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 『肉体の門』(1964年)で、野川由美子という希代の女優を得た鈴木清順監督。カラフルな色彩の洪水のなか、戦後間もない焼け跡に生きる、たくましき娼婦たちを活き活きと描いて傑作となった。原作者、田村泰次郎は「肉体文学」の旗手として、戦後の文壇で華々しく活躍をした作家で、映画化作品も多い。田村の「春婦傳」は、中国大陸の戦場で、兵士と慰安婦が繰り広げる命がけの悲恋を描いた小説。

 1950(昭和25)年、新東宝で、黒澤明脚本、谷口千吉脚本・監督の『暁の脱走』として一度映画化されている。清順作品には評価の定まった作品のリメイクが意外と多い。『関東無宿』(1963年)、『肉体の門』(1964年)、『俺たちの血が許さない』(1964年)、いずれもリメイクでありながら、独自の世界を創出。野川由美子の「肉体」を得て、清順監督が『春婦傳』に取り組んだのは、日活の興行的意向もさることながら、映画作家としての必然でもある。

 清順監督によると、当初はカラーで撮影される予定で、中国の「黄土」の世界を、黄色を色調にして描くという狙いがあったという。もしもカラーだったら、とは後の『河内カルメン』(1966年)にも言えることだが、例えモノクロだとしても完成作からは黄土色の中国の荒涼たる風景の“色彩”を感じることができる。そして全編を貫く「風」。清順映画では重要なモチーフの「風」だが、台本に明確な指示がなかった「風」を「吹くべきところに吹かなきゃね」と、先読みしたのが、名キャメラマンの永塚一栄。黄土に吹きすさぶ「風」にも負けない、野川由美子の圧倒的なエネルギーが、画面からほとばしる。

 原野に立ち尽くす春美(野川由美子)のアップから映画は始まる。遠くを見つめる眼差し。着物姿で、荒野を突き進む春美。ひたすら遠くから、よろけても、前に進んで行く。春美が天津の売春婦であった頃に、全てを掛けて愛し抜いた男に裏切られた経緯の描写。命がけで愛した友田(杉山俊夫)とその花嫁の結婚写真を画面にはめ込み、画面左では、その花嫁にねじ込む春美の姿が描かれる。

 ごまかそうとする友田に「殺す」とキスをし、それに応じる相手の舌を噛み切るパッション。絶望とともに、奥地の慰安所へと流れて行く春美。「あたしはね。色んな男にあたしの身体をぶつけてみたいんだよ」。ヒロインが強烈なデッサンで描かれて行く。慰安所の主人・町田(江角英明)が言うように、慰安所は、兵隊たちの「洗濯場」。男たちは戦いに疲れた身も心も、春美の肉体に沈めて行く。

 その春美の肉体に惹かれて行くのがサディスティックな副官・成田中尉(玉川伊佐男)。独善的で、身勝手な成田は、軍隊の理不尽さを象徴している。酒に酔った成田が初めて春美を抱くシークエンスの大胆な描写。全裸の春美を抱きかかえ、頭から押さえつける。インサートされる軍服、軍刀。次のカットで、春美が成田にツバを吐くが、抗うこともなく、身を委ねて行く。まだ二十歳前の野川由美子の体当り演技。一連の編集の巧みさ。エロチシズムと女の悲しみ。

 その春美が、当てつけでモーションをかけたのが、成田の警護にあたる三上上等兵(川地民夫)。数々の清順映画に出演してきた川地自身が、自身のキャリアでも『春婦傳』に出演できたことが最高の栄誉だと語っているように、本作の川地は素晴しい。感情を抑えた演技。春美への激情が爆発するラブシーン。二人が初めて結ばれる納屋のシークエンス。そして、三上が体験する最前線の地獄絵図。戦場での壮絶な戦い。軍隊に反発しながらも、骨の髄まで軍人精神が沁み込んでいる。そんな三上を命がけで愛する春美の純情と情熱。

 ガチガチの帝国軍人である三上と対称的なのが、インテリの宇野一等兵(加地健太郎)。慰安所で女を抱く事もなく、「哲学断想」(フランスの哲学者ディドロの唯物論)の読書に励んでいる。最前線で敵の八路軍に投降してしまう宇野と、最後まで日本軍人であろうとする三上。軍隊の持つ非人間性と、戦争の悲惨さ。最前線で負傷したまま仲間や上官に見捨てられた三上を助けるために、戦火の中に飛び込んで行く春美。塹壕に横たわる二人。そのシーンですべての音が消される。その瞬間、観客は春美の心の中に入り込んでしまう。そこで春美の故郷の風景がインサートされ、静寂を打ち破る八路軍の銃声。

 慰安婦たちのキャストも多彩。洗濯が趣味の百合子に石井富子、開拓民の息子の嫁として嫁いで行くさち子に今井和子。結婚を夢見たさち子が味わう苦い顛末。そして、シニカルなみどりに松尾嘉代。石井富子と松尾嘉代は、前作『肉体の門』でも、エネルギッシュに生きる娼婦を好演。小沢昭一扮するお人好しの秋山憲兵軍曹、典型的な軍人・木村軍曹を演じた藤岡重慶。こうしたバイプレイヤーそれぞれの持ち味を最大限に引き出している。

 敵前逃亡、捕虜の汚名を受けた三上。二人で生きることを考える春美。この二人を待ち受ける過酷な運命。谷口版『暁の脱走』にあった戦場ラブロマンスの甘さとは全く違う、ぶつかり合う肉体の魅力。極限で芽生える真実の愛。ラスト、朝鮮人慰安婦のつゆ子(初井言栄)のセリフが、強く胸に迫る。

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