『花と怒涛』(1963年)
小林旭と鈴木清順監督。1958(昭和33)年、『踏みはずした春』(6月29日)と『青い乳房』(9月8日)の二本の青春もので組んでいる。その頃の小林旭は、後の「渡り鳥」イメージからは想像もつかないナイーブな悩める青年像を演じ、清順監督もそうした世界を正攻法で演出していた。それから五年、マイトガイとして日活を牽引するスターとなったアキラと、後に清順美学と呼ばれる演出スタイルを確立しつつあった清順監督が再会を果たしたのが、1963(昭和38)年、『関東無宿』(11月23日)。この年、任侠映画というジャンルが日活、そして東映で開花し、それまでのアクション路線も大きく転換期を迎えていた。1964(昭和39)年、そのコンビによる任侠路線の第二弾が、大正ロマンチシズムあふれる傑作『花と怒涛』(2月8日)だった。
日活マーク開け、帆掛け船が画面いっぱいに写ったところで「花と怒涛」のタイトル。主題歌のイントロが流れるなか、半纏を翻しながら一人の男が、葦の原を思い詰めたように走る。パラリと脱ぎ捨てられる組の半纏。そこで主題歌「男一筋」(滝田順作詩/古賀政男作曲)が流れ出す。重く立ちこめた雲、寒々とした冬の夕焼けを行く花嫁行列。歌が終ったところで、法っ被りをした菊治(小林旭)のアップ。花嫁おしげ(松原智恵子)が「菊さん!」と叫ぶ。
時は大正の半ば、舞台は浅草。オペラ華やかなりし頃。「東京節」が流れる浅草の繁華街。遠くには十二階の愛称で親しまれた「凌雲閣」がそびえ立つ。主人公・尾形菊治の命を狙う、マントに仕込み杖を持つ不気味な男・吉村健二(川地民夫)が現れる。快調な滑り出し。菊治は親分の意に背き、嫁入りをする、想い人のおしげを奪取、浅草に身を潜めていることが、この開巻シーンで判明する。メンツのため、菊治の命を狙おうとする勢力。追う側と追われる側の焦燥とサスペンスが、デフォルメされた大正風俗のなか繰り広げられる。
刺客として送られた川地民夫のペラゴロ・スタイルが実にユニーク。ペラゴロとは、大正時代に浅草で大流行したオペレッタに夢中になった遊び人のこと。ゴロとはごろつきと、ジゴロの意味があるという。ペラゴロは新しモノ好きのスノッブということで、無声映画のスター、ルドルフ・バレンチノ風の帽子を被っている。こうしたキャラクターは、監督や美術の木村威夫に加え、川地も積極的にアイデアを出したという。『野獣の青春』(63年)でエキセントリックなマザコンの殺し屋を創造した川地のさらなるエスカレートぶりが楽しめる。
限られた予算で、大正半ばの浅草を創造したのが木村威夫。浅草の路地をセットに作り上げる際に、通常であれば凌雲閣をステージの一番奥のホリゾントに遠景として設置するところを、逆転の発想でスタジオ入り口から扉を開けて、外に十二階を立てたという。そのことで、風景が大きく見えるという最大の効果となった。そのため浅草のセット場面は、すべて夜間撮影となったという。
戦前からのベテラン永塚一栄のキャメラが、大正ロマンのイメージ作りに貢献。セット撮影と、冒頭の花嫁行列や、中盤の現場での出入りシーンなど、空間の広がりを意識した屋外撮影のメリハリも効果的。セットでは奥行きのある映像で、ロケでは横移動中心のパノラミックなビジュアルが繰り広げられる。
清順映画ではおなじみの玉川伊佐男の刑事、江角英明や野呂圭介の人夫、そして高品格の飲み屋の親爺といったバイプレイヤーたちのコラボレーションも絶妙。まだあどけなさの残る松原智恵子の“耐えるヒロイン”の健気さ。対照?的なのは、久保菜穂子が演じた馬賊芸者で粋で鯔背な鉄火肌の万竜姐さん。万竜が、料亭の庭先で乱闘になった菊治に、ポンとピストルを投げ出す呼吸。さらに『花と怒涛』を引き締めたのが、菊次を後見する土建組合長・重山を演じたベテラン滝沢修。小林旭も「これは、滝沢修さんの芝居の素晴しさが随所に光っていて、良い勉強をさせてもらった作品だね。また滝沢さんの声が良いんだ。日本を代表する本当の名優だね。久々に役者の方と芝居をしたという感触があって、とてもハッピーだったね」(アキラ自作を語る2006 小林旭爆裂アクションDVD-BOXより)と述懐している。
主題歌、挿入歌ともに、古賀政男が書き下ろしたもの。雨の降るなか、一向に働かない土方たちをよそに、もくもくと現場で仕事をするシーンに流れる「花と怒涛」(杉野まもる作詩)は絶妙のタイミング。村田組小頭・桜田(深江章喜)とぶつかり、自分の意見を述べた菊治が、飯場から外に出たところで歌が始まる。こうした歌の力を知っている清順演出は、実に気持ちが良い。
クライマックス、果たして二人の道行きは? のサスペンス。雪の新潟を再現したセットの人工美。最後の最後まで清順監督と木村威夫による数々の仕掛けが堪能できる。小林旭と清順監督は『俺たちの血が許さない』(64年)が最後の作品となるが、その後二人の共同監督で『壬申の乱』(未映画化)が企画され、実現を見なかったが『ピストルオペラ』(2001年)で小林旭への出演オファーがされるなど、二人の厚情は、続いて行くことになる。
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