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2003年「エノケン生誕100年」で執筆したアーカイブ原稿です。
 

 日本を代表する喜劇王エノケンこと榎本健一は、1904年10月11日生まれ。生きていれば2003年で満99歳。明治生まれのエノケンとしては、今年は数えで100歳。というわけで2003年が生誕100年のアニバーサリー・イヤーということになった次第である。今年100歳のコメディアンは、日本ではエノケンのライバルであり盟友であったロッパこと古川緑波、アメリカでは先日100歳を迎えて大往生したボブ・ホープがいる。エノケン、ロッパ、ボブ・ホープはなんと同世代。

 アメリカでは5月のボブ・ホープの誕生日に盛大なセレモニーが開催された。それに併せてバイオグラフィのドキュメンタリーが放映され、記念DVDも多数リリースされている。それに比べて、日本ではロッパ生誕100年といっても、関連アイテムどころか話題にも上らない。残念というほかない。エノケンもそうした状況が予想されたので、1999年、各界の識者たちで<エノケン生誕100年>に向け、東京喜劇研究会が発足された。代表には元・TBSのディレクターで喜劇研究家の向井爽也氏、メンバーはエノケン文芸部出身の作家・井崎博之氏、音楽評論家の瀬川昌久氏、元・国立劇場の平島高文氏など往時を知る方々や、娯楽映画研究の肩書きで内外のシネ・ミュージカルや喜劇映画を守備範囲にしている筆者、東京喜劇の研究では第一人者の原健太郎氏、そして川畑文子や中川三郎などニッポン・ジャズエイジの評伝を執筆した乗越たかお氏、江戸東京博物館の学芸員である松井かおる氏など、エノケンを知らない世代の寄合所帯で、さまざまな活動をしてきた。

 2003年10月11日には所縁の浅草・東洋館で「エノケン生誕100年祭」を開催し、9月26日からは江戸東京博物館で「エノケンとレビューの時代展」がオープンし、11月には同博物館で「生誕100年記念映画祭」が開催された。また、東京喜劇研究会編による研究書「エノケンと<東京喜劇>の黄金時代」(論創社)も刊行することができた。

 筆者も内外のソフトパッケージやCDのプロデュースをさせていただいている関係で、エノケン関連ソフトをということで、ユニバーサル・ミュージックの「唄うエノケン大全集〜蘇る戦前録音編」、東芝EMIの「エノケンMEEETSトリロー」のいずれも二枚組CD、東芝EMIの「歌うエノケン捕物帖」「エノケン笠置のお染久松」など 4タイトルのDVDの企画/監修をさせていただいた。

 エノケンのCDは過去に、東芝EMIから「蘇るエノケン 榎本健一大全集」、「エノケンの大全集」「(同)完結編」「エノケンのキネマソング」、そしてキングから「エノケン芸道一代」、「あがた森魚のTHEエノケン」「懐かしの浅草オペラ」と7タイトルがリリースされている。「〜キネマソング」はP.C.L.及び東宝映画のフィルムから採録したサントラだが、後のタイトルはいずれも晩年に吹き込まれたもの。昭和38年から昭和43年にかけてリバイバルの気運が盛り上がった時のもので、いわゆる全盛時代のものではない。

 戦前録音のCD化としては、昨年通販商品としてテイチクからリリースされた「ザッツ!浅草芸人」(5枚組)の中に収められているポリドール音源のものと、CD草創期にビクターから発売された「昭和の歌謡コミック・ソング集」に収録されている「のんきな大将ブロードウェイ見物」(エノケン、中村是好)と「モンパパ」(エノケン、二村定一)、それにダイセル加工のSP復刻版『日本の流行歌史』程度だった。

 エノケンが初めてレコードを吹き込んだのが昭和7年。浅草、松竹座を常打ち小屋とした劇団ピエルブリヤント(以下、PB)時代にさかのぼる。日本初のジャズ・シンガーとされる二村定一とのデュエットによる「エロ草紙」が初録音とされる。昭和7年から10年にかけてエノケンは、リーガル、ヒコーキ、太陽などの吹き込みを経て、昭和11年、ポリドールの専属となる。昭和16年までエノケンはポリドールで、ジャズ・ソング、コミック・ソング、そして映画、舞台の主題歌と精力的に吹き込みを続けることになる。

 その直前の昭和9年、エノケンは映画にも進出。創設なったばかりのP.C.L.(後の東宝)映画『青春酔虎伝』(1939年山本嘉次郎、東宝キネマ倶楽部よりビデオ発売)はPB座員総出演のレビュー喜劇であり、その芸風もよく似ているブローウエイ出身のエディ・キャンター映画を意識したものだった。映画進出の成功により、エノケンは東京の浅草のスターから、知名度と人気は一気に全国区となる。この頃のエノケンは、舞台、映画問わず、最新のジャズや映画主題歌をいち早く取り入れ、コミカルな歌詞を独特の節回しで歌い、庶民のみならず識者からも熱狂的な支持を受けていた。

 昭和10年代のエノケンは、その人気、実力ともに最も充実していた。残念ながら舞台については、往時を知る方のみのものであるが、その時期の映画は、東宝のキネマ倶楽部でビデオ化されて見ることが出来る。出来不出来のあるエノケン映画であるが、その短身を活かしたダイナミックなアクション、オーバーかつコミカルな表情、独特の塩辛声のテナーによるモダンなジャズソングの数々など、遅れてきた世代を魅了するだけのインパクトはある。

 しかし戦前音源はほとんど手に入らない。SP盤コレクターの間でも、エノケンのポリドール時代のものは、レコードが売れたのが東京など都市部だけとあって戦災で消失したものも多く、個人ではコンプリートすることもままならなかったようだ。戦後、エノケンのポリドール時代の録音は、1977年にポリドールから14曲入りのアルバムがリリースされたのみで、先述の「ザッツ!浅草芸人」でCD化されるまで、全く復刻されることはなかった。

 私事で恐縮だが、筆者がエノケンの戦前ポリドール録音に魅了されたのは、このLPであり、レコードコレクターズ創刊号(1982年4月20日発行)掲載の瀬川昌久氏「戦前の日本人ジャズ・シンガーたち」を読んで、より一層エノケンへの思いを強くした。
 少し長いが瀬川氏の原稿を引用させていただく。

 「次にエノケン、これは又大変なジャズ歌手である。何しろ自ら日劇の舞台に後藤博をリーダーとするエノケン・ディキシーランダースを出演させてジャム・セッションをやった位のジャズ好き。栗原重一の指揮編曲するピエルブリアントの劇団所属バンドは、毎週アメリカから新しい譜面をとりよせて、新曲をステージに発表した。舞台や映画のエノケンの芝居には、数々の外国曲の旋律が巧みに使用されていた。しかしレコードとなると、昭和11年にポリドール専属になってから、戦前5年間に僅かに三十数曲を吹込んだのみ。その中には、有名な「ダイナ」「月光価千金」「南京豆売り」から、「トカナントカ言っちゃて」など和製コミック・ソングまで色々あり、「エノケンの浮かれ音楽」は、「ミュージック・ゴーズ・アラウンド」で、岸井明、ミネ、コロムビア・リズム・ボーイズと四者競演になっている。何れにしても、エノケンの唄は調子を外しているようだが、抜群のセンスで独特のアドリブをやっているわけで、まさに空前絶後の日本的ジャズ・シンガーと言えると思う。ポリドールから1枚のLP(14曲)が出ているが、全曲収録のアルバムを絶対に出すべきだろう。
         瀬川昌久 「戦前日本のジャズ・シンガーたち」より


 いつか戦前ポリドール録音のアルバムを、と思っていたのは筆者だけではないだろう。これまでも、諸先輩方がエノケンの戦前アルバムを企画されてきたと思われるが、幸いにも生誕100年事業の一環としてアルバムを成立させることが出来たのは、こうした方々の思いがあってのことだと感謝している。

 しかし残されていたのは、前述のポリドールLP復刻用のマスターテープのみ。しかもライブラリーのLPから盤起こししたテープの針飛びが著しかった。そうしたこともあって、今回はSPからほとんど全ての楽曲をマスタリングし直す必要があった。とは云ってもメーカーに原盤はなく、若手のSP研究家の保利透氏の尽力で、全国のレコードコレクターの協力を仰ぎ、楽曲集めに奔走した。一人の方で全曲が集まるわけでもなく、彼らの強力なネットワークがあって、ようやく40数曲の音源を集めることができた。この場を借りてお礼の言葉を述べたい。

 しかし、どうしても見つからない楽曲、せっかくお借りしても不適切な表現や放送コードなどもあって、収録叶わなかった楽曲もある。ともあれ、昭和11年8月のポリドール初吹き込みの「エノケンの浮かれ音楽」から、戦後のエノケン・プロ=新東宝製作、野口久光氏プロデュースによる『とび助冒険旅行』の主題歌「こころも軽く」と挿入歌「迷子の迷子のお福ちゃん」までのポリドール録音。さらに昭和10年のPBの名作舞台、菊谷榮作「民謡六大学」のテイチク録音、フランス映画「靴屋の大将」の翻案曲「嘆きの靴磨き」などもボーナストラック的に収録している。

 「〜浮かれ音楽」は、1936年封切りのハリウッド映画『粋な紐育っ子』の主題歌「Music Goes Round’ and Around」のカヴァーで、36年8月のPB舞台「ミュウジック・ゴオズ・ラウンド」(菊谷榮作)の主題曲でもある。この曲は大流行したようで、エノケン盤のカップリングは「ベティの浮かれ音楽」だし、競作リリースされている。映画『エノケンの千萬長者』(1936年山本喜次郎、キネマ倶楽部よりビデオ発売)では二村定一がコーラスガールたちと歌っている。

 もちろん十八番の「月光値千金」(〜価千金、〜價千金など表記は様々)、お馴染みの「〜ダイナ」などスタンダードが並んでいる。余談だがエノケンの代表曲「洒落男」は、戦前は映画『〜千萬長者 前後編』の主題歌として歌われた(CD「〜キネマソング」収録)のみで、レコード吹き込みは戦後になってから、である。

 映画『江戸っ子三太』(1936年岡田敬、キネマ倶楽部よりビデオ発売)でも歌われた「僕の一生」は、ファッツ・ウォラーの「浮気はやめた」の替え歌だったり、と洋楽のカヴァーが実に多い。しかも演奏のレベルは実に高く、エディット・ピアフの名曲を歌った「エノケンの暗い日曜日」のピアノは、明らかに名ピアニスト和田肇のもの。和田はこの頃、PBの舞台に客演、エノケンと共演している。

 珍しいのは、昭和16年3月、宝塚歌劇の白井鐵造演出による「新国民劇レビュー エノケン龍宮へ行く」の主題歌で、草笛美子との共演の「竜宮の唄」だろう。公演があった月に東京限定で同時発売されたもの。レアなものでは、女エノケンこと武智豊子との「流行歌数え歌」も、77年のLP、CD「ザッツ!浅草芸人」収録分とは歌詞が異なるテイクを収録。

 監修には瀬川昌久氏、ライナーには本誌でもお馴染みの岡田則夫氏にもご寄稿いただくことができた。ともあれ30曲二枚組に収められた全盛期のエノケンの勢いと息吹きを感じていただければ、これに勝る喜びはない。

 そして、100年を記念してもう一つ実現出来たのが東芝EMIの「エノケンMEETSトリロー」(二枚組)。三木鶏郎といえば戦後「冗談音楽」で一世を風靡した日本を代表するソングライターであり、風刺作家としても一時代を築いた偉人である。三木とエノケンのコンビは、戦後、ラジオ、舞台、映画、テレビで数多くのコラボレーションを残したことで知られる。

 エノケンは三木に全幅の信頼を置いていたようで、晩年に数多くのトリメロを吹き込み、エノケン・ソングの数々のアレンジを三木が手掛けている。昭和44年に発売された東芝の二枚組アルバムの完成度の高さは、二人の友情の賜物だろう。85年に発売された初CD「蘇るエノケン 榎本健一大全集」(東芝EMI)は、このアルバムのセッションだし、92年に三木鶏郎自身が製作にあたった二枚組「エノケンの大全集」(東芝EMI)のDISC1「エノケンおおいに唄う」もまた同アルバムからのセレクションだった。DISC2「エノケントリメロを唄う」は、昭和20年代から30年代にかけてのレコード以外の三木鶏郎とのセッションを集めたものだったが、残念ながら楽曲の出典は明らかではなかった。

 2004年は、ちょうど三木の没後10年であり、生誕90年の年でもある。そういう意味もあって、三木とエノケンのレコード以外でのセッションを、ジャンル別、作品別に集成したのが「エノケンMEETSトリロー」である。

 二人のコラボレーションは、『落語長屋シリーズ』(昭和29年東宝)に代表される映画主題歌や挿入歌、「ユーモア劇場」「河童の園」「泣くな兵六」などのラジオ、「無茶坊弁慶」「泣きべそ天女」などの舞台、そして草創期から晩年にかけてのテレビオペレッタやミュージカルに大別される。

 今回、三木鶏郎企画研究所に現存する6ミリテープの音源、同研究所の竹松伸子氏による詳細なデータをもとに、映画フィルムやシナリオから楽曲の特定に取り組んだ。映画音楽のセッションは残っているが、肝心の挿入歌が欠落しているものもあって困難を極めた。しかし、三木氏自身が整理されたテープの中に入っている楽曲があったり、さらに榎本健一未亡人宅から発見されたテープの中に、貴重なラジオ版「落語長屋」のスタジオマスターがあるなど幸運なことも続き、ほぼ全てのセッションを収録することが可能となった。

 トリロー・ソングの魅力は、痛烈な風刺精神と、心躍る軽やかなリズム、そして適度にアメリカナイズされた陽性のメロディ。戦前にジャズや映画音楽を貪欲なまでに取り入れ、戦後も服部良一のブギウギ・ムーブメントの台風の目である笠置シヅ子とのコンビで時代を唄ったエノケンが、三木とのコラボレーションを自ら申し出たというのも納得できる。

 今回のリサーチで、昭和24年から晩年に至る二人の友情の足跡を詳細にたどることができた。舞台に新機軸を求めた昭和24年、時代の寵児であった三木鶏郎をエノケン自らが指名した「無茶坊弁慶」(日劇)の舞台のこと。昭和27年、業病である突発性脱疽に見舞われたエノケンが、舞台や映画を休演した辛い時期に、その健在ぶりを発揮させたラジオの音楽に三木を指名したエピソード。また三木の「ユーモア劇場」(NHK)が国会で問題となった昭和29年に、三木をエノケンが強力にサポートしたことなど、これまで断片的に伝えられてきたことが、より明確となった。

 「ユーモア劇場」音源は、これまでリリースされたトリロー関連CDに収録されているので、割愛させていただいたが、昭和29年の『落語長屋は花盛り』から昭和30年の『お笑い捕物帖 八ッあん初手柄』までの映画挿入曲を網羅、さらに開局間もない日本テレビで放映された昭和29年のテレビオペレッタ「嘘」の貴重なリハーサル音源などを収録。特に後者は、三木のピアノで、おそらく初見の譜面を唄いこなすエノケンのリラックスした雰囲気が伝わってくる。

 また「エノケンの大全集」「(同)完結編」「〜キネマソング」も、100周年を機に再発された。同時発売のDVDは。戦後間もなくエノケンが独立プロを興して製作した音楽映画『唄うエノケン捕物帖』と『エノケンのお染久松』といずれも服部良一音楽作品と、スポーツ映画『エノケンのホームラン王』と『エノケンの拳闘狂一代記』の計四本。既存のマスターからさらにデジタルリストアし、楽曲チャプターなど詳細に設定させていただいた。

 戦前から戦後にかけてのエノケンがこれらのソフトで鳥瞰出来るようになったが、今回の調査でポリドール以前の二村定一とのセッション音源や、戦後の帝劇や日劇、そして新宿コマのライブ音源などが多数発見された。この中には「第二回喜劇人まつり アチャラカ誕生」の「最後の伝令」もある。これらの音源にスポットをあてて行く機会を、是非これから創って行きたい。
            
佐藤利明(さとうとしあき 娯楽映画研究)
1963年生まれ。ハリウッドのシネ・ミュージカルと日本の喜劇映画をこよなく愛し、内外旧作映画のソフト化等のセレクションやプロデュースを手掛ける。江戸東京博物館での「エノケンとレビューの時代展」「エノケン生誕100年記念映画祭」の企画。単行本「エノケンと<東京喜劇>の黄金時代」(論創社)では映画についての論考を執筆。

2003年「レコードコレクターズ」より


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