『エノケンの千萬長者』『エノケンの續千萬長者』(1936年・山本嘉次郎)


  昭和11(1936)年はエノケンにとっても最も充実していた年でもあった。この『千萬長者』が前後編として公開されたのは7月と9月だが、8月にはポリドールと専属契約を結んで「エノケンのう浮かれ音楽」をリリースしている。この曲は『千萬長者』のなかで、二村定一によって唄われており、舞台でも8月上演の菊谷榮作「ミュウジック・ゴオズ・ラウンド」の主題曲でもある。ハリー・ボーモント主演の『粋な紐育っ子』の主題曲としてこの頃流行したジャズソングである。さて『エノケンの千萬長者』は、第二作『エノケンの魔術師』(1939年)以来の現代劇で、P.C.L.映画らしい都会的なモダンな音楽喜劇となっている。日劇での公開時には、エノケンが映画を作る際に意識したと思われるエディ・キャンターの『当り屋勘太』が併映されている。


 タイトルでタキシード姿のエノケンが挨拶代わりに主題歌「洒落男」を唄うが、歌詞はもちろん映画用に作られたもの、主人公江木三郎の来歴が紹介される。この「洒落男」、エノケン・ソングの代表曲として知られているが、意外なことに戦前にはレコード吹き込みはされていない。盟友・二村定一のヒット曲ということもあったのだろう。本作では、日本のジャズシンガーの祖ともいうべき、二村とエノケンの歌がタップリたのしめる。


 大金持ちの御曹子でバンカラのエノケンが、質実剛健の精神を伯父の柳田貞一に否定されて、お金遣い放題の金持ち教育を強制される。不良の家庭教師・二村が派遣されて・・・という展開は、映画プロットとしてはいささか弱い。が、前半の物語をPB文芸部の大町龍夫、後半を菊谷榮が書いて、山本嘉次郎がまとめたと聞けば納得できる。舞台でのエノケン喜劇の構成や展開を知る上では、貴重な作品だろう。


 カフェーのおとしちゃん(宏川光子)と恋に落ちた三郎が、伯父のデパートに就職しファッションショウで、二村と共に唄うミュージカル・シーンの充実は、エノケン映画の中でも随一。全編のクライマックス、カンカン帽にモーリス・シュバリエ風のディナージャケットを来た二人が唄う「ユカレリ・ベビー」は、 PBの同名舞台の主題曲。後編で、エノケンが「セントルイス・ブルース」を黒塗りのミンストレル・スタイルで唄うが、ハリウッド映画でエディ・キャンターやアル・ジョルスンのスタイルを模倣したもの。デパートをクビになった二村が、恋人・高清子とキャバレーで唄う曲は、MGMミュージカルの『踊るブロードウェイ』(1935年)でロバート・テイラーが唄った「I’ve Got a Feelin’ Youre Foolin’」。「Music Goes Round And Round」同様、最新のハリウッド映画のヒット曲である。この先取性とモダニズムこそが、エノケン映画の魅力であり、舞台のレビューの充実ぶりが伺える。


 後半のクライマックス、エノケンが11役で親戚一同を演じるシーンがあるが、第三作『近藤勇』の坂本竜馬との二役以来、エノケン何役というのが映画の売りでもあった。この後も『爆弾児』(1941年)、『エノケン虎造の春風千里』(同)でもこのパターンが続く。ともあれ、続篇のオープニングに活写される、昭和11年の銀座風景に代表されるモダニズムがこの『千萬長者』の最大の魅力だろう。

製作=P.C.L.映画製作所 配給=東宝映画
正編 1936.07.21 日本劇場 /7巻 1,599m 58分 白黒/ 同時上映『当り屋勘太』(ノーマン・タウログ)/同時上演「日劇アトラクション 浪曲学校」(井口静出演)
後編 1936.09.01 日本劇場 /7巻 1,466m 54分 白黒/同時上映『殺人都市』(L・フリードランダー)/同時上演「第八回日劇ステージショウ 日劇秋のおどり」
<スタッフ>
脚色・演出:山本嘉次郎 /原作:エノケン文芸部 /撮影:唐沢弘光 /音楽:栗原重一 /装置:北猛夫 /録音:山口淳/振付:澤カオル/演奏:エノケン管弦楽團
<配役>
江木三郎:榎本健一/ヨタ歌手: 二村定一/伯父:柳田貞一/家令・加藤:中村是好/従妹・ミヤ子: 椿澄枝/女給・お雪:高清子/同 おとし:宏川光子/綾小路道子:北村季佐江/兄 増麿:北村武夫/太田:竹村信夫/小川:如月寛多/隣の亭主:山形凡平/その女房:若山千代/バアのマダム:千川輝美

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