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『大海原を行く渡り鳥』(1961年・齋藤武市)


 昭和35(1960)年12月に、宍戸錠のダイヤモンドライン参加が決定され、「渡り鳥」の好敵手役は、シリーズ第六作『波涛を越える渡り鳥』(1961年1月3日公開)が最後となった。そうした状況のなか、昭和36(1961)年1月、石原裕次郎のスキー事故、2月の赤木圭一郎の事故死は、前年からの日活ダイヤモンドラインのローテーションに大きな変化をもたらすことになる。

 この年の前半、小林旭は『波涛〜』に続いて、『太平洋のかつぎ屋』(1月27日)、『銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる』(2月25日)、『でかんしょ風来坊』(3月19日)、「流れ者」第四作『風に逆らう流れ者』(4月9日)、そして「渡り鳥」第7作『大海原を行く渡り鳥』(4月29日)と、4月までに6作も主演している。特に「流れ者」と「渡り鳥」が同月公開となっている。

 さて、今回の舞台は九州長崎と雲仙。当時のプレスには「歌い、暴れるマイト・ガイのアクションの魅力をおなじみの監督斎藤武市が西部劇的演出で撮影する絶対の娯楽篇」(原文)とある。宍戸錠の好敵手を失ったというマイナスをリカバリーしたのが藤村有弘。バンサの相性で親しまれた抜群のタレント性を持つバイプレイヤーで、日活アクションでも『銀座旋風児』(59年)や、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズなどに強烈な個性をもたらした。特に「流れ者」第四作『大暴れ風来坊』(1960年)での悪役、赤木の遺作となった『紅の拳銃』(1961年)での赤いダッフルコートに身を包んだ中国人の殺し屋は、日活アクションの虚構性と無国籍性をよりいっそう豊かなものにしてくれた。

 その藤村有弘を好敵手・ツブテの龍にキャスティングしたことにより『大海原を行く渡り鳥』は、シリーズに新たな魅力をもたらした。齋藤武市監督による「渡り鳥」シリーズは旅情や叙情、放浪者の孤独感といったものを、豊かな地方ロケによって描いていたが、今回は「流れ者」もかくやのコミカルさが加味され、無国籍アクションならではの魅力を全面に押し出している。

 カタコトの日本語をあやつる怪しい殺し屋・ツブテの龍と、ファンタスティックなスーツに身をつつんだ渡り鳥・滝伸次のやりとりのおかしさ。渡り鳥を前に、ギターを弾き「コレ アンタノヨウニ ウマクヒケナイ」と嘯き、「赤イ〜夕陽ガ〜 燃エ落チテ〜」と歌いながら去る。シチュエーションとしては龍と滝、ライバル同士の拮抗なのだが、その展開はほとんどコメディ。そうした状況にも関わらず、渡り鳥のカッコ良さが際立っているのは、小林旭という俳優の不思議な力。どんな状況で、どんな相手を前にしても超然としたカッコ良さはゆるがないのだ。

 もちろん切れの良いアクションも健在。芦田伸介演じる悪役・磯部の事務所に現れた渡り鳥、待ち構えるチンピラたちとひと暴れした後、階段をあがらず、そのまま二階にジャンプして、オフィスのドアを明けて部屋に入っていく。そうしたことをサラリとやってのけてしまう。

 また、和製西部劇としてのアクションは、オープニングの馬車襲撃。クライマックスの馬車隊襲撃など、風光明美な九州の山並みを背景に繰り広げられる。マイトガイが馬に乗る姿が実にサマになっている。西部劇のヒーローよろしく馬を蹴り、ライフルをぶっ放す。『大草原の渡り鳥』では対決のシチュエーションだったが、今回は本格的な西部劇的ビジュアルが展開される。このテイストは、同じ齋藤監督の『高原児』(1961年8月13日公開)へと続いて行く。

 もちろんアキラ節も健在。父親を捜す少女と共に、佐世保のキャバレーに入り、そのまま歌い出す「五木の子守唄」。レコード化されていない映画オリジナルで、アレンジは当時流行していた「ドドンパ」のリズム。哀調のメロディーと陽気なリズムのミスマッチ。それがアキラ節の魅力。

 シリーズを重ねるごとに、また「流れ者」などのマイトガイ映画で培って来たルーティーンを、随所にフィードバックさせながら、観客を楽しませ、その期待に充分応える。脚本の山崎巌はじめ、キャメラの高村倉太郎、そして齋藤監督らの娯楽映画に対するスタンス。さらに生身のアクションをタップリと披露し、堂々たるヒーローぶりを見せる小林旭。ラストの連絡船での渡り鳥とツブテの龍のユーモラスな応酬まで、観客を飽きさせない。

 本作を最後に、シリーズの定型は崩れ、シリーズ男と呼ばれたマイトガイ映画も単発のアクションが多くなる。「渡り鳥」は次作『渡り鳥北へ帰る』(1962年1月3日公開)で実質的な最終作を迎え、単発作を除いて放浪タイプの無国籍ヒーローのシリーズ登場は昭和39(1964)年の『さすらいの賭博師』まで待たねばならない。

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