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『浮雲』(1955年1月15日・東宝・成瀬巳喜男)

7月16日(土)の娯楽映画研究所シアターは、連夜の成瀬巳喜男監督特集。林芙美子原作、水木洋子脚本、高峰秀子主演のマスターピース『浮雲』(1955年1月15日・東宝)をDVDからスクリーン投影。ラストに「完」でも「終」でも「おわり」でもなく「花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき」とスーパーが出る。この言葉が全てを言い表している。あまりにも切なく、あまりにもやるせなく、あまりにもつらいヒロインの人生。

今の視点で観ると、これほど暗く、重苦しいメロドラマなのか。それはないだろう、なんでこんな男に振り回されるのか? ともどかしさを憶える人も多いだろう。森雅之が演じる、元農林省の官吏と、高峰秀子のタイピスト。二人が、日本軍が進駐した戦時中の仏印(フランス領インドシナ)で出会い、熱烈な恋をして、やがて敗戦。それぞれがやっとの想いで内地へ戻って生活の苦労をしていく。

女は、男が別れ際に言った「妻と別れて、君と暮らす」の言葉を信じて、引き揚げてくる。しかし男は、敗戦で、仕事もプライドも、何もかも失っていた。それでも「あの頃の情熱」が忘れられない二人。ずるずると関係を続けていく。時が経つほど、男はダメになっていく。もう見放した方がいいんじゃないの?と観客が思っても、デコちゃんは愛想をつかしながらも、彼を愛し続けていく。

成瀬巳喜男の演出は、戦時中のインドシナでの二人が輝いていた日々をインサートしながら、敗戦後の混乱のなか自滅していく主人公の「精神の荒廃」と「退廃」を淡々と描いていく。焼け跡の復興マーケットには、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が流れている。東宝撮影所のオープンセットで再現された闇市のセットが素晴らしい。回想のインドシナのエキゾチックでゆったりとした空間(これも東宝オープンや近隣でロケ)との対比が効果的。

また斉藤一郎による音楽は、インドシナ時代の「楽しかった頃」のモチーフを効果的に多用し、戦後のシーン、ヒロインが「あの頃」に想いを馳せるシーンなどで、彼女の心理をちゃんと表現する。それも素晴らしい。この「戦時中の甘美な記憶」が、高峰秀子と森雅之を繋いでいくが、それが戦後、どんどん色褪せて、現実に塗れていく。その身も心もやつしていく姿を、延々と描いていく。

この「昔は良かった」が「戦後はダメになる」男は、これまでも成瀬映画で繰り返し描かれてきた。『銀座化粧』(1951年・新東宝)の三島雅夫、『夫婦』(1953年・東宝)の伊豆肇、『晩菊』(1954年・東宝)の上原謙もまたしかり。過去の栄光にすがり、夢よもう一度と思いながら、どんどんダメになっていく。そういう意味ではこの『浮雲』は、男と女の腐れ縁でそれを描いている。

昭和18(1943)年、南方戦線が激化し始めていた頃、幸田ゆき子(高峰秀子)は、農林省のタイピストとして、日本軍が進駐した仏印(フランス領インドシナ)へ。そこで、ゆき子は毒舌で皮肉屋の技師・富岡兼吾(森雅之)と出会う。ゆき子は、お嬢さん育ち、裕福な家庭に育ったようで、ワンピース姿が眩しく、しかし男性に対しての警戒感を抱いている。一見、フランクな所員・加納(金子信雄)が、ある夜、酔った勢いで、ゆき子の部屋に忍びこむ。ことなきを得るも、その嫌悪を、富岡に話す。次の瞬間、富岡はゆき子を抱き寄せてキスをする。

なんのことはない。富岡も相当な女好きで、つまらない男なのだけど、ゆき子はそこに情熱を感じて、二人はわりない仲となる。ジャングルでのキスシーン以外は、戦後、二人の会話を通して、観客は知ることになる。直裁的な描写はほとんどないが、富岡が無類の女好きであることは、その目つき、態度で明らか。このあたり、森雅之も成瀬も見事である。

昭和21(1946)年初冬。ゆき子が引き揚げてくる。故郷に帰らずに、義兄・伊庭杉夫(山形勲)の家に(義兄不在のまま)身を寄せ、真っ先に愛しい富岡に逢いにゆく。富岡の家で、妻・邦子(中北千枝子)から冷たい視線で見つめられる。このあたりも、妻はお見通しという感じを、態度だけで見せる。なんでも言葉で説明してしまう現在の映画とは大違い。仕草が全てを表現して、それが観客に伝わるのだ。

富岡はゆき子を連れて、復興マーケットを通って、盛り場の連れ込み旅館へ。南洋でのロマンスとは大違い。侘しい逢瀬である。それでも、ゆき子は富岡との「これから」を信じている。しかし、すぐにそれが失望に変わる。期待と失望。この映画では、ゆき子の富岡への「一縷の希望」が悉く潰えてゆく。

住むところのないゆき子は、富岡から貰った金でバラックを借り、就職先を探すも、つぶしがきかない。生きていくために米兵・ジョー(ロイ・ジェームス)のオンリーとなる。まさにこの頃流行した菊池章子のヒット曲「こんな女に誰がした」である。そんなゆき子のバラックに、ひょっこり現れ、仕事がうまくいかないと愚痴りながら「泊めてくれ」と富岡。このダメ男は、女性を「都合の良い吐口」としてしか考えられない。

それでも「惚れた弱み」のゆき子。このくされ縁が延々続く。映画では明確に言及はしていないが、ゆき子がなぜ、戦時下に仏印に渡ったのか? その原因(と思われるの)が、義兄・伊庭杉夫である。山形勲が、この俗物を見事に造形している。ゆき子は義兄と同居している時に、伊庭に無理やり襲われていたのである。性的なDVを受け、内地にいたたまれずに、仏印へ。そこで富岡と出会いロマンスに落ちたのだろう。

観客の想像によって、ゆき子の「それまで」のイメージが作られて、どうしようもない「現在」の描写が意味を持つ。もう二度と会わないと思いながらも、目の前に富岡が現れるとゆき子は、彼についていってしまう。

124分の物語。これが延々と続いていく。年末、商売がうまくいかず、どん詰まりとなった富岡は、ゆき子と千駄ヶ谷駅で待ち合わせ、あてどなく歩き始める。「ねえ、どこへ行くの?」「渋谷でも行くか」とダラダラ歩く。昭和29(1954)年に撮影された国鉄千駄ヶ谷駅、寒寒とした冬の光景。この映画には、四季は描かれない。二人が逢うのは冬、早春、晩秋の寒々とした風景のなか。

この日も、結局「どこか遠くへ行こうか」と富岡に促されて、二人は群馬県の伊香保温泉へ。逗留を続け、怠惰な時間を過ごして、いっそのこと榛名山で心中しようと富岡。そういうことを温泉に浸かりながら言ってもなぁ。結局、宿代が足りずに、富岡は温泉街のカフェー「ボルネオ」の親父・向井清吉(加東大介)にオメガの時計を一万円で売ることに。東京で魚屋をしていた向井は、娘ほど歳の離れた女房・おせい(岡田茉莉子)にデレデレ。

伊香保温泉は、芝居場は、外景も含めて基本的にセットで構成。二人が温泉に浸かるシーンは伊豆の湯ヶ島温泉・湯本館で撮影している。富岡が「ボルネオ」に入ったのも、仏印時代を懐かしんでのことで、オメガを安価で手に入れて大喜びの向井が振る舞うの酒はバランタイン。仏印時代、ゆき子が初めてやってきた晩のディナーの後、富岡が召使に命じて注がせるのがバランタインである。

地方版ポスター

その晩、向井の家に泊まることになった富岡とゆき子が、向井夫婦としこたま飲んで、ゆき子が酔い潰れてしまう。ここで驚いてしまうのは、なんと、富岡が若いおせいに手を出してしまい、二人が出来てしまうのだ。それを知ったゆき子の絶望、そして怒り。これには観客も呆れてしまうが、この頃の岡田茉莉子には、それだけの「魔性の魅力」がある。おせいは、夫の生活に飽き飽きしていて、東京でダンサーにでもなりたい。そのためには、ちょいと良い男の富岡を頼りにしてしまおう。という打算である。

しかし、富岡は、女には手が早いが、仕事はてんでダメ。ゆき子が上京してアパートを借りると、富岡が転がり込んできて、彼女のパラサイトになってしまう。富岡の子を宿したゆき子が、ようやく富岡の住所を知り、やってくると、なんとそこはゆき子の部屋だったという始末。このアパートに向かうシーンでゆき子が歩いているのは、渋谷区猿楽橋の下とのこと。

やがて帰ってきた富岡に、喫茶店で妊娠を告げるゆき子。「僕は子供がいないから、産んで欲しいなぁ」などと調子の良いことを言う。それが本心ではないことは、ゆき子は見抜いているのだけど、演歌のヒロインのように、ついつい絆されてしまう。その喫茶店での帰り道。西武池袋線と山手線が交差するあたりを二人が歩く。そこでゆき子は、富岡の妻・邦子が結核でもう長くはないことを知らされる。

というわけで、ここから、富岡の「懲りないダメ男ぶり」全開で、ゆき子との生々流転が、次々と驚きのエピソードとともに描かれていく。女を落とすことには長けているが、仕事運は全くない富岡と対照的に、伊庭は闇屋を皮切りに金儲けを続けて、ついには新興宗教の教祖となって濡れ手に泡。二人とも下衆な男なのだけど、お金に関しては明暗が分かれていく。

富岡はずるずるとおせいとの関係を続けていくが、ある日、嫉妬に狂った夫・向井が逆上しておせいを殺してしまう。もちろん直裁的には描かれていないが、ゆき子が産婦人科で堕胎手術を受け、横になった時に、隣のベッドにいた水商売風の女が読んでいた新聞で、その事件を知ることに。成瀬映画における加東大介が演じるキャラの「顛末」は、この後も、『女が階段を上る時』(1960年)や『秋立ちぬ』(1961年)でも「省略」という形で描かれていく。

やがて、富岡の妻・邦子が病没。葬式代にも事欠く富岡は、伊庭の囲い者になったゆき子に借金にやってくる。妻の葬式代を愛人に借りるダメ男の極み。でも森雅之が演じると、そのダメ男もサマになる。伊庭の家があるのは、原作では鷺宮だが、ロケーションは小田急線・代々木上原駅の近く。

クライマックス、富岡は、ようやく農林省の仕事に復帰、新任地の屋久島に行くことになり、「死んでも離れない」と宣言していたゆき子も同行するが…

それまで市井の倦怠期の夫婦などの「やるせない物語」を描いてきた成瀬映画だが、この『浮雲』は、物語のスケールが大きい。戦時下のインドシナ→焼け跡のバラック→伊香保温泉→新興宗教→教団の金の持ち逃げ→逃げるように鹿児島→屋久島へ。どんどん堕ちていく二人。ラストはあまりも切なく、つらく、見ていて苦しい。「花の命はみじかくて 苦しきことのみ 多かりき」である。

なんたって森雅之に関わった三人の女性。中北千枝子、岡田茉莉子、高峰秀子のいずれもが、あまりにも悲しい最期を遂げてしまうのだ。文芸映画とはいえ、ここまで業の深い物語はそうそうない。この映画を観て小津安二郎は「俺にできないシャシンは溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだ」と語り、昭和32(1957)年、救いのなさでは双璧の『東京暮色』を撮ることになる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。