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寅さんとかがり、男と女の恋…『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982年8月7日・松竹・山田洋次)


文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年10月21日(土) 18時30分~20時54分 BS テレ東で第29作放映!拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第二十九作『寅次郎あじさいの恋』についての原稿から抜粋してご紹介します。

 寅さんは旅人です。タンカ売をしながら、祭から祭へと、さまざまな土地を旅しています。第二十九作『寅次郎あじさいの恋』の冒頭、信州で寅さんは、絵を描いているおじさん(田口精二)に、「懐かしいって、どう書くのかい?」と質問、結局、その人に柴又へのハガキを代筆してもらいます。この回のタイトルバックは、変則的です。主題歌の一番が終わっての間奏が、新たに作曲されて、そこに、寅さんの旅の絵描きの芝居が入るのです。

 旅先で柴又を思う寅さんは、葉書をしたため、それを手にしたさくらに、博は「残雪の北アルプスから、新緑の京都か。いいなぁ、君の兄さんは… 」と言います。裏の工場で、額に汗して油まみれになって働いている博は定住者です。仕事と仕事の合間に、妻の実家にやってきて「コーヒーを入れてくれ」というのが関の山。定住者である博や観客にとって、寅さんの旅は、羨ましく映ります。

 では、旅先の寅さんはどうしているのでしょう? 柴又で葉書を読む場面に続いて、葵祭の寅さんと、人間国宝の陶芸家・加能作次郎(片岡仁左衛門)との出会いが描かれます。鴨川のほとりで、下駄の鼻緒をすげ替えてあげたことで、二人の交流が始まります。団子屋での会話。そして御礼にと連れていかれた料亭。翌朝、寅さんが目覚めると、そこは加能作次郎宅。という展開のなかに、そこに息づく人々が次第にクローズアップされていきます。

「よう、いろいろ世話になったな、ねえちゃん」と立ち去ろうとする寅さんに、お手伝いをしているかがり(いしだあゆみ)が、「今、朝ご飯の支度出来ますけど。」かがりは、今、買ってきたばかりの豆腐を入れた桶を手にしてます。

 ここで山本直純さんの音楽。切ないギターの音色で「かがりのテーマ」が流れます。この音楽のタイミングで、観客のこころのなかに、寅さんと、その寅さんに眼差しを送る、幸せとは縁遠いような雰囲気のかがり(いしだあゆみ)の気持ちがすっと入ってくるのです。これが映画音楽のチカラです。

 寅さんを見送るかがり。寅さんの後ろ姿に「かがりのテーマ」のギターが重なることで、ぼくらは切ない気持ちになります。同時に、このかがりという女性が抱えている屈託とは何だろう? と思いを馳せてゆくのです。

 そこで寅さんは振り向きます。「あぁ、俺は今どこにいるんだっけ?。」かがりは「ここは五条坂いうところですけど」と答えます。「あ、五条、じゃぁ、こっちが四条で、こっちが七条ということになるわけか。はは、京都は道が判り易くていいなぁ、じゃぁ。」再びかがりに背を向ける寅さん。ギターがジャジャン、と鳴り「かがりのテーマ」のコーダー(演奏の終り)となります。

 ここで寅さんがスッと行けば、映像的にも観客的にも「かがりさんが、寅さんのことを気にし始めた」というサインとなるのですが、最後に、寅さんがもう一度振り向くと、かがりは画面の左に去った後。寅さんもまたかがりを強く意識したことが暗示されます。

 こうして『寅次郎あじさいの恋』「恋」が始まります。深い会話で心を通わすのでなく、江戸前の寅さん、俯きがちのかがりの雰囲気。まるでフランス映画のように、言葉の説明はなく、観客に登場人物の気持ちを察してもらうことで、恋が始まるのです。

 しばらくして、かがりが台所で片付けものをしていると、カラカラと下駄の音。引き戸がスッと開いて「よぉ! じいさんいるか」と寅さんが入ってきます。先生はお仕事中、寅さんは「いいんだ、いいんだ」と先日の御礼と、商売モノの下駄を持って来ます。

「これ、爺さんにやってよ。いいもんを選んで来たんだ。一応は会津桐ということになってるんだ。それから、これ、あんたに… 」と、女物の下駄を、かがりにプレゼントします。キョトンとするかがり。明らかに寅さんに男性を意識して、こわばった表情をします。

 山田監督は、丁寧に、いしだあゆみさんに、こうしたお芝居を付けているのですが、実にうまいです。もう、この瞬間に、寅さんよりもかがりさんの方が、恋愛度がアップしているのです。

 かがりは寅さんに、故郷は丹後であること、月に一度母親と小学生の娘がいることを話します。

 何気ない会話のなかに、かがりの屈託が垣間見えます。その一瞬の間(ま)に、これまでの寅さんの恋愛遍歴にはなかった「男と女」が強調されます。かがりにとっては、自分にまでお土産を持ってきてくれた寅さんに対する特別な感情が芽生え、寅さんにとっては病気で夫を亡くし、子供を育てるために、加能作次郎宅で働いているかがりという女性への同情がわき出す瞬間です。

 さて、ここから先は、山田監督が仕掛けた「大人の恋」となります。山本直純さんの「かがりのテーマ」がこの映画の感情として、観客のこころに沁みて、しっとりとした印象となります。

 やがて、作次郎のもとを辞めたかがりが気になって、寅さんは丹後半島の伊根町のかがりを訪ねます。寅さんに身の上話をするかがりは「苦労が身に付いて、臆病になってしまったんやね」と自分を分析します。やがて船の最終便が出てしまい、寅さんは帰れなくなり、一夜、かがりの家に泊まります。夜遅く、寅さんがうとうとしていると、かがりが、すっと寅さんの寝床のある部屋へとやって来ます。娘のランドセルを取りにということですが、明らかに、かがりは、何かを期待して… というシーンです。

 高校生のとき、これにはドキドキしました。それまで「男はつらいよ」では描かれることのなかった、夜のシーンが待ち受けているのです。このことについて山田監督に伺ったことがあります。監督は「劇場の反応が違うんだよね。東京ではそれこそシーンとなってしまうのに、大阪の天王寺の映画館では『寅いてまえ!』という言葉が客席から出て来たと聞いんだよ」と仰っていました。

 大人しいかがりは、寅さんの優しさに、特別な感情を抱いて、大胆な行動に出ます。内に秘めたる情熱です。

 この夜は寅さんが寝たふりをして回避しますが、この後、かがりは上京し、寅さんに付け文をして、デートに誘うのです。このデートが映画の要となりますが、同行した小学生の満男は何を感じたのか?

 この二十五年後、第四十七作『拝啓車寅次郎様』で、再び、寅さんは満男と鎌倉に来ます。最後、江の電の駅での寅さんと満男が七里ヶ浜を見つめるショットがありますが、その時、満男の胸に去来していたのは、かがりとのデートのことだったのかな、と思いを馳せるのも、映画の愉しみです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください



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