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『怒りの街』(1950年5月14日・東宝=田中プロ・成瀬巳喜男)

 久しぶりの成瀬巳喜男研究。8月29日は、『怒りの街』(1950年5月14日・東宝=田中プロ)をスクリーン投影。丹羽文雄の原作を『春の目ざめ』(1947年)の西亀元貞と成瀬が脚色した異色ピカレスクドラマ。キャメラは玉井正夫なので当時の東京風景が楽しめる。音楽は伊福部昭。

 戦後5年、かつて学徒動員で駆り出され、死地を彷徨って帰ってきてようやく復学したものの、財閥解体、新体制のなか、親の遺産も奪われ、苦学生となった主人公。知性派の森宗久(宇野重吉)と、生まれながらの二枚目・須藤茂隆(原保美)は、ダンスホールや街角でナンパしたお嬢さんたちを言葉巧みに騙して、金を引き出すというピカレスク野郎。

その最初のターゲットとなるのが福田つねこ(久我美子)。ダンスホール、須藤のリードで陶然となるつねこ。テーブルで乾杯して、クロークの荷札「23番」をさりげなく見せて「僕の年齢はこの番号と同じ」なんてキザな振る舞い。荷札を置いたまま踊る二人。そこへ森がやってきて、荷札をサッとつかんでクロークへ。荷札がなくなり慌てる須藤。「あのカバンには学費が入っていたんだ」。責任を感じたつねこは、手に嵌めたロンジンの時計を差し出す。「足りないけど私の気持ちです」

 森のアパート。そこへ須藤がやってきて、ことの次第が明らかになる。二人はグルで、つねこの同情を誘って、まんまとロンジンの時計をせしめたのだった。その手口の鮮やかさ。女を騙して金を巻き上げることを「知能のスポーツ」と豪語して憚らない。森が演出、須藤が美貌を売り物にして演技をする、まさに「演劇型犯罪」である。当時、世間を賑わした「光クラブ事件」の犯人に憧れるニヒリストたちの行状。前半はピカレスクものとしても楽しめる。

 須藤の妹で、清純かつモラリストの雅子(若山セツ子)は、兄が「学生バンドのアルバイトをしている」と偽って家に入れる大金に疑問を持つ。しかし、母・芙佐(村瀬幸子)も、昔気質の家長である祖母(東山千栄子)も、重隆が苦労して稼いでいると思って、その悪銭で暮らしている。

次のターゲットは、戦後、闇商売でもうけた成金の精肉店の娘・宮部紀美子(木匠久美子)。成金趣味の親父・国造(志村喬)と若い男にうつつを抜かしている母・光子(岸輝子)ともにスノッブとして描かれている。毎日、日銭が入っているのをいいことに、国造は女を囲っていたこともある。嫉妬した光子が探偵を雇って悪行がバレてしまったことが夫婦の会話でわかる。

「ダンスパーティを開きたいから資金が欲しい」と茂隆のいうままに、銀行から5万円をおろして貢いでしまう。銀行から指摘されて光子が、娘が金を引き出していることを知って、国造に打ち明ける。しかし娘の素行を探偵に調べさせるのは叶わないと国造は、一方的に久美子の許嫁と決めている、冴えない男・土居垣健(柳谷寛)に、ナイトクラブでの久美子の素行を調べさせることに。

ダンスホールに現れた土居に、はっとなる森。生死を共にした戦友だったからだ。戦地で土居に「恋人だ」と見せられた写真の彼女が、なんと茂隆のターゲットの久美子だったので、森は茂隆に「彼女から離れろ」と命ずるが・・・

 戦後のアプレ学生たちの悪行と、乱れた女性たちのモラル。センセーショナルな題材だけど、それが破綻していって・・・。なかなか面白いのだけど、最初は知能犯で、原保美さんの詐欺のシナリオを書いて実践させていた宇野重吉さんが「良心の呵責に耐えかねて」改心していくあたりから「説教度」が増してくる。

 久美子の代わりにと、森が茂隆に紹介したのが歯科医をしている有閑マダム・田上千鶴(浜田百合子)。彼女は、茂隆をモノにしたいと猛烈なモーションをかける。しかし、女の身体には手を出さない、を身上にしてきた二人は、彼女から金を引き出させるだけ出させようと目論む。

 しかし千鶴は、二人の上をゆくワルで、密輸に手を出して、暗黒街の連中と好きあっている。有閑マダムの浜田百合子の色香、清純でどこまでもウブな久我美子、戦後派のアプレ娘・木匠久美子、三人のキャラクターの描き分けもいい。久我美子、木匠久美子は、昭和22年の『春の目ざめ』の思春期女学生から見事に成長して、二人ともとてもイイ。

俳優座ユニットなので、木村功がジゴロなワルを好演。一方、負けじと東宝第一期ニューフェースの堺左千夫さんが最後、さらっていってしまうのはさすが!

 昭和25年の東京風俗が何よりのご馳走。隅田川好きとしては、若山セツ子さんが勤めている会社があるのは、清澄橋のほど近く。ロケーションを眺めているだけでも楽しい。また、宇野重吉と原保美が通う大学の建物は、杉並区高井戸の「社会福祉法人・浴風会本館」。大正15年に内田祥三、土岐達人が設計。現在では東京都選定歴史的建造物に指定されている。

 成瀬にしては失敗作、と言われているが、昭和25年の映画芸術協会の感覚ということで観れば、黒澤明監督、谷口千吉監督作品同様、納得できる。のちのイメージの「成瀬らしさ」とかけ離れているだけ。


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