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『ドレミハ大学生』(1938年3月1日・東宝・矢倉茂雄)

 岸井明さんと藤原釜足さんの「じゃがだらコムビ」のカレッジ音楽喜劇『ドレミハ大学生』(1938年3月1日・東宝・矢倉茂雄)を娯楽映画研究所シアターのスクリーンに投影。以前はモニターで観たので印象が散漫(失礼!)だったが、改めて見ると49分のコンパクトな尺に、色々と凝縮されていて、楽しく拝見した。

 江戸川蘭子さん演じる深窓の令嬢が「あたし音楽と結婚したいわ」と言ったことで、玉の輿に乗りたい、いや逆玉に乗りたい大学生たちが清川玉枝さん経営の「ドレミハ音楽院」に殺到。♪ドレミファソラシド〜と音楽のレッスンに励む。だから『ドレミハ大学生』。では、なぜファではなくハなのか? 当時カタカナ表記で「ファ」とはあまりしなかったから? そうでもない。劇中、ちゃんと「ドレミファ」とカタカタ表記が出てくる。でも「ドレミハ」という表現に味がある。藤原釜足さんぽいのだ。

 岸井明さんという人は不思議な人で、年齢を感じさせない。一つ前の映画『たそがれの湖』(1937年12月21日・伏水修)では老実業家を老けメイクで演じていた。今度は、音楽部の大食漢の大学生。大食漢であることはどの映画でも共通しているけど(笑)。

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 山野君(藤原釜足)は愛校精神に溢れる大学生。「頼まれたらイヤとは言えない」性格もあって、ラグビー部、スケート部、水泳部、陸上部に在籍中だが、今度は相撲部に入ることに。声をかける友人たちは、会費欲しさなのだが、山野君は至って真面目。その相棒の海野君(岸井明)は音楽部に在籍しているが、部活には熱心ではなく、毎日「トンカツ・コロッケ ライオン軒」に足繁く通って、コロッケ・ライスばかり食べている。

 海野君は「ライオン軒」の純子(神田千鶴子)に恋をして、連日の猛アタックなのだが、肝心の純子は「あんなおデブちゃんはイヤだわ」とつれない素振り。純子は山野君が大好きなのだ。しかし山野君は、食事は自炊と決めている。

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 「ライオン軒」や、山野君と海野君が下宿している「炭屋」、六杯食べたら無料の「支那ソバ屋」などが連ねている商店街は、お屋敷・秋元家が地主。その令嬢・秋元冴子(江戸川蘭子)は、縁談には見向きもせずに、ひたすら音楽に夢中。その冴子は、商店街の蓄音機店でレコード漁り(とは言わないか・笑)の日々。「あたし音楽と結婚したいわ」とレコード店で発言した一言が、商店街、大学に大きな波紋を巻き起こすことになる。

 江戸川蘭子さんは、昭和7(1932)年に松竹歌劇団S K Dに入団、トップスターとなる。同時にコロムビアから「タンゴ・ローザ」「ラ・クンパルシータ」などのレコードを次々とリリース。昭和11(1936)年にS K Dを退団後、すぐにP.C.L.からオファーがあり専属契約。音楽映画に力を入れていたP.C.L.としては、千葉早智子さん、神田千鶴子さんに続く「歌えるスター」として三顧の礼で迎えた。昭和12(1937)年『青春部隊』(3月24日)を皮切りに、ハイペースで映画出演。特に東宝オールスター・オン・パレードともいうべき『楽園の合唱』(1937年9月1日・大谷俊夫)では、主題歌「独身のせいだわ」を岸井明さんとデュエットして、タイトルバックに使われている。江戸川蘭子さんをフィーチャーした『たそがれの湖』(1937年12月21日)に続いての、岸井明さんとの共演作となる(ツーショットは全くないけど・笑)。

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 深窓の令嬢・冴子が、今日もピアノを弾きながら、美しい歌声で唄うは「煙が目にしみる」。ジェローム・カーンがブロードウェイ・ミュージカル「ロバータ」(1933年)のために書いた“Smoke Gets In Your Eyes”である。1935年にR K Oでフレッド・アステア主演で『ロバータ』として映画化され、アメリカでは『ドレミハ大学生』と同じ1938年3月に公開されている。日本での公開は8月だから、スクリーンで日本の観客がこの「煙が目にしみる」と出会うのは、江戸川蘭子さんの歌声が初めてだったということになる。

 冴子は中盤、“It’s a Sin to Tell a Lie”「偽りは罪」をピアノを弾きながら美しい歌声で唄う。ビリー・メイヒュー作曲のスタンダード。この映画の翌年、昭和14(1939)年4月に、江戸川蘭子さんが、ビクターからレコードを出しているが、作詞は岸井明さん、編曲は灰田晴彦(有紀彦)さん。映画でも岸井明作詞のバージョンで歌っている。面白いのは、大学生たちが軍事教練で銃剣を抱えながら行進をしていると、冴子の歌声が屋敷の二階から聞こえてきて、みんな立ち止まってしまう。そこで山野君、海野君たちはお嬢さんの歌声にうっとりする。

 ほとんどの学生が部活を辞めて、冴子に気に入ってもらえるように音楽の勉強を始める。書店の店先には「音楽関連書売り切れ」の貼り紙が出て、「ドレミハ音楽院」には、学生が殺到。連日、だみ声を張り上げて練習に勤しむ。ホクホクなのは、院長の一二三女史(清川玉枝)だけ。商店街の連中は、その騒音に悩まされて、なんとか辞めさせようと、大家の秋元家に、山野君を直談判に向かわせる。そこで、山野君はミイラ取りがミイラになってしまう。

 面白くないのは「ライオン軒」の純子ちゃん。なんとか山野君を振り向かせようと、海野君をダシにして、日曜日に、二人を食事に招待する。この純子ちゃんの性格、のちの「若大将シリーズ」の星由里子さんの澄子に通じる。こうしたカレッジ・コメディはエノケンの『青春酔虎傳』(1934年)P.C.L.初期から得意としていたので、その伝統が後世にも息づいているということで。

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 その食事会で、海野君は純子ちゃんと山野君に勧められるままに「サンタルチア」を唄いだす。ここでようやく岸井明さんの歌声! 流石にうまい! 同じ頃「ライオン軒」の向かいの「ドレミハ音楽院」では、冴子が学生たちのレッスンを表敬訪問、「サンタルチア」を歌い、海野君と期せずしてデュエットとなる。この辺りの演出、さすがP.C.L.の音楽映画! で、海野君はお屋敷で犬に噛まれて足を怪我していて、立ち上がれないので、物干しで山野君が歌声に合わせてあてぶりをする。山野君が歌っているものと「ドレミハ学院」の誰もが思い、お嬢さんも・・・となる。

 その途端、商店街や大学で、「山野君が冴子さんを射止めた」と噂が千里を走って、本人もその気になり、町中祝賀ムードに包まれる。なぜかこうなる。の喜劇映画の典型で、この「本人その気になって」パターンも「若大将シリーズ」で、有島一郎さんのお父さんがよく陥っていたルーティーン(笑)

 その噂に深く傷ついた純子ちゃんが、二階の物干しで歌うシーンがなかなかいい。神田千鶴子さんの歌手としての実力がよくわかる。(追記)Twitterで、@iwah2 さんから"Twilight On The Trail'とご教示頂いた。この曲は1941年のウィリアム・ボイド主演の西部劇「Twilight on the Trail」の主題歌で、ジーン・オートリーなどのウエスタン歌手が歌ってスタンダードとなった。ビング・クロスビーやナット・キング・コールもレコーディングしている。

 クライマックスは、山野君と海野君の部屋で学生たちの「婚約祝賀会」となる。学生が「田原坂」の剣舞を舞ったり、卒業間際の先輩・筒井(柳谷寛)が悪態をついたり、これまた「若大将シリーズ」の宴会シーンと同じ楽しさがある。この祝賀会で学生たちが合唱するのはヴェルディのオペラ「リゴレット」の「女心の歌」。なかなかうまい。「ドレミハ学院」に通っただけのことはある。

 そこでフィリピンからの留学生・ドン・ネルリ君(鉄信正)が、ご機嫌なジャズソングを披露する。スピーディで、ハンドクラップをしながら唄う姿が、実にカッコいい。鉄信正さんは、昭和12年のP・C・L映画製作所専属俳優に名前を連ねている。その音楽センスは抜群! 

ちなみに昭和12年3月のP.C.L.の専属俳優は次の通り。

生方賢一郎、丸山定夫、藤原釜足、岸井明、小杉義男、小島洋々、市川朝太郎、嵯峨善兵、佐伯英男、西條英一、鉄信正、生方明、齋藤英雄、辨公、柳谷寛、横尾譽次郎、北澤彪、伊東薫、大村千吉、高田稔、今泉啓、山形凡平、岡譲二、徳川夢声、御橋公

英百合子、千葉早智子、竹久千恵子、堤眞佐子、細川ちか子、神田千鶴子、梅園龍子、伊達里子、高尾光子、清川虹子、宮野照子、三條正子、堀越節子、夏目初子、山縣直代、椿澄枝、美澤由紀子、藤江蔦子、加藤欣子、水上怜子、渥美君子、林喜美子、大月光子、徳山等子、佐々木信子、清水美佐子、南メリー、村田初代、星ヘルタ、山根寿子、曙久美子、香川澄子、三浦矢柄子、川原久美江、江戸川蘭子、山田淑子、霧立のぼる、高峰秀子、入江たか子

こちらは昭和12年3月のJ・Oスタジオ専属俳優

月形龍之助、深見泰三、高堂黒典、澤井三郎、永井柳太郎、冬木京三、大崎時一郎、光明寺三郎、千賀一郎、石川冷、長島武夫、大家康宏、常盤操子、岡田和子、五條貴子、柳英子、上田吉二郎、山田好良、林雅美、濱路良子、山田光子、進藤英太郎、漆原悰平、

(研究生)山島秀二、対馬和雄、板倉与志雄、井上忠美、合津静雄、花澤徳衛、工藤城治郎、大方弘男、沼崎勲、番野聖三

その翌年、P C LとJ O東宝が合併して東宝となってからの昭和13年3月の専属俳優は次の通り。

丸山定夫、藤原釜足、大川平八郎、岸井明、生方賢一郎、西條英一、生方明、佐伯秀男、嵯峨善兵、小島洋々、齋藤英雄、中川栄、小杉義男、市川朝太郎、横尾誉次郎、柳谷寛、北沢彪、高田稔、岡譲二、山形凡平、津田光男、社栄一、原浩二、中村太郎、小島俊一、原文雄、三木利夫、光一、蒲生龍二、伊東薫、大村千吉、今泉浩、竹下富四郎、山田長正、徳永文六、中村福松、谷三平、長谷伸一郎、武田千代太郎、伊東洋、柏原徹、津田哲也、リキー宮川、岩宮金太郎、山田五郎、徳川夢声、御橋公、汐見洋、福地悟郎、丸山章治、大日方傳、大河内傳次郎、長谷川一夫

英百合子、千葉早智子、竹久千恵子、堤眞佐子、宮野照子、堀越節子、三條正子、細川ちか子、神田千鶴子、美澤由紀子、渥美君子、加藤欣子、梅園龍子、椿澄枝、伊達里子、清川虹子、林喜美子、大月光子、南メリー、清水美佐子、佐々木信子、星ヘルタ、武林イヴンヌ、山縣直代、香川澄子、三浦矢柄子、江戸川蘭子、霧立のぼる、入江たか子、音羽久米子、志村厚子、山田芳子、原節子、松岡あや子、一の瀬綾子、高峰秀子、曙久美子、臼井サキ子、青木登志江、伊藤智子、清川玉枝、牧マリ、三條利喜江、澤蘭子、百太郎

 さて、話を映画に戻そう。その祝賀会の最中に、なんとラグビー部の横井君(三木利夫)と冴子さんの婚約のニュースが飛び込んでくる。二人は従兄妹同士で、横井君は冴子さんの弟・澄夫君(今泉ヒロシ)の家庭教師をしていた。

 失恋で大ショックの山野君。「ライオン軒」の純子ちゃんも山野君と冴子さんの結婚の噂を聞いて大失恋、田舎に帰ってしまう。それを知った海野君も純子ちゃんに大失恋。ああ、青春は失恋することなり、でエンドマーク。

49分の尺なので、途中、あれれ?のところもある。前半、海野君が自作の歌の楽譜を純子ちゃんにプレゼント、「歌ってみなよ」「覚えてから歌うわ」。曲名は「にきびの唄」。聞いてみたいと観客は思うけど、ここはフリだけ、結局「にきびの唄」は聞けずじまい(笑) あゝ聞きたや!

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。