見出し画像

『白昼堂々』(1963年10月26日・松竹大船・野村芳太郎)

 昭和43(1968)年10月26日公開 カラーワイド
 併映 『恐喝こそわが人生』(深作欣二監督/松方弘樹、佐藤友美主演)

 「九州の廃坑になったボタ山の人々が、万引き集団を結成して上京、白昼堂々と都内のデパートをあらしまわる」とは、当時のプレスシートにある作品紹介の一文だが、原作は結城昌治の同名小説。昭和40(1965)年に週刊朝日に連載され、第55回直木賞候補になったクライム・コメディ。この作品の背景には、高度成長に置き去りにされた炭坑従事者の悲劇がある。

画像1

 この映画が作られた昭和43年はまさに昭和元禄、明治百年と二年後の大阪万博に向けて世の中が邁進している頃。野村芳太郎による久々の渥美清主演作『白昼堂々』は、時代の犠牲者である主人公たちを底抜けに明るくユーモラスに描いた群像劇でもある。そういう部分では「拝啓シリーズ」に通じることもあるが、イタリアの犯罪喜劇「黄金の七人シリーズ」のようなドライなゲーム感覚が、この映画を壮快な犯罪喜劇にしている。

 結城昌治の原作が直木賞候補になる前年、やはり実在のスリ集団のコミニュティを描いた藤本義一の「ちりめんじゃこ」が直木賞を受賞、69年には『大日本スリ集団』(福田純)として東宝で映画化されている。犯罪者必罰という映画界のモラルがあるにせよ、詐欺師やスリ、泥棒を主人公にした喜劇は、作家の創作意欲を刺激する。

 野村の演出のことばに「この映画に登場する人間は(中略)誰でも愛さずにはいられない。そんな連中が、はた目には滑稽だが、それぞれ必死になって生きていく姿を描くことは、喜劇として面白い」とある。

 渥美清の扮するワタ勝は、面倒見が良くてお人好し。身内がパクられたとなるや、すぐに弁護士を手配し、その後のケアをする。泥棒共同体のリーダー。ヒロイン、倍賞千恵子のよし子は実にドライな一匹狼の万引き犯。渥美と倍賞というと、どうしても「兄いもうと」のイメージがあるが、渥美の主演第一作『あいつばかりが何故もてる』(62年)で渥美がスリを演じ、倍賞がマドンナ的女子大生に扮している。が、この二人が夫婦役をするというのも、本作の魅力。しかも契約夫婦というのがドライで、ウエットになりがちな喜劇のバランスをとっている。渥美が倍賞に惚れるドギマギした感じは、彼の真骨頂。

 万引き集団の面々もいい。ハゲ寅(江幡高志)、大耳清十郎(人見修)、野田(佐藤蛾次郎)それに、田中邦衛のマーチという極めて個性的な男たち。フレッシュな生田悦子のユキ、NHKの「お笑い三人組」の桜京美の豊代、そして渋野いそ役で渋い演技を見せる江間光括。江間は戦前からの松竹女優で、スター小桜葉子の母。ということは、加山雄三の祖母にあたるベテラン女優。こうしたメンバーのキャラが実に生き生きと描かれている。

 そしてメインの渥美の相棒となる富田銀三役の藤岡琢也に、彼らの仇敵・森沢刑事を演じる有島一郎。それぞれ強いキャラクターを出しながら、絶妙なアンサンブルが楽しめる。ワタ勝の誘いで、再び犯罪に手を染める銀三の人の良さと弱さ。彼らにシンパシーを感じつつ、逮捕への執念を燃やす森沢。単なるプログラムピクチャーなら、この三人にドラマを絞るのだろうが、野村演出は、登場人物それぞれのエピソードを語りつつ群像劇を展開。

 フランキー堺の老獪な弁護士も場面をさらう。オープニング、ユキがひと騒動を起こす場面に登場する萩本欽一と坂上二郎のコント55号。当時、人気絶頂でテレビ、映画に活躍しているさなかのゲスト出演だが、こうしたコメディアンの客演が映画の流れを壊さずに、むしろプラスになっているのが野村映画の魅力。

 それだけの多彩な登場人物を、丁寧な描写と巧みな演出でさばきながら、浅草松屋デパートを舞台にしたクライマックスの大勝負に持っていく演出力はなまなかなことではない。

 ユーモラスなラストも含め『白昼堂々』は、野村監督が目指した「面白くて人間臭い喜劇」となった。この映画は遥かのちの昭和62(1987)年、野村に師事した森崎東監督の『女咲かせます』(松坂慶子、役所広司主演)としてリメイクされている。同じ物語を師弟がどう料理しているか。これもまた映画を観る楽しみである。



よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。