ちょっと変わった子VOL-0

私は、小さいころちょっと変わった子供だったと思う。ちょっとだけだよ。

どんな風だったかというと、ランドセルが青かった・・・当時としては相当珍しい。小学校3年生の時、お土産でもらったアロハシャツと白い長ズボンで平気で学校に行けるそんな子だった。小学校2年生の時、どうしても少年野球チーム―に入りたくて、勝手に先輩たちがジョギングしている後ろを走った。キャッチボールも、先輩たちの後ろで勝手にボールカバーをしていたら、そのうち監督がうちに来た。チームに特別に入れてもらった。小学校5年生の時、通信簿にどうしても納得がいかず、先生に文句を言いに行こうとした。校門のところで母が仁王立ちしていた。
私の母親もとってもファンキーだった。70を超えた今も、ランクルを乗り回している。毎年、私を会社の社員旅行に連れて行った。小学校3年生の時、母は担任に嘘をついた。学校を休んで会社の社員旅行に連れていくことをとがめられたのだ。だから、母は先生に悪たれついて、はっきりとわかる嘘をついた。「病気だよ!病気!」そうしたら、鎌倉の大仏の前で、私の小学校の修学旅行と出くわしてしまったのだ!ちゃらっとした表情で、「奇遇ですね~アハハ」と言っていた。もちろん担任にばれたのは言うまでもない。
父はもっと変わっていた。ピンポーンとインターホンがなり、電話にでて「もしもし!」と言ったり、電話が鳴って、インターホンに出て、「はーい!どちらさんですか?」と言ったり。素なんだよね。素
まーこんな話しをあげたらキリがない。そんな両親に育てられたからね~


ほんでもって、そんな両親と私「あんちゃん」に育てられた私の「弟」は・・・もっと個性的だ。
私は弟のことを「せいちゃん」と呼んでいた。今も心の中ではせいちゃんだ。
せいちゃんは、ジャッキーチェーンが大好き。ジャッキーの数多くある映画の中でも、木人拳!少なくとも1000回は見ている。小学校から帰ってくると必ず見る。必ずだ。おそらく世界で一番見ている。そして、毎回感動し、涙目になる。さらに、私に戦いを挑む。そして負ける。そんな毎日。だから、私も100回くらいは見ている。せいちゃんは、中学校に入るまで自転車に乗れなかった。友達とせいちゃんが遊んでいるのに出くわした時の衝撃。5人は自転車、せいちゃんは・・・走っている。兄として、自転車にのれるように特訓したのは言うまでもない。せいちゃんは泳げない。正確に言うと、息継ぎができない。だから息が続くまでしか泳げない。小学校6年生の時、25メートル泳げるのが必須であったけど、彼は息継ぎせず泳ぎ切った。あほだ・・・息継ぎの練習するのが先じゃね?

そんな家族だったけど、家族ということと、もう一つの共通点、株式会社諏訪商店を愛しているという共通点がある。この諏訪商店にまつわる話しをしていこうと思う。

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