『ジャズ娘誕生』(1957年・日活 脚本・松村基生、辻真先 監督・春原政久)
石原裕次郎シアターDVDコレクション 第93号「ジャズ娘誕生」発売!
2017年7月から刊行を続けてきた「石原裕次郎シアターDVDコレクション」当初の最終号は、この第93号「ジャズ娘誕生」(カラー復元版・初DVD化)の予定でした。
この第93号で、インタビュー連載「裕次郎とわたし」でどうしてもお話を伺いたかったのが、倉本聰先生でした。昨年9月、富良野に倉本先生を訪ねたことは、Facebookで実況中継しておりましたので、フォロワーの皆さんはご存知だと思います。
この時のインタビューで、裕次郎さんとの幻の映画企画「船、傾きたり」のお話を伺い、シノプシスを拝見して、大興奮! それが、週刊朝日ムック「映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也」に結実しました。
その準備を進めるなか、「裕次郎シアターDVDコレクション」の続刊の提案もお受けいただいて、次号から東宝の5作品のリリースが決定しました。「影狩り」二部作、「反逆の報酬」は初DVD化です。(もちろん「裕次郎とわたし」もあと5号続きます!)
というわけで1957年、昭和32年公開の『ジャズ娘誕生』は、数年前、国立フィルムアーカイブスで復元されたピカピカのカラー版です。カラーで裕ちゃんが歌い踊り、江利チエミさんが最高のパフォーマンスを見せてくれます。
ここだけの話。ノンクレジットですが、タコ社長こと太宰久雄さんが裕次郎さんのミュージカルナンバーに出演しており、寅さんファン、裕ちゃんファンにとっては「夢の競演」をしております。これも必見です!
『ジャズ娘誕生』(1957年・日活 脚本・辻真先 監督・春原政久)
夢に描いた顔合せ! あたしのチエミ・あなたの裕次郎!!
製作=日活/東京地区封切 1957.04.03/10巻 2,113m 77分/コニカラー/スタンダード/併映:動物園日記・32年春場所大相撲 朝汐優勝の記
昭和32(1957)年、石原裕次郎は二本の音楽喜劇に出演している。正月映画『お転婆三人娘 踊る太陽』(1月3日公開)と、4月3日公開の『ジャズ娘誕生』。いずれも主演ではないが、コニカラーによる総天然色大作として製作された。この頃、黄金時代を迎えていたとはいえ、映画界ではテレビの普及や、レジャーの多様化にともない、その対策に頭を悩ませていた。邦画各社にとって、色彩映画と大型映画の確立と普及が急務となっていた。
日活では、小西六が開発したコニカラー・システムを採用。画像を赤・青・黄の三原色に分解して、色ごとに乳剤を塗って現像するプロセスを三回繰り返すという方式。三色分解ネガに撮影できるコニカラー・カメラを使用して、撮影されたのが、日活初の総天然色映画『緑はるかに』(55年・井上梅次)だった。そして昭和31(1956)年には、『東京バカ踊り』(吉村廉)『ドラムと恋と夢』(同)『隣の嫁』(堀池清)が作られ、『お転婆三人娘 踊る太陽』(井上梅次)に続く『ジャズ娘誕生』はその第六作ということになる。撮影には相当のライトが必要で、現場は真夏のようだったという。
さて、『ジャズ娘誕生』は、昭和20年代末のジャズ・コンサートブームのなかから誕生した、少女歌手・江利チエミをフィーチャーした、歌あり、笑いあり、人情話ありの娯楽篇。監督の春原政久は、戦前の日活太秦、日活多摩川で活躍、『わたしがお嫁に行ったなら』(1935年)などの明朗な作品を得意とした人。戦後は、大映や東映などで活躍、東宝名物となる「社長シリーズ」のルーツ的作品『三等重役』(1952年・東宝)などを手がけ、再開日活に参加。『フランキーとブーチャンのあゝ軍艦旗』(1957年)などの喜劇を得意とした。脚本には、昭和30年代末のテレビアニメ草創期から「ジャングル大帝」や「サザエさん」で活躍することになる辻真先が参加。ベテランと若手のコラボは、この時期の日活らしい。
ヒロイン、河井みどり(江利チエミ)は、大島の椿油の行商をしている女の子。幼い妹・ヒデ子(刈屋ヒデ子)と弟・デブチン(亀谷雅敬)の二人を連れて、お芳(丹下キヨ子 )をリーダーとする、大島の椿油売り一行とともに、伊豆の宇佐見にやってくる。そこで出会うのが楽団ユニバーサルバンド一行。
なかでも鼻持ちならない“太陽族”風の若者歌手の南条春夫(裕次郎)と最悪の出会いとなる。このあたり喜劇の常套だが、ここでみどりが歌う「♪わたしゃ大島油売り」は江利チエミのオリジナル曲。この出会いのシーンがカラー映像として一部現存している。椿売りの女性が、春夫のことを「太陽族」と呼んだり、みどりが「慎太郎刈りの兄ちゃん」と呼んだりするのが微笑ましい。
やはり伊豆で、みどりたちが出会うのが、東京の学生・加藤豊(青山恭二)。この二つの出会いが、みどりの運命を大きく変えていく。豊の父は、東京の丸の内劇場の支配人で、みどりをかつて生き別れた娘かもしれないと、ユニバーサルバンドに好条件で契約を持ちかける。この丸の内劇場は、もちろん映画の殿堂“丸ノ内日活”で外観の撮影が行われている。カラー映像が残っていれば、と悔やまれる(その後、カラー修復版が上映され、テレビ放映もされた)。
さて、物語は、このみどりの父は一体誰なのか? という展開となってくるが、適度なお涙頂戴は、いかにもこの時代らしい。特に、ユニバーサルの道化師・谷東峰に扮したベテラン小杉勇は、道化の化粧の下に隠された悲しみという常套ながら、そのうまさが際立っている。
お楽しみのミュージカルナンバーもふんだん。小原重徳とブルー・コーツ・コンボ、東京キューバン・ボーイズ、シャープス・アンド・フラッツといった一流バンドが参加、サウンドが充実している。ほとんどのナンバーを江利チエミが歌っているが、なかでも春夫とみどりの夢想シーンの「♪ジャンバラヤ」(ハンク・ウイリアムス詞曲)や、やはりイメージ・シークエンスの「♪ブルー・ムーン」(ロレンツ・ハート詞、リチャード・ロジャース曲)、そしてクライマックスの丸の内劇場の“ユニバーサル・ショウ”では、「♪雨に歩けば」(ジョニー・ブラグ詞、バディ・キレン曲)、「♪カモナ・マイハウス」(デヴィッド・セビル詞曲)といった、洋楽のスタンダードがズラリと登場する。江利チエミのジャズ・シンガーとしての才能が楽しめるナンバーばかり。
また、みどりの妹・ヒデ子に扮した刈屋ヒデ子は、少女スターとして、日活映画で活躍『街燈』(1957年2月13日公開・中平康)で扮した“靴磨きの少女”を再び演じ、得意のタップダンスを披露している。
ユニバーサルバンドがどさ回りをしている地方の劇場で、西部劇パロディのナンバーがあるが、そこでノンクレジットながら、ラジオ「日曜娯楽版」で活躍していた太宰久雄が出演している。「男はつらいよ」シリーズのタコ社長役で、後年知られることになる太宰の若き日の姿が見られる。また、日活映画でも活躍する歌手・西田佐知子が、西田佐智子の芸名で、ユニバーサルバンドのメンバー、ユキとして出演している。
さて、裕次郎は、江利チエミをエスコートするかたちで、いくつかのナンバーで踊ったり、デュエットしたりしているが、「♪星は輝く」というソロナンバーで、魅惑の歌声とダンスを披露。少しはにかみながら踏むステップが印象的。江利チエミと裕次郎は、昭和37(1962)年の『銀座の恋の物語』(蔵原惟繕)で再び共演することとなる。
WEB京都電影電視公司「華麗なる日活映画の世界」