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『エノケンのちゃっきり金太』(1937年・山本嘉次郎)


 P.C.Lは1937(昭和12)年、東宝映画と改名。『エノケンの江戸っ子三太』(36年12月)を演出した岡田敬は、『江戸っ子健ちゃん』(37年5月)『エノケンの猿飛佐助』(37年12月前編、38年1月後編)を手がけ、サイレント時代から喜劇を撮り続けていた斎藤寅次郎は、『エノケンの法界坊』(38年6月)を演出。

 東宝の商品としてのエノケン映画は量産体制をとることとなり、山本嘉次郎もローテーション監督の一人として、代表作『エノケンのちゃっきり金太(前)ままよ三度笠の巻・行きはよいよいの巻』(37年7月)『同(後)帰りは怖いの巻・まてば日和の巻』(同8月)を完成。

 エノケン映画の代名詞といえば異口同音『ちゃっきり金太』と答えるオールドファンが多い。『ちゃっきり金太』は、山本監督自らマッカレーの探偵小説を翻案。幕末の東海道に置き換えている。スリのサム=巾着切りの金太(エノケン)、クラドック刑事=岡っ引き倉吉(中村是好)が、追いつ追われつのスピーディな道中喜劇に仕上がっている。

 タイトルバックは、エノケンが昔懐かしい「のぞきからくり」の口上で登場人物を紹介する。開巻早々、江戸の芝居小屋ではレビューの踊り子たちが、当時の流行歌「ああそれなのに」を歌っている。そこで狼藉三昧をする田舎侍たち。彼等は財布を掏られたと大騒ぎになる。画面は、盗んだ財布を空にしてドブに捨てながら、「♪江戸じゃ近頃困ります。横紙破りのお侍ィ〜」とエノケンの金太が、「ああそれなのに」の替え歌を歌う。音楽とコメディが巧みに融合した幕開けである。

 その金太が掏った財布に重要な密書が入っていたことから、薩摩藩の小原(如月寛多)に追われる羽目になる。倉吉も密書を手に入れて手柄にしようとするから、金太は二つの勢力から追いかけられる。ここから映画は一挙にスピーディな展開になる。ギャグとエピソードをちりばめ、東海道を逃げる金太。

 昭和12年の公開当時「ままよ三度笠の巻」「行きはよいよいの巻」「かへりは恐いの巻」「まてば日和の巻」の四部構成で封切られているが、現在見ることができるのは、終戦後ダイジェストとして再編集されたバージョン。

 身ぐるみ剥がされ無一文となった金太と倉吉が、旅一座に加わって、珍芸を繰り広げるシークエンスなどがまるまる欠落している。が、短縮版にも関わらず、エノケンのモダンな感覚、絶妙の山本演出は存分に楽しめる。残念ながら欠落部分のネガは存在しないが、大ヒットした映画だけに、どこかにフィルムが眠っているかも知れない。

 山本はその後も、『エノケンのびっくり人生』(38年12月)『エノケンのがっちり時代』(39年1月)、『ちゃっきり金太』の続編『エノケンのざんぎり金太』(40年3月)『エノケンのワンワン大将』(40年6月)と精力的にエノケン映画を手がけることになるが、『千万長者』や『ちゃっきり金太』を超える作品を発表していない。


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