭和四十七(一九七二)年、山田洋次監督は『故郷』という作品を発表します。瀬戸内海の小島・倉橋島で、小さな砂利運搬船で石を運搬して生計を立てている夫婦(井川比佐志、倍賞千恵子)が、開発と工業化の波に呑み込まれて、島での暮らしを諦めて、工場勤めをするために尾道に出るまでを描いた作品です。自然とともに暮らしていた人々が、生きて行くために、美しい故郷を捨てざるおえない現実を、ドキュメンタリータッチで描いています。

 その後、瀬戸内海に暮らす人々の利便と、経済発展のために、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋をはじめとする、架橋工事が行われ、それは自然破壊であるのですが、その工事で生計を立てている人の姿も『男はつらいよ』シリーズで描かれていました。

 第三十二作『口笛を吹く寅次郎』のラスト、尾道市の因島大橋の工事現場の近くで、寅さんは、かつて吉備路で出会ったレオナルド熊さん扮する労務者と幼子と再会します。母を失った女の子を不憫に思っていた寅さんは、労務者が因島大橋工事の飯場の女性(あき竹城)が、女の子の新しい母親になったことを知ります。ラスト、飯場の物干にはためく、親子三人の洗濯物のショットに、第八作『寅次郎恋歌』「りんどうの花」が庭先に咲いている本当の人の暮らしを感じるこが出来るのです。

 さて『寅次郎の縁談』ですが、山田洋次監督が映画を通してみつめてきた、瀬戸内海の小島の人々の暮らしのなかに、満男と寅さんが入っていくことになります。まだ限界集落という言葉は使われていなかったと思いますが、琴島もご多分にもれず過疎化、高齢化で、往時のような活気はなくなり、でもそれゆえに、島の人々が濃密な関りを持って、ユートピアのような暮らしをしています。

 満男は、かつて外国航路の船長だった田宮善右衛門(島田正吾)と、その娘・酒出葉子(松坂慶子)の屋敷の世話になり、若者のいない島では男手として重宝がられています。前半の就職試験に疲弊していた表情から一変、早朝からママカリ漁や畑仕事を手伝う姿は、イキイキとしています。この島が満男を癒し、再生させてくれたのです。

 そんな満男を慕うのが巡回看護婦の亜矢(城山美佳子)。そこへ寅さんがやってきます。「両親の心配をよそに、この孤島で可愛いお姐ちゃんと歌を歌っていたのかさぞ、気が晴れただろうな。」この時の寅さんの表情が実にいいです。満男に対して、少しからかい気味に、ニヤニヤと話す、寅さんの余裕。しかし、それも束の間のことで、満男は寅さんを葉子に会わせまいと必死になりますが、第八作『寅次郎恋歌』の貴子(池内淳子)の時と同じで、結局は、美しい葉子に一目惚れ。そのままミイラ取りがミイラとなってしまいます。

 ここから『寅次郎の縁談』は、琴島のユートピア的な空間のなかで、実に楽しく展開していきます。善右衛門の屋敷では、島の人々を集めて、寅さん歓迎の宴会が拓かれ、駐在(笹野高史)、千代子(松金よね子)、和尚(桜井センリ)、連絡船の誠(神戸浩)といった人々が賑やかな宴を繰り広げます。まるで昔の日本映画を観ているような、このユートピア感覚こそが、この作品の味です。

 この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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