『お嬢さん』(1937年7月21日・PCL・山本薩夫)
『お嬢さん』(1937年7月21日・PCL・山本薩夫)をスクリーン投影。吉屋信子の少女小説を永見柳二が脚色。監督はこれがデビュー作となる山本薩夫。前半のモダンな都会描写、後半のローカリズムあふれる島の女学校の描写、いずれもロケーションを多用して、宝塚少女歌劇団出身の霧立のぼるの魅力を最大限に引き出すことに成功している。
大金持ちのお嬢さん・霧立のぼるが、親の決めた縁談を拒否して、自立したいと、九州南端の小島の女学校の英語教師となる。苦労知らずのお嬢さんが、苦労を買って出るが、前途は多難。女学校の同僚教師・山縣直代は、貧しい出でサナトリウムに入院中の恋人の子を身籠もっているが、収入源を失いたくないと、誰にも内緒で奮闘している。それを知ったお嬢さん、彼女のために何が出来るか?を真剣に考えて… 12年の進歩的な働く女性を、霧立のぼると山縣直代が好演。
霧立のぼるは、1917(大正6)年生まれだから、この時二十歳。1929(昭和4)年に青山学院高等部に入学するも、翌1930(昭和5)年4月に中退して宝塚少女歌劇団へ入団。20期生となる。娘役としてトップスターとなり、1934(昭和9)年に、入江たか子の入江プロダクションに入社。その後、新興キネマに移籍して、高田稔の主宰する高田プロの『世紀の青空』(1934年・牛原虚彦)で映画初出演。この時、山縣直代とすでに姉妹役を演じている。洋装の似合うモダンガールの霧立のぼると、和装の正統派美人・山縣直代。戦前の邦画アイドルがこうして顔合わせをした。
新興キネマのトップ女優として『暁の令嬢 前後篇』(1935年・新興東京・曽根千晴)、『大地の愛 前後篇』(1936年・同)などに出演、昭和12(1937)年には幹部社員となるも、P.C.L.に引き抜かれて移籍。成瀬巳喜男監督『雪崩』(1937年7月1日)に出演、愛のない結婚をした夫・佐伯秀男との冷めた結婚生活に悩むヒロインを演じた。この時共演した佐伯秀男と恋に落ちて、のちに結婚。
この頃、P.C.L.は俳優や監督を積極的に引き抜いて、製作体制を強化、ラインナップの充実を図っていた。この『お嬢さん』は、霧立のぼるを、千葉早智子に続くP.C.L.の看板女優として大々的にアピールするために企画された。
この頃のP.C.L.映画では、主なキャストがワンショット、ツーショット登場して、観客にカメラ目線で登場。そこに役柄とともにクレジットするのが定番だった。これは遅れてきたファンにもありがたい。名前と顔、役名を確認することができるので。
劇中には流れないが、主題歌として発売された平井英子の「お嬢さん」の歌詞「♪たばこふかしてお嬢さん〜」どおりに、タイトルバックの【お嬢さん 霧立のぼる】の紹介カットで、シガレットに火をつけてポーズ。続いて和装で清楚な表情で本を読んでいる【瀬田先生 山縣直代】が、目を上げて観客に微笑む。こうして、お嬢さんの頼もしき叔父【安河内公弘 嵯峨善兵】とその親友で独身主義者の金持ち【藤波邦雄 北澤彪】、お嬢さんの母【悦子 清川玉枝】、姉【多磨子 澤蘭子】、九州の小島の女学校の【教頭先生 三島雅夫】と【教頭先生の妻 伊藤智子】、女学校の校医【医者長井 三橋公】とお嬢さんの親友【藤子 宮野照子】、【失業した先生の娘 高峰秀子】が次々と紹介される。
大金持ちのお嬢さん(霧立のぼる)は、女学校出のインテリで、シガレットをいつも手にして「女性の自立」を考えているモダンガール。母・悦子(清川玉枝)とすでにロンドン勤務の夫に嫁いだ姉・多磨子(澤蘭子)が、お嬢さんを連れて音楽会へ。トップシーン、演奏会途中の東京宝塚劇場のドアがバーンと開き、お嬢さんがぷんぷん怒って出てくる。
しばらくして、彼女を追いかけて母と姉が、ドアを開けて出てくるが、すでにお嬢さんはいない。追いかけようとするも、仲にいる同伴者(お見合い相手)を気にして、劇場に戻る。ワンショット、フィックスで、ドアの前のお嬢さんと、母・姉の攻防戦を、巧みな省略で描く。ハリウッドのスクリューボールコメディの手法を取り入れた山本薩夫のモダン演出!
音楽会に誘われて、出かけたら「お見合い」だったことにプンプン怒っているお嬢さん。物分かりの良い叔父・安河内公弘(嵯峨善兵)だけが唯一の理解者。お嬢さんは「英語教師になりたい」と密かに叔父さんにお願いをしていた。親の決めた縁談で一生が左右されるのはイヤ、もっと自分の可能性を試してみたい。昭和12年のモダンガールは、かくも進歩的だったのか!と感心してしまう。
東京では教師の口がどこもいっぱいで、叔父さんが紹介してくれたのが、九州の南端の小島の女学校。それでも「いくわ」とお嬢さん。母や姉の反対を押し切ってしまう。出発の前夜、近くお嫁に行く、女学校時代の親友・藤子(宮野照子)と夜の銀座に繰り出しての送別会。自立を決意している割には、お嬢さんの贅沢は治らない。この「お嬢さん」気質が微笑ましく、がそれゆえに本人の悩みのタネとなる。
サラリーガールになるのだからと、二等車に乗ったものの、あまりの混雑ぶりと、庶民のやりたい放題(お嬢さん目線で)に辟易するのがおかしい。隣に座った男(辨公)に気安く声をかけらたり、子供連れの夫婦が、子供を寝かすために座席を占拠していたのに義憤を感じて怒ったり。この子連れの夫婦が、実は赴任先の女学校の教頭先生夫妻(三島雅夫、伊藤智子)というのがわかるオチもおかしい。
ほうほうの体で食堂車へ。お嬢さんは「お紅茶とサンドウィッチ」を頼む。相席したのは独身主義者の二枚目・藤波邦雄(北澤彪)。この頃の北澤彪はハリウッドに二枚目の様にダンディでシュッとしている。ここはロマンチックコメディの雰囲気があり、P.C.L.のモダンイメージはこうした描写に夜ところが大きい。で、この邦雄は実は、お嬢さんの叔父さんの親友で、すでに叔父さんの事務所の前で、彼女とすれ違って見初めていた。
結局、お嬢さんは、寝台車で寝ることになる。夜汽車に揺られて、ようやく到着すると、国文の瀬田先生(山縣直代)がお迎えに来ていて、一緒に連絡船へ。女学校も東京の金持ちの令嬢が来るというのでお嬢さんを特別扱い、それで瀬田先生が迎えに。だけど、そういう「お嬢さん」扱いで、お嬢さんのプライドは傷つけられる。
というわけでここからは「坊ちゃん」のような青春学園ものとなっていく。P.C.L.では1935(昭和10)年に、夏目漱石の『坊ちゃん』(山本嘉次郎)を初映画化、この吉屋信子の『お嬢さん』(1937年・7月21日)、石坂洋次郎の『若い人』(1937年・11月27日・豊田四郎)と、青春学園もののルーツ的作品を連続映画化。それが戦後も繰り返されて、1960年代の日本テレビ=東宝テレビ部の石原慎太郎原作「青春とはなんだ」(1965年)へと繋がっていく。
お箏の師匠の家の二階に、下宿することになったお嬢さん。瀬田先生との共同生活で、人として大事なことを知って成長していく。瀬田先生が妊娠していて、恋人が結核でサナトリウムに入院中、その治療費のために俸給(サラリー)を仕送りしていることを知ったお嬢さん。「世の中には、結婚したくてもできない」恋人たちがいることに衝撃を受けて、自分には何ができるか? を真剣に考える。
さらに、島についてから、しばしば登場する、体を悪くして杖をついている父と、その介助をしている娘(高峰秀子)が、お嬢さんにきつい眼差しを送っている。その理由が明らかになる後半。お嬢さんが無理矢理「英語教師になりたい」と希望したために、前任者の英語教師が解雇され失業。そのショックから病気になっていたのだ。
「お嬢さんはお金持ちなのに、なぜ働くの? 貧乏人の仕事を奪って、なぜ働くの?」と、デコちゃんのキツい一言に打ちのめされるお嬢さん。
こうした厳しい現実、ハードルを用意して、果たしてお嬢さんは? という展開が、なんと1時間16分で描かれていく。後年の山本薩夫作品と比べて、ということより、P.C.L.のモダンな「お嬢さん」映画に、原作があるにせよ、こうしたテーマを取り入れて、ヒロインの成長物語としてはなかなかの作品となっている。
音楽監督は成瀬巳喜男映画でお馴染みの現代音楽家・伊藤昇。前半、都会でのお嬢さんの気ままな暮らしのモダンなサウンド、後半、小島の女学校での女生徒たちに囲まれての”お嬢さん先生”の清純なイメージ。本編の展開によりそった音楽が効果的。
「お嬢さん」主題歌
A「お嬢さん」作詞 佐伯孝夫 作曲 鈴木静一
B「碧空」作詞 一條実・永見隆二 編曲 伊藤昇
ビクターレコード 五四〇三二
タイトルにクレジットされている主題歌「お嬢さん」は、平井英子歌唱よるイメージソングで、ハワイアンのモダンな伴奏、ちょっと気だるい感じの平井英子のベビーヴォイスのヴォーカルが、前半の霧立ぼるの東京での怠惰な日常をうまく表現している。
カップリングの「碧空」は、後半、女学生たちのアイドル的モダン先生となったお嬢さんと、女学生たちのテーマソング的に歌われる。
なお、「お嬢さん」の平井英子、「碧空」の女学生のヴォーカルのサントラに、東宝の少女スター堀越節子がモノローグを吹き込んだレコードもリリースされている。映画のストーリーに合わせた「イメージドラマ」ともいうべきノヴェルティ・レコードの音源が、ぐらもくらぶCD「ザッツ・ニッポン・キネマソング」(監修・解説:佐藤利明)に収録されている。
そのライナーノーツから引用する。