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『サチコの幸』(1976年・武田一成)

 昭和51(1976)年、当時の若者たちの間に心地よい衝撃が走った。キリンレモンのCMでお茶の間に爽やかな風を巻き起こした三浦リカは、今で言うグラビアアイドル。清純なイメージの彼女が、文字通り体当たりで映画主演を果たした『サチコの幸』は、ロマンポルノ全盛の日活で年に数作の一般映画。十八才未満でも大手を振って見に行くことが出来ると、当時、映画好きの中高生の間でも『サチコの幸』が大きな話題となった。

 原作は「同棲時代」(72年・漫画アクション)、「しなの川」(73年・ヤングコミック)などの叙情的な画風と、情感溢れる構成で“昭和の絵師”“現代の浮世絵師”と呼ばれていた上村一夫。映画化作品も数多く、「サチコの幸」は、漫画アクションに昭和50(1975)年9月25日号から翌1976年10月28日号に連載されていた。

 敗戦から五年経った、昭和25(1950)年の新宿二丁目で、春をひさぐヒロインのサチコと、彼女を天使と崇める男たちのひとときをリリカルに描いた作品。赤線へのノスタルジー、男たちの欲望や悲しみを優しく包みこむサチコの母性、男たちを喜ばせることが自分の悦び・・・そんな姿を、当時の社会風俗を織り交ぜて描き“あの頃”を知らない若い世代にも不思議な“郷愁”を抱かせた。

 映画『サチコの幸』は、数々のロマンポルノや、秋吉久美子の『妹』(74年・藤田敏八)や、高橋洋子の『宵待草』(同・神代辰巳)などを手掛けてきた岡田裕が、日活育ちの武田一成監督を起用。武田監督は、昭和29(1954)年、製作再開したばかりの日活へ入社。川島雄三、新藤兼人、鈴木清太郎(後の清順)らの現場につく。特に川島雄三の『愛のお荷物』(55年)では、新人ながらロケハンに同行するなど、濃密な時間を共にしたという。『サチコの幸』の頃は、ロマンポルノ『主婦の体験レポート おんなの四畳半』(75年)シリーズを連作、“下町人情ポルノ”というべき叙情の世界で新境地を拓いていた。

 さて『サチコの幸』には、師匠の川島が『愛のお荷物』、『洲崎パラダイス 赤信号』(56年)や『幕末太陽伝』(57年)を描くモチベーションとなった“赤線への哀惜”が通底している。昭和33(1958)年3月31日、赤線は最後の日を迎えることになるが、江戸時代から連綿と続いて来た岡場所への、男たちの想いという点でも、師の世界を受け継いでいる。川島は助監督たちに小遣いを渡し、新宿二丁目などの赤線に遊びに行かせていたという。武田の、若き日へのノスタルジーが『サチコの幸』の作品の体温を高めているような気がする。

 純情学生、性を知らない靴磨きの少年、カストリ雑誌を作っている男・・・ いずれも原作に登場する人物であり、出倉宏のシナリオは、原作のエピソードを巧みに取り入れて脚色しているので、原作のファンにとっても、物語という点ではあまり違和感がない。

 1951(昭和26)年の新宿二丁目の赤線地帯。サチコ(三浦リカ)はとにかく明るい。ヨシコ(永島瑛子)、モモエ(悠木千帆)、みずえ(絵沢萌子)、ユミコ(泉じゅん)たち仲間の娼婦がそれぞれ抱えている労苦や屈託を、サチコは微塵も感じさせない。いつも、みんなを元気にさせる天性の明るさの持ち主である。

 客の男たちもユニーク。大風呂敷の中田(鈴木ヒロミツ)、妙な性癖を持つカストリ作家の桃谷(小鹿番)、そして純情学生たち。誰に対しても分け隔てなく、優しく相手の欲望を満たしてくれる、男にとってはまるで天使のような存在。

 汚れた世界の天使という存在は、日活映画の吉永小百合たち“清純派”と同じポジションでもある。例えば浜田光夫のチンピラが落ちてゆくなかで、ヒロインの小百合の“無垢”に癒され、最後の光明を見いだす。そうした日活ヒロインの系譜をサチコも受け継いでいる。原作の“どこかシニカルな大人の目線を持つ”のサチコと、映画の“一見屈託を持たない太陽のような存在”のサチコは、そういう意味で大きく異なる。

 もちろん、他の日活青春映画のヒロイン同様、サチコの現在を至らしめている、大きな屈託が回想シーンで描かれる。その屈託をいかに克服するか、それが日活青春映画のセオリーでもある。満州からたったひとりで引き揚げてきた女の子が味わった屈辱と生きていくための試練。男の欲望の餌食となった少女の戦後は、あまりにも辛い。それを救ってくれた初恋の人・ケン(丸岡晴久)との束の間の愛。チンピラとなったケンに出かける間際、サチコが味噌汁を作るシーンがある。

 日活ファンはここで『赤いハンカチ』(64年・舛田利雄)の浅丘ルリ子が石原裕次郎に差し出す一杯の味噌汁の温かさを思い出すだろう。映画は、サチコのケンへの思慕と、再会の悲劇を描きながら、サチコを“明るい未来”へとグイッと手を引いて誘ってくれる広沢(寺尾聡)との日々を描いていく。
そのサチコに憧れを抱く、靴磨きの少年・次郎(高野裕之)とのエピソードもいい。性を知らない少年に手ほどきをするシーンで、ドラム缶風呂でサチコが歌うのは、1950(昭和25)年に大流行した双葉あき子の「水色のワルツ」。

 この映画には戦後流行歌が次々と登場する。「東京ブギウギ」(笠置シヅ子)、「東京キッド」(美空ひばり)、「リンゴの歌」(並木路子)、「湯の町悲歌」(近江俊郎)、「悲しき口笛」(美空ひばり)、「帰り船」(田端義夫)、「銀座カンカン娘」(高峰秀子)など。ヨシコの悲しい死に連なる曲は、淡谷のり子の「君忘れじのブルース」である。

 原作にも「東京キッド」の引用や、サチコが今井正の名作『また逢う日まで』(50年)を観るエピソードがあるが、サチコが桃谷の雑誌を露天商(雪丘恵介)へと届ける途中に、『東京五人男』(45年・斎藤寅次郎)の文字看板が出て来るが、武田監督のセンスの良さを感じる。『東京五人男』のハイライトは、主演の古川緑波がドラム缶風呂で「青空」を歌うシーンであり、それが戦後の解放感の象徴でもあるからだ。ちなみに次郎の客として原作者、上村一夫が特別出演している。

 音楽を担当しているのは、2011年に無期限活動停止をした今や伝説的グループの鈴木慶一とムーンライダーズ。1975年に結成され、1976年1月、初のアルバム「火の玉ボーイ」をリリースした彼らの初の映画音楽でもある。メンバーのかしぶち哲郎は、後に大森一樹映画や「釣りバカ日誌」シリーズを手掛け、日本映画を音楽で支える存在となる。主題歌「春暦」は、後に作詞家として活躍する荒木とよひさの在籍していたフォークグループ伝書鳩が歌っている。

 さて、何より素晴しいのはラストだろう。悲しみのサチコが、少年野球に加わって、思い切りバットを振る。このショットは吉永小百合の『風と樹と空と』(1963年・松尾昭典)の爽快なラストを思わせる。過去の屈託を吹き飛ばすように、若いチカラでバットを振るヒロインのキラキラした魅力。サチコはそのまま元気一杯、画面の奥に走り抜けていく。この疾走感は、『幕末太陽伝』でフランキー堺がどこまでも走り続け、現代の品川を駆け抜けていく“幻のラスト”を考えていた川島雄三の想いとも重なる。

 日活映画の精神的な伝統を受け継いできた武田一成監督の手により、サチコはまぎれもない日活青春映画のヒロインのひとりとなったのである。

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