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『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』(1946年・川島雄三)

 昭和19(1944)年、戦時下にハイセンス、ハイテンションの傑作『還って来た男』で監督デビューを果たした川島雄三。その2作目となる『追ひつ追はれつ』は、敗戦後、昭和21(1946)年1月24日、松竹の喜劇映画プログラム「ニコニコ大会」の一篇として、公開された22分の短編映画(データベースには日守新一の名前があるが出演はしていない)。

【スタッフ】
脚本 伏見晃
演出 川島雄三
撮影 亀山松太郎
録音 高懸義人
美術 本木勇
音楽 万城目正
振付 県洋二

【配役】
エンコの六 森川信
大野木探偵 山茶花究
露天商   坊屋三郎
少女    幾野道子
ダニロ   空あけみ
ソニア   眸瑠璃子
      松竹歌劇団


 昭和20年暮れから正月にかけて、浅草でロケーションが行われているだけに、敗戦直後の東京風景が活写されている。そういう意味では「時代の記録」として貴重な作品である。タイトル開け、人で賑わう浅草六区の劇場街、浅草寺の仲見世を行き交う人々がモンタージュされる。仲見世では軒に商品を並べている店もある。

そして、露店で、チェックの背広にニッカボッカ、ハンチングの男(坊屋三郎)が歌いながら売っているのは・・・

 ♪あーあーええー「英語会話の早わかり」だ〜
  街でも 店でも ちょいと電車に乗っかっても
  これさえ持ってりゃ 大丈夫〜

 あきれたぼういずの坊屋三郎の朗々とした歌声に、戦後の開放感を感じる。街には進駐軍の米兵が溢れ、英語が飛び交う日常となり、簡易英会話の冊子を商う露店があちこちに現れた。敗戦の二ヶ月後、昭和20年10月には、誠文堂新光社から「日米会話手帳」が出版された。たった32ページのこの冊子は「アメリカさんとの会話に困らないように」と誰もが購入、たちまち360万部を突破。その一月前の9月にNHKラジオは、GHQの意向を受けて「実用英会話」放送開始。ショジョ寺の狸囃子のメロディにのせた「♪カムカム エブリボディ〜」テーマ曲が大流行し「カムカム英語」と呼ばれていた。

 つい数ヶ月前まで戦っていた「鬼畜米英」の英語を、誰もが覚えようと必死となる。庶民のたくましさを感じる。

 「日米会話手帳」が爆発的にヒットするや、盛場の露天にはパチモンの「カムカム英語」冊子が溢れ出す。坊屋三郎が売っているのも、そんなパチモン。浅草の活気が戻ってきた象徴でもある。

 この坊屋三郎が歌うショットは、クレーンで俯瞰からパンダウンしてくる。これはルネクレールのフランス映画『巴里の屋根の下』(1930年)でのアルベール・プレジャンが主題歌の楽譜を売るショットを意識したものだろう。

 さて、坊屋三郎の歌は転調して「あきれたぼういず」スタイルになる。

♪およそ 世の中 明るいね
 ちょいと 覚えて ごらんなさい
 一字 一言 話しなさい
 心も晴れるよ 気も晴れる
 狭い世間に くよくよするなよ
 ABCから やり直し
 ちょいと 覚えて ごらんなさい
 心も晴れるよ 気も晴れる

変なの買ったり食べたりするよりは、たったの一円。パッと明るくなるよ。英語会話、早わかり

♪さあさ みなさん お買いなさい〜

 敗戦後、初の喜劇映画は、昭和20年10月の東宝映画『歌へ太陽』(阿部豊)でエノケン、川田義雄が共演。東宝の正月映画『東京五人男』(齋藤寅次郎)には古川ロッパ、エンタツ・アチャコがスクリーンに帰って来た。そしてこの『追ひつ追はれつ』では坊屋三郎、そして次のカットで、やはり「あきれたぼういず」(第二次)の山茶花究が登場する。

 山茶花究は、昭和7(1932)年、浅草のカジノ・フォーリーに歌手として参加、エノケン劇団、吉本ショウなどに出演。一度は引退をしたが、昭和12(1937)年8月、東宝のロッパ一座に入団。加川久の芸名で活躍。このときに、生涯の盟友・森繁久彌と出会う。

やがて昭和14(1939)年「あきれたぼういず」が吉本興業から新興キネマ演芸部に引き抜かれた際に、吉本に残留した川田義雄に代わって、参加。この時に加川久から山茶花究へと芸名を変える。

 余談だが森繁の「駅前シリーズ」で、山茶花究の役名に「久さん」が多いのは、仲間内に「久さん」とロッパ一座時代の芸名で呼ばれていたから。川島雄三に愛され、『喜劇とんかつ一代』(1963年)まで折々で川島映画に助演してゆく。
 さて、坊屋三郎の英会話売りに声をかけたのは、浅草警察のスリ係の刑事・大野木(山茶花究)。

「おまえ、エンコの六を見なかったか?」
「六さんはまだ名古屋の・・・」
「その工場はもうとっくにクビになっとる」

 戦前、エンコの六の異名で活躍した名うてのスリが浅草に帰ってきた。サスペンス映画的な話法で「エンコの六」の存在を際立たせる。ちなみにエンコとは浅草のこと。瓢箪池のあった浅草公園の「公園」をひっくり返してのヤクザの符丁だった。また「エンコ」とは指詰めの意味もあり、スリの指先のダブルミーニングでもある。

 「エンコの六」を探す大野木刑事。浅草寺の境内、浅草公園、埋め立て前の瓢箪池・・・。山茶花究が歩くのは、冬の寒さが画面からも伝わる浅草界隈。人は戻ってきているが、戦災の爪痕がそこここに見られる。

「大野木さん!」と誰かの声がする。大空襲で焼かれて倒壊した建物に残された階段を、浅草国際劇場のステージの階段に見立てて、その上に立つ、スーツ姿の「エンコの六」。
まるでヒーローの登場シーンである。

 「エンコの六」を演じているのは、モッちゃんのあだ名で親しまれた軽演劇のスター、森川信。のちに「男はつらいよ」で初代おいちゃんを演じたコメディアンである。ソフト帽に白いチーフ。スマートな出立ちは、ワーナーのギャング映画のジョージ・ラフトのようでもある。三枚目のコメディアンを二枚目に見立てての演出も、川島雄三の狙い。当時の観客は「ああ、森川信が帰ってきた」という感慨でスクリーンを眺めたのかもしれない。

 森川信は、昭和9(1934)年に「森川信一座」を旗揚げ、大阪を拠点に活躍。坂口安吾らインテリ受けをした森川は、昭和18(1943)年に松竹専属となり、第二次あきれたぼういずと巡業に回っていた。

 松竹映画は、本作を皮切りに森川信売り出しにかかり、昭和23(1948)年には岸井明との「のらくらコンビ」を結成させて数々の喜劇映画を作ることとなる。

 足を洗ったというスリの「エンコの六」が、またしても仕事をするのではと、大野木刑事が疑う。二人の会話はワンショットずつ、リズミカルにカットを重ねてゆく。なんとしても犯行の現場を押さえたい刑事と、一笑に付すスリ。二人の「追いつ追われつ」がここからはじまる。

 国際通りを歩く二人。敗戦前、風船爆弾の工場だった浅草国際劇場の窓は尽く破れて、火災のあとの焼け焦げが痛々しい。隙を見て、逃げ出す六が入り込むのは六区の路地。カットが変わると、雷門通りにあった地下鉄ビルの時計塔だけが、冬空にそびえ立っている。廃ビルの前で、六は妙齢の女性(幾野道子)とぶつかる。たちまち彼女に惹かれた六は、足をくじいた女性をエスコートすることに。カットが代わって廃ビルが、浅草国際劇場のファサードに代わっている。

 「あそこの劇場、観に来たんですの」と彼女が指差したのは、浅草六区の大勝館。現在はドンキホーテになっているが、大勝館は、明治41(1908)年、映画常設館となり、日活の封切館として親しまれた。大正10(1921)年からは松竹蒲田作品の封切館、昭和に入ってからは松竹の洋画工業チェーン(SYチェーン)として『キングコング』(1933年)などが公開された。敗戦後、復活した松竹歌劇団の劇場としていち早くレビューを再開した。

 当時のファサード、切符売り場が映像に記録されていて、建築物の資料としても貴重。なかではSKD公演「メリー・ウィドウ」が行われている。主演は空あけみと眸瑠璃子。この頃のSKDのトップスターである。空あけみは、川島雄三の『深夜の市長』(1947年)のヒロインをつとめ昭和20年代の松竹映画で活躍する。眸瑠璃子は引退後、映画女優となり再開日活でバイプレイヤーとして数多くの映画に出演。さて、ステージの模様は実際の大勝館の公演を撮影している。これも貴重な映像資料である。

 レビューフアンのふりをして幾野道子は、実は女スリ。劇場で次々と観客の懐中物が盗まれて大騒ぎ。これは「エンコの六」の仕業と、大野木刑事は六を捕まえようとして、追いかけっことなる。ステージに逃げた六が、SKDの女の子に混じってラインダンスを踊ったり、ステージに乱入した大野木刑事とデュエット・ダンスを踊ることに。森川信と山茶花究の芸達者が楽しめるシーンとなる。エプロンステージで女装の森川信が踊り、山茶花究とドタバタを始める。

 結局、六は濡れ衣とわかり、開放される。劇場で彼女から渡された手紙には「あなたがこわい人の相手をしていてくれたので、私、ゆっくり仕事ができましたわ ゴメンナチャイネ」。その手紙を開くのは、隅田川添いの隅田公園。川向こうには松屋浅草デパートの建物が見える。六が佇むのは、言問橋のたもと。すっかり整備されているが、ここは昭和20年3月10日未明、米軍のB 29が下町を襲った「東京大空襲」で、たくさんの人々が逃げ惑い、生命を落とした場所である。それを思うと、複雑な気持ちになる。

 その言問橋から隅田公園に降りる階段に、幾野道子が立っている。六に恋をした彼女が愛の告白をする。この二人のやりとりが、言問橋からのショットや、様々な角度から捉えられて「その日の空気」が伝わってくる。この一連のショットには、いつも万感の思いとなる。
 更生を誓った六に、スリとは付き合えないと言われた彼女は、言問橋の上を歩く大野木に声をかけて自首をする。

 やがて釈放された幾野道子と森川信が、再び隅田公園で再会。抱き合いキスをする。これが戦後、初の映画におけるキスシーンとなった。言問橋の下から、ロングで二人を捉え、背景には、昭和六年竣工の松屋浅草デパートの偉容が見える。現在も同じ建物で営業中である。その手前には東武伊勢崎線の鉄橋がみえる。松屋浅草デパート建設にともない、東武線浅草駅は隅田公園の側から延伸して、松屋の三階から発着するようになった。

 わずか22分の短編だが、浅草と隅田公園のみで撮影されていて、敗戦直後の東京風景の記録でもあり、川島雄三作品は、折々の東京風景をキャメラで捉えていて、東京を舞台にした作品を編年体で観ていくと、街の変遷が体感できる。それもまた映画の楽しみである。

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