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『人生は六十一から』(1941年4月22日・東宝・齋藤寅次郎)

齋藤寅次郎監督研究。1941(昭和16)年になると、東宝の喜劇映画からナンセンスやアチャラカ度が極端に減っていく。そうしたなか、喜劇の神様・齋藤寅次郎監督と横山エンタツ・花菱アチャコのチームがタッグを組んだ『人生は六十一から』(1941年4月22日・東宝・齋藤寅次郎)では、時局に迎合しつつも、これまで作ってきたナンセンス・コメディのエッセンスを感じることができる。1939(昭和14)年の傑作『新婚お化け屋敷』をピークとすれば、かなりトーンダウンしているが、それでも「面白くしよう」とする寅次郎監督の戯作精神が随所に溢れている。

劇場チラシ

タイトルは、1935(昭和10)年公開のハリウッド映画、チャールズ・ロートン主演、レオ・マッケリー監督によるハートウォーミング・コメディ『人生は四十一から』(原題・RUGGLES OF RED GAP)からのインスパイア。脚本は山名義郎と志村敏夫。寅次郎作品を支えたスタッフでもある。東宝・吉本興業協同作品。助監督は戦後、新東宝で活躍する毛利正樹。音楽は杉原泰蔵。エンタツ・アチャコ映画初期のモダンなジャズ・ソングはなりを潜めている。

横山金助(横山エンタツ・吉本興業)
藤本瓶三(花菱アチャコ・吉本興業)
金助の倅・義雄(月田一郎)
金助の妻・おかね(英百合子)
三太夫(高勢実乘)

洗濯屋の主人・荒井増三(鳥羽陽之助)
八百寅(若宮金太郎)
無料宿泊所・管理人(榊田敬治)
坑夫頭(山田長正)
事務員A(山形凡平)
事務員B(中川辨公)
事務員C(大杉晋)
義雄の同僚(中村幹次郎)
運動会の役員(龍崎一郎)

瓶三の娘・夏子(立花潤子)
義雄の妹・春子(御舟京子)
洗濯屋の女房(三條利喜江)
奥さん(馬野鶴留子)
女中(清水美佐子)
義雄の少年時代(小堀美喜雄)

 横山金助(エンタツ)は、苦節十年、家族を幸せにするために、日夜発明に勤しんでいる。しかし、一度も成功したためしがなく、妻・かね(英百合子)は仕立物の内職をして糊口を凌いでいる。サンバイザーに白衣、ロイド眼鏡の金助。ついに成功した!と妻に声をかける。固形ガソリンが24時間燃え続けて大喜びの金助、かねは涙を流して喜んでいるかと思いきや、「あんたが、あのわけのわからない発明に凝って、ちっとも働いてくれないから、情けなくて泣いているんです。ねえ、正気になって、子供のことを考えて、真面目に働いてくださいよ。」「何を言ってるんだ。俺は子供のことを考えているから、こんなに苦労してるんじゃないか」

 金助は怯まずに「国家的大発明」の固形ガソリンを「危険」と描いてあるトランクに詰めて、会社に売り込みに行く。「帰りにうーんと肉買って来るからね、ネギでも切っときな」と、息子・義雄に飛行機、娘・春子にお人形をお土産に買ってくると、いそいそと出かけていく。

固形ガソリンのプレゼンテーション!

 次のシーン。どこかの会社の運動会。ゲートには、五輪マークに、恭しく「民族の祭典」と垂れ幕がかかっている。1936年のベルリン五輪の記録映画のタイトルである。オリンピック・ファンファーレ風の音楽が流れ、エンタツがやってくるかと思っていると、やってきたのは藤本瓶三(アチャコ)。シーンのつながりがよくわからないのは、内務省の検閲でカットされたか、戦後公開時に再編集されたか。ところどころ、つながりがわからないシーンがある。さて、運動会の役員(龍崎一郎)たちが「遅い」と、瓶三を急かせる。瓶三は新案のパラシュート花火を納品に来たのだが、途中の電車で「変な奴にぶつかりましてな」と言い訳する。

とにかく入場行進を待たせているので、瓶三は花火をセッティング。瓶三のトランクにも「危険」と描いてある。ああ、そうか、電車の中で、金助とぶつかって、その時に二人のカバンを取り違えたのか。おそらくは、電車で二人がぶつかった拍子に、エンタツ・アチャコの漫才となるシーンがあったのだろう。エンタツ・アチャコ映画では、必ず二人が出会い頭にぶつかって、そこから漫才となる。それがパターンだった。アチャコの花火は、エンタツの固形ガソリンに入れ替わっているので、次のシーンでは大変なことになるわけで。

民族の祭典!

 カバンから花火を取り出した瓶三「この花火は長年、僕が研究しました結果、出来上がった花火でございます。これを別名パラシュート花火と申しまして」とスペックの説明を始める。「これが一たび、天に舞い上がりますと同時に、大きなパラシュートが、ふわりふわりふわりと落ちてくるのであります。(中略)さながらに、航空日本がふわっとこう現れます」と時局に相応しいものと説明するが、担当者に「能書はいいから早くやってくれよ」と促される。さぁ、いよいよ着火! スタッフ全員が退避、瓶三は玉入れのカゴの中に隠れる。しかし花火は打ち上がることなく、固形ガソリンがその場で燃え始めて、実験は大失敗となる。

 一方、金助はとある自動車会社で、新案の固形ガソリンのプレゼンテーション。「というようなわけでございまして、活かせ廃品、長年研究に研究を加えまして、やっと完成を見たのであります。これは世界的な発明でございまして、名付けまして固形ガソリン。原料はジャガイモの皮でございます」と得意げに説明。バスの後部エンジンに二個、投入する。蓋を閉めた途端に爆発音!次のカットではバスが大炎上。金助は? と会社のスタッフが空を見上げると、金助はパラシュートでふわりふわり。という入れ替わりのギャグは、寅次郎らしいナンセンスなのだが、肝心のカバンを取り違えるシーンがないので、そのオチがよくわからないのが残念無念である。

 その夜、横山家ではすき焼きの準備。ザク切りのネギがどっさり。しかし鍋の中は空っぽ。息子・義雄(小堀美喜雄)がおかずなしでご飯を食べている。そこへ流れるこどもの歌。

♪おうちの父さん 良い父さん 
ロイド眼鏡に ちょび髭で
いつもニコニコ 笑い顔 
本当に父さん 良い父さん

♪おうちの父さん 良い父さん 
朝は早起き 夜更けまで
いつもお仕事 せいがでる 
本当に父さん 良い父さん

♪おうちの父さん 良い父さん 
キューピー人形か ママ人形
今日のお土産 なんでしょう 
本当に父さん 良い父さん

 花火として打ち上げられたために、ズボンや服がボロボロの金助。帰ってくるも、家の様子を見て「おかね、許してくれ。成功するつもりだったんだがな。とうとうまた失敗しちゃったよ。お前たちに合わす顔がない。これからは発明なんて道楽を一切やめて、一生懸命、地道に働いて、成功したら帰ってくるからな」とそのまま出奔してしまう。

「そして十幾年は、夢の間に過ぎました」と川のせせらぎにスーパーが乗って、時間経過を表現。横山一家は夜逃げをするように東京を離れて、流れ流れて、地方の小さな街へ。娘・春子(御舟京子)が立派な娘に成長して、母・かねと一緒に仕立物の内職をしている。御舟京子はのちの加藤治子。この時19歳、ふとした表情に、後年の面影がある。

その傍では、息子・義雄(月田一郎)が親父そっくりになっていて、何やら機械を発明している。全自動選択機械である。これが完成すれば、母と妹を楽にさせてあげることができる。寅次郎映画ではお馴染みの「無駄骨装置」がここで登場。義雄は昼間は工場勤めをして、夜は発明に勤しんでいる。母は、金助の二の舞になるのではと心配している。

義雄は、疲れて眠ろうと、土間に作り付けの収納ベッドを取り出す。今では当たり前の家具だが、この頃は珍しく、いかにも義雄が発明したという感じである。そこに流れてくる若い女性の歌声「♪若い血潮を 心に秘めて〜」。それを聞いた義雄「また始めやがって!」と怒り出す。他の喜劇でもそうだが、月田一郎が演じるキャラクターは、瞬間湯沸かし器のように、何かとすぐ怒るのがおかしい。この女性の歌声が流れてくると、義雄が怒り出す。というのがルーティーン・ギャグとなっていく。

一方、行方不明の父・金助は、その頃、無料宿泊所に泊まっていた。苦節十年、コツコツ貯めてきた国債とお金がもうすぐ一万円。満額になったら、家族のもとへ帰ろう。その一年で懸命に生きてきた。夜中にこっそり、布団の上にお金を並べ、数えて悦に入っていたら、突然の突風が吹き込んできて、お金が宙に舞う。宿泊していたホームレスたちが金に群がって大騒動に。管理人(榊田敬治)から「ここはあんたのような金を持っている方の来るところじゃありません」と説教された金助、宿泊所を後にする。

クリーニング店での再会

文字通り、ホームレスとなった金助。商店街の「ドライクリーニング 荒井洗濯店」のガラス戸の「外交員募集」の張り紙をみて、店に飛び込む。ボロボロの身なりで「こんにちは、外交員に使ってくださいませんか」。店員が振り返るとなんと瓶三! 天敵同士の再会となるが、現在、残っているバージョンでは、ここで二人は画面上では初めて会うので、少し違和感がある。

アチャコ「わかった。わかった。お通り(お帰り)」
エンタツ「私は乞食じゃありません。外交員になりたいんです」
アチャコ「誰がや?」
エンタツ「私が」
アチャコ「(ジロジロと見つめて)お前が?外交員?ふーん、旦那!」
エンタツ「おい」
アチャコ「おいって、お前が旦那じゃあらへんやろ、ドアホ!」

店の奥から、主人・荒井増三(鳥羽陽之助)は怪訝そうな顔をする。「なるほど、これは汚い親父だな」と呆れながら採用する。この店では最新の自動洗濯機を導入して三分間で何十枚となくできるから、そのつもりで注文をとってくれと、檄を飛ばされる。

寅次郎お得意の「無駄骨装置」

 この洗濯マシーンは、実は、金助の息子・義雄が発明したもの。中盤は、この洗濯店でのナンセンスな笑いが展開する。金助は、外交員として営業をするが、洗濯店に出すのは不経済と、営業先で娘・春子ぐらいの年頃の女中(清水美佐子)の背洗濯を手伝ってあげる。「俺が店で洗濯するのも、ここで洗濯を手伝ってやるもの、同じだからね」。それを主人や瓶三に咎められても、何が悪い?というエンタツのとぼけた開き直りがおかしい。

 で、無駄骨装置である。ある日、代議士の召使・三太夫(高勢實乗)が、主人のフロックコートを大至急洗濯して欲しいとやってくる。三分で出来ますからと瓶三。張り切って、自動洗濯マシーンに、洗剤や薬品をいつもより多めに入れる。仕上がるまで、アノネのオッサンヨレヨレの羽織にアイロンをかけましょうと主人。

オッサン、ご主人に申し訳ないと腹切未遂!

至れり尽せりのサービスに大満足のオッサン。しかしそれも束の間。三分も経たずに、仕上がったフロックコートをみて「アーノネ、オッサン」と驚く。なんと、綺麗になり過ぎて、黒いフロックコートが真っ白になってしまったのだ。瓶三のサービス過剰が裏目に出て、オッサンが主人にクレームを言っている間に、アイロンをかけていたオッサンの羽織が焦げてしまって、ふんだりけったり。オッサン、三十年勤めてきたご主人様に顔向けができない。わしゃかなわんよ〜となる。

結局、金助も瓶三もクビになってしまい、さらに洗濯マシーンを発明した義雄のもとに、洗濯屋の主人とオッサンが乗り込んで、損害賠償を請求。義雄は負債を負ってしまう。このシーンが寅次郎監督らしいナンセンス。オッサン、クレームを散々言って立ち去ろうとする時に、義雄が発明した機械に手をかけると、いきなり電気が全身を走ってビリビリ。アニメーションでの稲妻のようなビリビリ描写は、寅次郎監督のお得意で、戦後『聟入豪華船』(1946年・東宝)の益田喜頓の珍発明や、『トンチンカン三つの歌』(1952年・東宝)でのエノケンの珍発明でリフレインされる。

オッサン、ビリビリ!

義雄は昼間は工場勤め、ある時にどうしても必要な部品を手配しようとしたら、電話に出た部品メーカーの担当者が「在庫はありません」とにべもない。もとより瞬間湯沸かし器の義雄は、電話口で「話が違うじゃないか」「そこをなんとかしろ!」と横柄な態度。その失礼な電話に担当者・夏子(立花潤子)はプンプン。実は夏子は瓶三の娘で、発明実験中の義雄を悩ませいた歌声も、近所に住む夏子のものだった。

というわけで後半は、義雄と夏子の最悪の出会いから、意外や意外のゴールインまでが描かれる。ライバル同士の息子と娘が恋に落ちて結婚、というパターンである。しかしそれまで、さらに、金助と瓶三のライバルのバトルは続いていく。

クリーニング店をクビになった金助は、へっぴり腰にも関わらず鉱山会社の坑夫となり、坑夫頭(山田長正)に叱咤されて、ツルハシを手に懸命に掘り進める。すると向こう側から掘り進めてきた男がいて、トンネルが繋がって、鉢合わせ。またまた瓶三と金助、罵り合う。それが漫才のスタイルになっているのが、エンタツ・アチャコ映画。

結局、鉱山会社もクビになった金助は、なんと義雄の勤務先の小使いとなっている。で、貯めてきた小金を元手に工員たち相手の高利貸しをしていて、洗濯マシーンの損害賠償を負っている義雄が金を借りに。しかし義雄は本名を名乗らないために、金助は息子だと気づかない。といった展開となり、やはり同じ工場勤めとなった瓶三も、父と娘のつましい暮らしなので、金助に借金を頼んだり・・・

クライマックスは、義雄と夏子の婚礼の日。金助が十数年ぶりに戻ってくる。まさに菊池寛の「父帰る」である。何も知らない金助は、新婦の父に挨拶をしようと頭を上げたら、なんと父親が瓶三だとわかって「この結婚は破談!」とお互いが言い出す始末。

とはいえ、エンディングはそれから十年以上たったある日。横山家と藤本家の還暦の祝宴。幼い孫たちに囲まれてご満悦の、金助と瓶三。これまでのように「仲良く喧嘩」を続けている。というわけでエンディングがタイトル『人生は六十一から』となる。

『新婚お化け屋敷』のように面白くなりそうな要素タップリなのに、かつてのエンタツ・アチャコのようなアナーキーさにブレーキがかかっている。それが昭和16年という年なのだけど、検閲なのか、再上映の際なのか、カットされた場面が多くて、それが笑いの伏線を無くしてしまっている。ライバル喜劇の傑作『エノケンの頑張り戦術』(1939年・東宝・中川信夫)のエノケンと如月寛多のバトルのエスカレートのようにはいかない。それが残念でもある。

この年の12月8日、日本はアメリカに宣戦布告、太平洋戦争の開戦にともない、喜劇映画の本数も激減していく。東宝のドル箱だったエンタツ・アチャコ映画は、本作を最後に作られなくなり、二人は『名人長次彫』(1943年・東宝・萩原遼)に助演したのみ。エンタツ・アチャコの漫才は戦地慰問目的で作られた『勝利の日まで』(1945年・東宝・成瀬巳喜男)で復活するも、戦時中は二人のナンセンスな笑いは、映画では封印されていた。映画でコンビが本格的に復活するのが、敗戦の1945(昭和20)年12月27日に公開された齋藤寅次郎監督による戦後初の正月映画『東京五人男』となる。

katsubenwagei@gmail.com

2023年1月21日(土)齋藤寅次郎監督のお住まいだった成城・一宮庵(いっくあん)で<キング・オブ・コメディ 映画監督・齋藤寅次郎を語る2023 ザッツ・寅次郎・エンタテインメント! VOL.1>を昼夜開催、こうした戦前作から戦中、戦後の齋藤寅次郎監督の映画人生と、笑いの足跡をたどります。お申し込みは、katsubenwagei@gmail.com まで。



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