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『まごころ親爺』(1940年12月4日・東宝京都撮影所・藤田潤一)

柳家金語楼劇団、吉本興業共同作品『まごころ親爺』(1940年12月4日・東宝京都撮影所・藤田潤一)。前作『金語楼のむすめ物語』(4月10日)から8ヶ月、この間に庶民の暮らしは大きく変わった。1940年7月7日「ぜいたくは敵だ」の7.7禁令がスタート。新体制の名の下に、すべてが戦時体制に向かってゆく。ちなみに金語楼劇団は、この年旗揚げしたばかり。

柳金兵衛(金語楼)は、丸の内の柳金融の社長。金が第一、家族さえ幸せであればイイという独善家。早くに妻を亡くし、長男・金一(斎藤英雄)と長女・とし子(若原春江)を男手ひとつで、育ててきた。

いつもの金語楼喜劇と同じような設定で、珍しく、仕事第一のワーカホリック。金一はビジネスマンとして、金兵衛の右腕としてはたらき、とし子は花嫁学校に通って、花嫁修行中。

若原春江は、金語楼映画の常連で、いつも娘役を演じている。『プロペラ親爺』『金語楼の大番頭』『金語楼の親爺三重奏』(1939年)、『金語楼のむすめ物語』『金語楼の臆無情』(1940年6月26日)、そして本作と六本目の共演となる。ちょうど本作の直前、オルコット女史「若草物語」を翻案した、原節子主演『姉妹の約束』(10月30日・山本薩夫)で原作のベスにあたる三女役を演じたばかり。また、本作と同時上映の吉屋信子原作『蔦』(東宝東京・萩原遼)にも出演している。

若原春江、金語楼、斎藤英雄

さて『まごころ親爺』は、東宝京都作品なので、設定は東京だが、ロケーションは京都の街並み、銀行街を丸の内に見立て撮影。住宅の壁に、東京都マークをあしらったり、スタッフの苦肉がうかがえる。

ケチケチ金兵衛は、自分への投資はケチらずに、どうしても手に入れたかった工業用地が、他の連中の手に渡りそうになると、なんと10倍の金を出して、地主(林寛)からむりやり買い取る。

その土地は、共働き家庭や貧しい人々のための託児所、保育園「子どもの家」拡張のため、近所の有志がなけなしのお金を出し合って購入予定だった。が、金兵衛の横槍で、庶民の切実な希望ははかなく消えてしまう。

子どもの家の園長(水町庸子)の娘・君代(堤眞佐子)は保育士で、なんと金兵衛の娘・とし子も、花嫁学校には行かずに保育士をしていた。

保育士のボランティアに

ファーストシーンで、仲睦まじい姿を見せていた、柳一家だが、それぞれ秘密があり、父の拝金主義に対して、子どもたちは、新体制の時代にふさわしく「自分に出来ることはないか」と考えている。

それが、とし子の保育士ボランティアであり、金一の困った人への積極的融資だったが、それが父子の齟齬となり、家族はバラバラとなる。

山崎謙太の原作、シナリオは、いつもの金語楼劇団スタイルの喜劇なのだが、完全に時局迎合、新体制礼賛のプロパガンダになっている。8ヶ月前の『金語楼のむすめ物語』と見比べるても、笑いの質は変わらないだけに、プロパガンダ色が強烈になってきたことがわかる。

戦前の京都の街並み
丸の内の柳金融は、京都で撮影

君代や、その親友の雪子(宮野照子)たち、子どもの家をなんとかしたいと、有志を集めて会議をしている。金満家の柳金兵衛の独善に対して、怒り心頭の有志たち。彼らは市井のおかみさんや、商店主たち。だれもが「子どもたちのため」に懸命である。腹の虫がおさまらない浪曲師(鬼頭善一郎)に、ならば寄席の高座で、金兵衛の悪口をまくしたてたらと、おかみさん連中に煽られる始末。

この美談的ムードは、隣組システムの反映でもあるが、当時の観客は素直に、金語楼=悪、庶民=善と捉えて、感情移入したことだろう。

勧善懲悪、実は「ぜいたくは敵だ」の新体制プロパガンダ。だから、今の目線で見ると、居心地が悪いというか、うへぇ!である^_^ それゆえ、後半は金語楼が自分の独善的な考えが間違いだったと気づく展開となっている。喜劇だけど、行き当たりばったりではなく、教育的効果を意識しての構成である。

宮野照子、堤眞佐子

妹・とし子から事情を聞いた金一は、庶民の夢を実現することに使命感を感じて、独断で父が購入した会社の土地を、こどもの家に提供。君代たちは、子どもたちと一緒に土地を慣らし、雑草を刈り取り、近所の主婦たちもでヨイトマケをして「子どもの家」の建設が始まる。このあたりは、戦後民主主義をスローガンにしたプロパガンダ映画とよく似ている。いずれも、本当の幸せは「自分はさておいて、皆の幸せを考えて、行動をすること」

金一が土地を勝手に寄贈したことを知った金兵衛は、頭に血が上り金一を勘当。このとき、子供たちは父に「新体制」の世の中だから「事業を自粛して欲しい」と懇願する。拝金主義の金兵衛は応じずに、とし子を家に閉じ込める。これまた、間違った行動である。

子供たちと断絶して、自棄酒に溺れた金兵衛、夜の街でタクシーをつかまえて「芸者のいるところへ」、しかし運転手は「花柳界へ行くお客さんは載せない」とお上からのお達しに従って乗車拒否。屋台の親爺に、酒を飲ませろ、なにか食べさせろ、と詰め寄る金兵衛。「時間外は酒を提供できない」と、これまた新体制である。

ならばと、金兵衛は、ワンタン屋(金語楼劇団・町田金嶺)から、酔った勢いで屋台を買い取ってしまう。喜劇映画らしい展開だけど、新体制の窮屈さを、肯定的に描いているのが昭和15年である。いよいよ、大政翼賛、国家総動員の時代へである。

酔っ払って、夜道、ワンタン屋台を引く金兵衛に「商売はどうだい?」と声をかけるおでん屋(昔々亭桃太郎)。二人のとんちんかんな、やりとりがおかしい。

いつしか土砂降りの雨。金兵衛は屋台を空き地に置いて、土管のなかで、寝込んでしまい、急性肺炎で倒れてしまう。それが子どもの家の建設予定地で、金兵衛は君代の家に運び込まれて…

土管で眠る金語楼 赤塚漫画の先取り!

医者(山口佐喜雄)から、厳しい容態と診断され、生死の境を彷徨う金兵衛。臨死体験のシーンもある。とし子もかけつけて、必死の看病。やがて金兵衛が気がつくと、子どもたちの歌声。金兵衛は、自分の不明を恥じて、目が覚めて、金儲けの事業の自粛を決意。子どもの家建設に、私財を投げ打つことに。

といった新体制プロパガンダとしては、火に入り細に入り、良くできている。それゆえ、居心地が悪くもある。子どもたちがオヤツのお芋を食べるシーン、とし子が「だれのおかげです?感謝の気持ちを歌いましょう」というと、三歳児ぐらいの子どもたちが「兵隊さんよありがとう」を歌う。それが当たり前の描写だった、とはいえ、うへぇ!である。その教室には日独伊の国旗が万国旗として飾られている。ハーケンクロイツと保育園。これもまた1940年の日常風景。

歌といえば、子どもの家、建設に汗を流す人々が歌うのが文部省唱歌「村の鍛冶屋」の替え歌。大正元(1912)年12月「尋常小学唱歌(四)」に掲載され、広く人々に親しまれた。この替え歌がクライマックスにリフレインされ、ピカピカの「子どもの家」が完成する。ラストは、健康優良児コンテスト、園児たちのなかから選ばれたのは、子沢山の女房(高清子)。金兵衛が恭しく表彰状と純綿のオムツを進呈。それに喜んだ女房は、子供を金兵衛に抱かせたまま、純綿だけを貰って席に戻ろうとする。そこでどっと一同大笑い。金兵衛が抱えていた優勝の赤ちゃんは、金兵衛におしっこをかけて、更にみんなで大笑い。

若原春江の印象的なアップ。藤田潤一作品では時々、ドキッとするようなカットがある。


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