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ある女性広告人の告白

今から13年前、2008年のこと。

その当時、私は「ある広告屋の告白」というサイトを立ち上げた頃で、そのサイトの中のブログを頻繁に書いていた頃だ。

その頃、書籍「ある女性広告人の告白」が出版されたのを目にする。

尊敬するディビット・オグルビーの著書「ある広告人の告白」の女性版ということになるわけなので、当然気になる題名だった。

書籍の著者は、小池玲子(よしこ)先生。早速、購入して読んでみる。

外資系広告会社のクリエイティブ・ディレクターとして、外国人の同僚や取引先との間でさまざまな異文化交流を重ねてきた。この経験に基づいた実践的コミュニケーション論は、グローバル化の進む日本の広告界への示唆に富んでいる。女性広告人の草分けとしての奇跡は決して平坦ではなかったはずで、著者の30余年に及ぶ広告界の挑戦は、女性のみならず全ての広告人に元気を与えてくれる内容だった。

当時は今以上に行動が早かった私は、読後、早速、著書にアポイントを取り、お会いすることができた。

著書の内容からは、かなり厳しい方だと予想していたので、かなり緊張しながらの初対面。

だが、とても優しく謙虚な方だった。一昨年に独立してクリエイティブハウスを設立し、広告界の若手~中堅クラスのアドマンの良い相談役になっているようだった。なぜか、相談相手は、クリエイターより営業マンの方が多いとのこと。

早速、当社の勉強会での講師をお願いするオファーを出させていただき、早速のご快諾をいただき、実現できた。

小池玲子先生も、ディビット・オグルビーを尊敬していて、とても大切にしている広告クリエイティブのアイディアをチェックする問いかけがある。

それが、ディビット・オグルビーの5つの質問だ。

1.それを初めて見た時、はっとしたか?
2.あなたは今見たことをあなた自身のこととして考えたいか?
3.それはユニークか?
4.それは完全に戦略に合っているか?
5.それは30年間使えそうか?

最後の質問は、少々オーバーだが、ビックアイディアとは長く継続が可能なことを示しているものだということ。なかなか辿りつかない領域ではあるが、大切な指針だ。

著書「ある女性広告人の告白」にも出てくるデビアス社のダイヤモンドのキャンペーンについて少し触れてみよう。

小池先生がクリエイティブディレクターとして関わっていた1970年代のデビアス社は、日本ではほとんど知られていなかった。現在はこのデビアスという名前はダイヤモンドジュエリーのブランドとして他の企業に譲渡されている。ダイヤモンド産業とデビアス社の関係はとても興味深いものだ。

そもそもこのダイヤモンドジュエリー、もっとも価値を言語化しずらい商品だ。

情緒価値は、いろいろと述べることができるが、機能価値にいたっては、「光る」「硬い」ということしか浮かばない。

1970年代の初め、婚約指輪を贈る人は結婚する人の50%。ダイヤモンドの婚約指輪を贈る人は、その内のわずか7%。誕生石を贈ることが当時の主流だったようだ。

デビアスはまず、企業のスローガンである「A diamond is forever」というスローガンを「ダイヤモンドは永遠の輝き」という日本語のスローガンに訳した。

また、ダイヤモンドのポジショニングを、「愛=ダイヤモンド」とし、「ダイヤモンドは愛の証し」という婚約キャンペーンのスローガンを設定した。

有名な「婚約指輪は給料の3ヵ月分」は、デビアスが仕組んだガイドラインだった。「給料3ヵ月分で女性が買われるイメージを与える」という意見もあったので、慎重に仕組んでいったとのこと。
この3ヵ月というガイドラインは、当初はさりげなく、そしてだんだんと明確に広告の中で伝えていった。
結果的に一般的に定着したのは、郷ひろみが二谷友里恵と結婚した時、エンゲージメントリングの値段を記者に聞かれて「給料の3ヵ月分です」と照れながら答えたことだった。

ちなみにデビアスは、このガイドラインを日本だけでなく、世界的に利用した。3ヵ月分というのは、日本のみでフランスは2ヵ月、南米では1ヵ月。一昔前のことではあるが、こんなことまで仕組まれているとは、驚きしかない。

当時、デビアスは婚約指輪を愛のシンボルとして、ダイヤモンドをしっかりと定着させていったのだが、その他にも人生の節目としてのキャンペーンをいろいろと展開していった。だが、どれもが成功したわけではない。むしろ失敗の方が多かった。

例えば・・・

◆結納返しにダイヤモンドキャンペーン
男性向けのダイヤモンドの宝飾品をいろいろと開発し、広告展開していったが、当時は、やはり普通の男性にとってダイヤモンドをつけることは大変勇気があることであり、需要を喚起できなかった。

◆成人式のダイヤモンドキャンペーン
成人式に親から娘へ本物のジュエリーをテーマに展開した。この場合の競合は和服で、和服の方に軍配が上がった。

◆エタニティリングキャンペーン
最初の子供が生まれた時に、夫から妻へありがとうの意味を込め贈るという
コンセプトだったが、ブームを起こすまでにはいたらなかった。

◆スイートテンキャンペーン
10年目の結婚記念日を祝って、夫から妻への感謝のしるしというコンセプトで立ち上がった。ネーミングは結婚10周年などという硬いものではなく、より二人の愛をイメージしやすいもの、覚えやすいものとして「スイートテン・ダイヤモンド」となった。このキャンペーンは、ターゲットの心をとらえ、結婚10年に限らず「スイートテンが欲しい」とねだる多くの妻たちが増えたようだ。

◆25thアニバーサリーキャンペーン
最も高い1カラットのダイヤモンドを売るためのキャンペーン。夫が妻へのお礼を込めて贈るものは、二人の思い出作りの旅行などが優位に立ち、ダイヤモンドの価格が高かったこともあり、一般的にはあまり受け入れられなかった。


失敗の方がはるかに多かった、このようなキャンペーンはもとより、デビアスは、様々な切り口で日本人にアプローチすることにより、1988年には、日本は世界第一位のダイヤモンド消費国になった。

これらのキャンペーンのメッセージ、表現を開発していったのが、「ある女性広告人の告白」の著者 小池先生なのである。

こんなことを聞かされたら、小池先生の深い知恵をもっと学んでみたいと思わないわけがない。

ということで、この年(2008年)に立ち上げたブランド・マネージャー認定協会の評議員の就任をお願いした。

一般財団法人ブランド・マネージャー認定協会役員紹介ページ
https://www.brand-mgr.org/about/member.html

あれから、13年経つが、小池先生には本当にお世話になっている。何よりも、協会の受講者やトレーナーのなかでも、特に女性のファンが多い。

それもそのはず。
日本はまだまだとはいえ、ジェンダー平等を実現しようという動きが出てきている近年とは違い、小池先生が女性広告人として辿ってきた当時は、日本の大手広告代理店は、お茶汲みは女性の仕事と決めつけ、女性の広告人の採用を受け付けていなかったなど、本当に険しい時代を乗り越えていらっしゃるからだ。

また、外資系広告会社のクリエイティブ・ディレクターとして、外国人の同僚や取引先との間でさまざまな異文化交流を重ね、女性広告人の草分けとして30余年に及ぶ広告界の挑戦は、女性のみならず全てのビジネスパーソンに元気を与えてくれるものだ。

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