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『エノケンのホームラン王』(1948年・渡辺邦男)PART2

              
 昭和23(1948)年、エノケンこと榎本健一はエノケンプロダクションを設立。終戦三年目のその年、「来なかったのは軍艦だけ」と呼ばれる東宝争議が起こり,古巣の東宝映画で思いどおりの映画が作られなくなってしまったエノケンは、ならば自分のプロダクションでと東宝のプロデューサー森岩雄の肝入もあって、エノケンプロを設立、その第一回作品が『エノケンのホームラン王』だった。

 昭和の喜劇王・エノケンこと榎本健一が本格的にスクリーンに登場したのが、昭和9年のP.C.L.(後の東宝)作品『エノケンの青春酔虎伝』(山本嘉次郎監督)。この『〜ホームラン王』は、戦前、戦中、そして戦後と喜劇映画に出演し続けてきたエノケンの記念すべき映画出演50本目にあたる。

 原作は「サンデー毎日」8月の大衆文芸号に掲載されたサトウハチローの「青春野球手帖」で、脚色は岸松雄と渡辺邦男が担当している。エノケンとハチローは、戦前、浅草の玉木座で公演していた劇団プペダンサント時代に、ちょっとした行き違いがあって以来,疎遠となっていた。その後ハチローはエノケンのライバルでもあった古川緑波の作家として活躍、詩人としても知られ今でいうマルチな文化人でもあった。そのエノケンとハチローが二十数年ぶりに一緒に仕事をしたのが、この『〜ホームラン王』となる。

 戦後、進駐軍の影響もあって、空前の野球ブームが起こっていた。そこに喜劇と組み合わせようというのが、いかにもエノケンらしい。しかもエノケンがジャイアンツに入団し、川上哲治選手や千葉茂選手、そして三原脩監督という実在の人物と夢の競演をする! フィクションの登場人物と実在する巨人軍選手が同じ空間に存在するという物語は、後に漫画の「スポーツマン金太郎」「巨人の星」「侍ジャイアンツ」へと連なるが、その先べんとなったのがこの映画である。

 本作で川上選手のプライベートが描かれ(もちろんフィクション)、病床の母親を川上に変わってエノケンが世話をするというエピソードがあるが、こうしたパターンは、昭和30年代『背番号16 川上哲治物語』(昭和32年日活)『鉄腕稲尾投手物語』(昭和34年東宝)、そしてなんと長島茂雄選手が、東宝の駅前シリーズのレギュラー陣(森繁久彌を除く)と競演してしまう『ミスタージャイアンツ勝利の旗』(昭和38年)へと続くことになる。

 こういった手法が漫画の世界にフィードバックされ、昇華されたのが梶原一騎の「巨人の星」の世界だろう。その梶原が憧れた破天荒な作家・佐藤紅碌の息子であるサトウハチローは、立教出身で無類の野球ファン。そのハチローによるこの映画のシナリオは、実に豪快な構成となっている。

 エノケン扮する健吉は大の巨人フアン。仲間のジャイ床にはエノケン一座の盟友・如月寛多。このジャイアンツ・マニアと、いがみ合うのが田中春男と清川虹子夫婦の魚虎。コメディアンが、ひいきの野球チームでいがみ合うというパターンに、魚虎の二階に下宿しているお千代(春山美彌子)と健吉の「ロミオとジュリエット」式のロマンスを絡めている。ここまでは、喜劇映画というより軽演劇の作劇ではよくある展開だろう。

 ところが、この映画がすごいのは、ジャイアンツ好きが昂じた健吉がジャイ床のすすめで入団テストを受けて、巨人軍に入団してしまうのだ。でも野球が格段うまいというわけではない。お千代とのデート中に少年野球に参加してプレイするシーンはあるが、かなり無理な展開である。でも、なんなく巨人のユニフォームを着てもおかしくないのは、それが「エノケン」だからである。

 故障したラジオをめぐるギャグ、深夜の練習ネタ、そしてロード中の宿でのバッティング練習で電灯を割ってしまうというネタなど、エノケン映画らしい笑いもある。そして何より貴重なのは、後楽園球場での巨人阪神戦の模様や、中盤に延々と描かれる昭和23年のジャイアンツ選手たちによる練習やファインプレーの連続などの映像だろう。当時珍しいハイスピードキャメラによるピッチングやスライディングの映像分析など、野球ファン向けのサービスも盛りだくさん。

 特にクライマックス。最終回に巨人打線が爆発するシーン。山川〜小松原〜平山〜青田、そして4番川上の赤バットが炸裂する場面は、伝説の選手たちが動く映像という点でも実に貴重である。

 監督の渡辺邦男は、『エノケンの大陸突進 前後編』(昭和13年東宝)を演出して以来のエノケン映画で、この後『向こう三軒両隣り』(昭和23年新東宝)シリーズや『歌うエノケン捕物帖』(昭和23年新東宝=エノケンプロ)など、戦後エノケン映画のメイン監督となる。プロデューサーの滝村和男は、『エノケンの法界坊』(昭和13年東宝)など東宝で数多くの喜劇映画を手掛けた人。エノケンのたっての願いでプロデューサーを引き受けたという。

 昭和23年9月9日に公開された『エノケンのホームラン王』には、伝説の巨人軍選手,そして後楽園球場を中心とした戦後間もない東京の風景が映像の記録として活写されている。そして元気溌剌たるエノケンの動きと、人なつっこい表情。娯楽映画ならではの楽しさにあふれた一本である。

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