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永井豪+ゲバゲバ=映画版『ハレンチ学園』!

 1970年。日本映画は、往時の活力を失い、低迷に喘いでいた。邦画界はブロックブッキングシステムによる二本立てレンガ積み興業を、辛うじて維持していはいたが、1960年代前半までのような、スターシステム中心のプログラムピクチャーの勢いはもはやなかった。石原裕次郎、小林旭で多いに気を吐いていた日活も、任侠路線やニューアクションで活路を見いだしてはいたが、1970年になると、若者中心の番組を模索。そのなかで71年にかけて5本も作られるスマッシュヒットとなったのが『野良猫ロック』シリーズだった。その第一作『女番長 野良猫ロック』(長谷部安春)と同時上映でメイン作品だったのが、永井豪原作の実写映画『ハレンチ学園』(丹野雄二)。

 「ハレンチ学園」は1968年に新創刊なった「週刊少年ジャンプ」の記念すべき創刊号に読み切りで掲載、その後連載化され、小中学生の男の子にとっての「イタセクスアリス」的漫画として人気を得ていた。それがマスコミを騒がすブームとなったのが、連載一年目の1969年7月24日号掲載「モーレツごっこ」の巻で“スカートめくり”が登場してから。ちょうどこの頃、丸善石油のCMで小川ローザの「Oh!モーレツ」が大流行、“スカートめくり”が小学校高学年以上の男子に蔓延、それに「ハレンチ学園」が火をつけることとなった。それがまたたく間に、PTAで問題となり、その元凶として「ハレンチ学園」バッシングが始まった。

 それに呼応するように、コミックにおけるお色気シーンがますまず増え、PTAへの敵愾心もあって、コミックでの生徒たちと先生のバトルは「ハレンチ大戦争」へと発展。登場人物たちが憤死するというゲバルト時代に相応しい展開へとなっていく。

 そんななか「ハレンチ学園」の映画化権を獲得したのが日活だった。気になるのはヒロイン十兵衛こと柳生みつ子を誰が演じるか? だったろう。日活はオーディションをして、東映児童研究所に所属し、子役として、またアニメーションの挿入歌などを歌っていた児島美ゆきを発掘した。十兵衛といえば児島美ゆきと、今の四十代以上なら連想するだろう奇跡のキャスティングで、コミックから映画への移植は無理なく成功した。

 そしてユニークなのは、先生たちのキャスティング。ヒゲゴジラこと吉永百合夫(原作ではさゆり名義だが、さすがに日活では・・・ということで改名)には、藤村俊二。マカロニこと馬加呂二には宍戸錠は、日活アクションでもコメディリリーフを担当していた喜劇人でもある。丸越こと荒木又五郎には小松方正、新任教師・西尾みどりにうつみみどりといった面々は、実は、日本テレビで人気を博していたバラエティ「巨泉前武ゲバゲバ90分」のレギュラーでもある。「ゲバゲバ」+「ハレンチ」というアイデアは、コメディ好きだった丹野雄二監督によるものだろう。丹野は、小林旭主演の喜劇『東京の暴れん坊』(1960年・斎藤武市)の助監督をつとめ、コミックな同名主題歌の作詞も手がけた。

 このほか、テレビ版まで用務員・甚兵衛役を演じることになる左卜然は、この年「♪やめてケレ ゲバゲバ〜」でブームとなる「老人と子供のポルカ」のヒットを飛ばし、校長役の上田吉二郎も、柳生みつ子の祖母・弥生役の武智豊子と共に「上吉・豊子のハレンチ・アモーレ」なるレコードを発表。そういう意味では老優ブームの導火線ともなった。

 劇場には、これまでの日活映画の客層とは違う世代が映画館に駆けつけ、すぐに第二作『身体検査の巻』(丹野雄二)が作られることとなった。第三作『タックル・キッスの巻』(林功)クランクイン時には、東京12チャンネルでのテレビ版制作が決定し、丹野雄二監督がプロデューサーとして、生徒役の俳優とともにテレビ版へと移行。児島美ゆきも、クランクアップを待って、そのままテレビで引き続き、柳生みつ子を演じ、映画館に行かなかった小学生たちからもアイドル的な人気を得ることとなる。

 テレビと平行して公開された第四作『新ハレンチ学園』(71年林功)は、正月映画として『野良猫ロック 暴走集団’71』(藤田敏八)と同時公開。原作の「ハレンチ大戦争」をタイトルバックでにおわせ、ヒロインは柳生みつ子から、若手教師の柳生十兵衛へとシフト、渡辺やよいがチャーミングに演じた。残念ながら映画版は、第四作で終了するが、テレビでは同じキャスト、スタッフによる「ワンパク番外地」(1971年)なる副産物を生み出し、1960年代前半生まれまでの世代の「性の目覚め」に大きく貢献した。

ノヴェルティソングの宝庫!  ハレンチ学園

 映画版の「ハレンチ学園」シリーズの魅力の一つに、コミックソング、ノヴェルティソング好きにはたまらない、主題歌と挿入歌の数々がある。当時、『男はつらいよ』で国民的映画の音楽を手がけていた山本直純(第1〜2作)によるプログラムピクチャーの王道ともいうべき、ナイスで軽くて楽しい劇奏。ファンキーで斬新な音楽で日活ニューアクションのエッジをつけていた鏑木創のサウンド。二人の作家の対照的なサウンドも楽しめる。日活撮影所の倉庫に保管されていた音源を蔵出しマスタリング。当時、クラウンレコードに所属していたため、ヴォーカル名がクレジットされなかった児島美ゆきの「十兵衛のこんなことってあるかしら」(ハレンチ学園合唱部)が待望のCD化がなんといっても目玉だろう。筆者が児島さんにお目にかかったとき、「今でも歌えるわよ」と、「♪こんなことって あるかしら〜」と歌ってくれた。

 第一作『ハレンチ学園』のマスターテープは存在しなかったようで、当時、東芝レコードから発売されたモラル・マイナス・1の「ハレンチ学園(ズビズビ・ロック)」と「ベタベタ・ホレホレ」を収録。いずれも永井豪作詞、60年代カレッジフォークの雄、佐々木勉作曲、馬飼野康二編曲。

 第二作『身体検査の巻』からは、タイトル曲の「オーハレハレ」、前述の「十兵衛のこんなことってあるかしら」、「ハレンチ天国」(モラル・マイナス・1)などのハレンチソングに加えて、70年のノヴェルティソング当り年の金字塔が収録されている。丸腰デパート宣伝部員としてゲスト出演している月亭可朝師匠の「嘆きのボイン」の歌詞違いの映画テイクを収録。大橋巨泉師が朝丘雪路の豊満を指した言葉は、この曲で少年たちにも浸透した。

 第三作『タックルキッスの巻』でナイスなのは、ゴジラ一族のコミューンで歌われる「ゴジラの唄」だろう。作詞はなんと田中登監督! 脱力感あふれるメロディは楠井景久が担当。タイトル「ハレンチ学園のテーマ」は、鏑木創作曲による、いかにも『ハレンチ学園』といった曲。

 そして最終作『新・ハレンチ学園』からは、小沼勝監督による勇ましいマーチ「進めハレンチ美女部隊」、高松しげお扮するヒゲゴジラの「ゴジラの唄」と挿入歌も充実している。

 さらにボーナストラックには「ハレンチ学園・身体検査」(モラル・マイナス・1)のレコードテイクに加え、月亭可朝師匠の「嘆きのボイン」のレコードテイクまでも収録されている。

 珍品といえば珍品だが、70年代のノヴェルティ・ソング特有のハレンチ感覚というか、良い意味での軽さは、夢もチボーもない現代の虚しい心に、かなり効く(笑)

ハレンチ学園(1970年・丹野雄二)

 日活アクションのコミック担当“エースの錠”こと宍戸錠のマカロニ、オヒョイさん・藤村俊二のヒゲゴジラ、パラソルこと丸傘に“カックン”の由利徹、丸越に小松方正、そして校長に上田吉二郎! さらに、十兵衛の父になべおさみ、母にはミッキー安川(なぜか十兵衛の母は毎回男が演じている!)、祖母には武智豊子と、斜陽とはいえプログラムピクチャーとしてはかなり強力なキャスティングは、1970年の大衆の好みをビビッドに反映。映画なのにバラエティ番組を観ているかのような雰囲気。原作から自由に脚色したのは、映画版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』も手がけた鴨井達比古と、「渡り鳥」シリーズで宍戸錠に、コメディアン的なセンスを覚醒させた山崎巌。制作会社のピロ企画は、当時の子供たちが愛飲した乳飲料“ピロビタン”社の系列のため、劇中にタイアップとして堂々と懐かしの“ピロビタン”が登場。そういう意味では、企業モノでもある(笑)後半、学園一行が向かう伊豆堂ヶ島温泉の船原ホテルは、黄金風呂が話題だった観光ホテル(後に、廃墟マニアの話題となった場所でもある)。ロケセット中心のチープな空気も含めて、1970年という時代が、フィルムに凝縮されている。山岸君には「サスケ」の声でおなじみ、60年代の天才子役、雷門ケン坊。まだ初々しい児島美ゆきのチャーミングな魅力! 主題歌「ハレンチ学園(オーハレハレ)」のグルーヴィーな脱力感と、ダイナミックプロによるタイトルバックのビジュアルにも注目!

ハレンチ学園 身体検査の巻(1970年・丹野雄二)

 タイトルはズバリ、身体検査! なんともハヤな感じが、このシリーズの身上だろう。今回のヒゲゴジラは、昭和40年代のお笑いブームで人気沸騰した晴乃チックこと高松しげお。実写版「いじわるばあさん」も演じた人だけに、コミックなキャラがよく似合う。そして特筆すべきは、日活アクションで宍戸錠が醸成してきた“エースの錠”VSとマカロニ(錠さん二役!)の対決シーン! 1960年代、無国籍アクションが作り上げたイメージが、ハレンチ学園で大爆発する。マカロニが生徒の頭にのせた空き缶撃つパターンは、赤木圭一郎との『拳銃無頼帖 電光石火の男』(60年)の再来。さらに“エースの錠”のスタイルがご丁寧に『渡り鳥いつまた帰る』(60年)を思わせる。このシーンのBGMは、ご丁寧に本家「渡り鳥」シリーズの劇伴を使用。ご本家だからこそできるセルフパロディ。前半の身体検査騒動には、丸越デパートの宣伝部員役で、当時「嘆きのボイン」で全国的な人気を誇っていた月亭可朝が登場。ギターを手に、お約束の「嘆きのボイン」をひと節歌う。後半は、パリの聖ハレンチ学園本部から、視察団としてシスター・アントワーヌたちが来日する。演じるは『殺しの烙印』(67年鈴木清順)の真理アンヌ。先生たちのキャスティングも一新。丸越に日活アクションのバイプレイヤー、近藤宏。パラソルには「笑点」(NTV)でブレイクした林家こん平。オヤビンこと山岸八十八も、後に「われら!青春」などに出演する千葉裕にバトンタッチ。同時上映は『野良猫ロック ワイルドジャンボ』(藤田敏八)。どこまでも開放感のある二本立てだった。

ハレンチ学園 タックル・キッスの巻(1970年・林功)

 シリーズ第三作は、おりからの『ハレンチ学園』ブームにより、東京12チャンネルとのテレビ版製作のため、丹野雄二監督は映画版から離脱。プロデューサーとしてテレビの準備に入ることになり、林功が監督となった。今回のヒゲゴジラは、やはり昭和40年代の演芸ブームに乗って、「あ〜やんなっちゃった」のウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二。ヒゲゴジラというよりも、牧の個性が全面に出て、それがかえって「演芸映画」の匂いを醸し出している。今回は、生徒vs先生のバトルに加え、教育ママゴンと呼ばれたPTAのお母様がたたちも参戦。守銭奴の先生たちとPTAが結託し、大人の論理を振りかざそうとする。それに反発する生徒たちのレジスタンスもますますエスカレート。学校自治というのが、社会的に話題となっていた時代を反映。学園で、児島美ゆきの十兵衛が、片肌脱いでの丁半博打のシーンは、なかなかの見物。そして何よりおかしいのは、女房同伴で学園にやってくる新任教師・京太(鳳啓助)。その女房は、黒のジャンプスーツに身を固め、「野良猫ロック」よろしくバイクで颯爽を現れる。しかして、その実態は? 京唄子という展開。「ゲバゲバ」テイストで始まった『ハレンチ学園』だが、当時の万博ブームによる関西お笑い勢の東京進出をビビッドに反映。さらに輪をかけるのが、十兵衛のお見合い。なんとその相手が由利徹に佐山俊二! こんなところに東京喜劇の伝統が!(笑)

新・ハレンチ学園(1971年・林功)

 シリーズ最終作『野良猫ロック 暴走集団’71』(71年藤田敏八)と二本立てで、正月作品として公開された、リニューアル篇。柳生みつ子=児島美ゆきが、テレビ「ハレンチ学園」へと主役移動したため、新ヒロインとして、女性教師・柳生十兵衛に渡辺やよいが登場。物語も、教師vs生徒が壮絶な戦いを繰り広げた「ハレンチ大戦争」後の戦後秘話となっている。戦い終わって、生徒も先生、もほとんどが憤死。生き残った山岸君(千葉裕)たちが、自分たちで自治できるユートピアを作ろうと学園を探す旅を続けている。そこに女子校の“聖ハレヤカ学園”から招待状が舞い込み、山岸たちが学園をジャック、先生を公募する。「聖ハレンチ学園」の復興が彼らの狙い。新しい先生たちもユニークで、シルクハット(E.Hエリック)、コータロー(海のかつお/新栄電気チェーン、ネ、ネ!の人)。さらにマカロニ役だった宍戸錠は、公害の元凶である“ゲバゲバ製作所”の社長だが、公害阻止を叫ぶ生徒たちに負けて、工場は閉鎖。結局、教師となる。かくして、先生と生徒たちの新たな戦いが、再び始まることとなる。桂三枝や三遊亭円楽といった、(いまでは)大御所の東西の噺家が、きわめて軽い演技を見せてくれるのもご愛嬌。さらに大戦争で憤死したはずのヒゲゴジラには、一族の別な男という設定で、第二作以来の高松しげおが再登場。名バイプレイヤー、左卜全扮する用務員・甚兵衛さんも健在! 渡辺やよいのお色気も、少年時代を思い出させてくれて、結構な最終作となった。

「映画秘宝」2008年8月号より

日活公式サイト

web京都電影電視公司「華麗なる日活映画の世界」








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