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『秀子の車掌さん』(1941年9月17日・南旺映画・成瀬巳喜男)

7月21日(木)の娯楽映画研究所シアターは、連夜の成瀬巳喜男特集。今回は太平洋戦争直前、まだのんびりとした空気が味わえる小編『秀子の車掌さん』(1941年9月17日・南旺映画)をDVDからスクリーン投影。

製作の南旺映画は、1939(昭和14)年に国会議員・岩瀬亮が設立、大日本児童映画協会として教育映画を製作するも収益が上がらず、東宝と配給契約。千葉泰樹監督『空想部落』(1939年)を皮切りに一般映画を製作することに。しかし経営不振で、結局東宝傘下となり、テコ入れで藤本真澄がプロデューサーとして出向、千葉泰樹の『秀子の応援団長』(1940年)など、低予算、高収益の娯楽映画を製作していた。

少女スターとして東宝のドル箱だった高峰秀子をフィチャーしての微苦笑の喜劇。井伏鱒二の短編「おこまさん」を成瀬自身が脚色。山梨の小さなバス会社の車掌のデコちゃん、藤原釜足改め藤原鶏太の運転手コンビの、微笑ましい日常を描く。ロケーションが美しく、眺めているだけで長閑な気分になる。新興東京から前年に南旺映画に移籍してきたカメラマン・東健によるロケーション撮影が最大の効果をあげている。

高峰秀子 藤原釜足

甲州街道沿いをのんびり進む路線バス。運転手・園田(藤原鶏太)と車掌・おこまさん(高峰秀子)は名コンビ。社長(勝見庸太郎)はケチで、バス運行にほとんど力を入れておらず、2ヶ月も給料が遅配。それでも客が少ないから「仕方ないか」と呑気な二人。ライバルの開発バスは、新車を導入して、いつも混んでいる。北甲バスを利用する人は滅多にいない。

ある日、下宿のおばさん(清川玉枝)から教えてもらって、ラジオで東京のバスガールの「名所案内」に感激。自分たちも「名車案内」をしようと園田に持ちかける。社長からもOKとなり、文案は街の旅館に泊まっている、東京の小説家・井川先生(夏川大二郎)に頼むことに。

この井川先生、変わり者で、バスの案内が好きで、喜んで「名所案内」の原稿を執筆してくれ、さらには懇切丁寧に、おこまさんにイントネーション、読み方、タイミングなどを指導してくれる。

といった、他愛のないエピソードが微笑ましく展開。ドラマといえば、バス会社の社長が相当のワルで、従業員のことなど考えていなくて、園田がバスを田んぼに落として、おこまさんがケガした時も「エンジンを壊せ、保険金が下りるから」と偽装工作を指示。それはできないと義憤を感じた園田とおこまさん、会社を辞める決意をする。しかし井川先生が間に入ってくれて・・・

というわけで、この井川先生の「モラル」社長の「不正」の対比がドラマといえばドラマ。しかもラストは、かなり皮肉な展開。51分の小品だが、戦前の甲州の空気をいっぱい吸い込んだ気分になる良作。

Facebookにこの記事をアップしたところ、笠井雅人さんから、ご親戚、お祖母さまのお姉さまの嫁ぎ先が、この映画の舞台となった甲州街道沿いだったそうで、戦時中、勤労動員から帰省したお父様が、この家を訪ねると、井伏鱒二が散歩している姿を見かけたそうです。また、作品中に出てくる踏切は、青梅街道の正式な起点とのこと。地元では「山崎の踏切」と呼んでいるそうです。笠井さん、貴重なエピソードありがとうございます。



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