『エノケンの頑張り戦術』(1939年・中川信夫)


 昭和14(1939)年『エノケンの森の石松』で初めてエノケン映画を演出した中川信夫監督。戦後、傑作『東海道四谷怪談』(1959年)を残すことになる中川のコメディはとにかくナンセンス。リズミカルなカッティング、大胆な省略など、映画ならではの技術を駆使して、エノケン映画の面白さをさらにパワーアップさせた功労者でもある。『森の石松』が好評で、再びメガホンを取ることになったのが、最高の爆笑編『頑張り戦術』(1939)年だった。

 隣同士に居を構え、同じ会社に勤めているエノケンと如月寛多は、犬猿の仲。寄るとさわるといがみ合い、何もかも張り合わないと気が済まない。俗にいう「喧嘩友達」パターンの喜劇だが、その張り合い方が尋常ではない。家を出たとたん、どちらが先に電車に乗るか躍起になり、ランチタイムには「トマト」か「トメト」か、どちらの発音が正確であるかで論争となる。

 これはジョージ&アイラ・ガーシュインの「Let’s Have a Call Things off」の歌詞を思わせる。「ポテト」か「ポタト」か発音をめぐって、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが対立する『踊らん哉』(1937年)の中の曲だった。

 二人が勤めているのが「防弾チョッキ」の会社というのが、昭和14年という時代を象徴しているが、映像はとにかくモダン。会社のセットはピカピカのアールデコ。ホワイトカラーのサラリーマンが、都会生活者のステイタスであったことを忍ばせる。

 そんな二人が、薄給にも関わらず見栄を張って、それぞれ家族連れで温泉に避暑に出かける。宿も最高級、相手を出し抜くために二人の見栄はどんどんエスカレートしていく。おかしいのは、熱い温泉に二人が入るシーン。真っ赤な顔をして我慢する二人のアップ。すると女中が温泉から卵を引き上げる。「卵すぐう(ゆ)だります」の看板が写る。そのナンセンスさ。

 エノケンが子供を前に「こだまが呼ぶよ」と唄っていると、それがまたまた如月寛多とのケンカの種になる。この曲は「Eco in the Valley」という曲でビング・クロスビーが唄っていた。

 子供の頃、この映画に強い影響を受けた坪島孝監督は、後年、植木等と谷啓主演で『クレージーだよ天下無敵』(1967年)としてリメイク。それほどインパクトのあるギャグが全編にちりばめられている。

 とにかくスピーディで過激なギャグに溢れており、今見ても全く色あせていない。

 見栄を張り過ぎて宿賃に困ったエノケンが、変装してマッサージ師になりすまし、奥さんの肩を揉むシーンの悲哀などはパターンだが、その直前、ライバルの如月寛多に、プロレスもかくやの激しいマッサージを繰り広げるシークエンスのエスカレートはこの映画の白眉。とにかく過激。それまでのエノケン映画にはないナンセンスにあふれた傑作である。

製作=東宝映画(東京撮影所)
1939.09.19 日本劇場/8巻 2,021m 74分 白黒 /同時上映「のんき横町」(山本嘉次郎)/同時上演「第六十五回日劇ステージショウ メキシコの旅」(益田隆作・演出・振付)

<スタッフ>
製作:氷室徹平 /演出:中川信夫 /製作主任:小田基義 /脚色 :小国英雄 /原作 :小国英雄 /撮影 :伊藤武夫 /音楽 :栗原重一 /演奏 :P.C.L.管弦楽団 /装置 :吉松英海 /録音 :安藤重遠 /照明 :佐藤快哉 /編集:今泉善珠 /応援:関東水上スキー連盟

<配役>
稲田:榎本健一 /妻文子:宏川光子 /伜健二:小高たかし /三田:如月寛多 /妻武子:渋谷正代 /伜五郎:川童 /会社の課長:柳田貞一 /夫人:柳文代 /芸妓菊龍:音羽久米子 /ブローカー:北村武夫 /子供誘拐犯人:金井俊夫 /ハイボールの御前:南光司

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