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一枚の写真から・ラリーカーシリーズ2・・丸太橋を渡ったダイハツコンソルテ


前回のラリーカーのシリーズ1では、我がボスでありラリーの神様と呼ばれた澁谷氏の力で、各メーカーからラリーカーを使用するに至った経緯を書いた。
そしてシリーズ1では、スバルレオーネで走ったことを書いた。

今回は、ラリーカーシリーズ2として、ダイハツから使用させてもらったコンソルテのことを書いてみたい。

1970年代当時、日本アルペンラリーに次ぐJMCのビックイベントは、3月のマウンテンサファリーラリーと、5月のデー&ナイトラリーであった。
そのデー&ラリーのとき、私はダイハツ・コンソルテという小型のラリーカーでコース調査に出かけた。

例によって初回のコース調査は私一人である。
国道20号線を北上し、山梨県から長野県に入り、高遠を経て飯田方面をコースに組み込む構想である。

先ずは、長野の富士見町から左に入り、入笠山で最初の山場を作ろうと、ハンドルを左に切り、どんどんと山奥深く入って行った。
ところが、数日前の嵐で、道路が寸断されていた。その情報を掴んではいたが、実際に行ってみなくては、本当のところは分からない。
すると案の定、道路が決壊していた。

でも、地元の人が丸太を渡して、臨時の丸木橋を作り、何とか通れるようにしてある。
「う~ん、大丈夫かなぁ~」と、下調べしてから、慎重に渡らせた。
そこは何とか通れたが、少し先でまた同じように決壊したところが何か所もあった。


丸太がバラバラにならないか等を確認して、慎重に渡らせた。

コンソルテは小型で軽いから通れるが、ラリー参加車の中にはスカイラインのような重めの車もある。しかもそのラリー本番は1ヵ月後に迫っている。
はたして1ヵ月で、道路は直るだろうか・・・? まず無理だろう。

直らなかった場合、このような応急処置的な丸太橋を走らせると、雑誌の写真としては面白いかもしれないが、適切なコース設定とは言い難い。

それと、地元の人が努力して掛けた橋なのに、地元には関係のないラリー車を何十台も通すのは、気が引ける。

近隣の林道のコースも走ったが、嵐はその一帯を襲ったから、あちこちで道路が寸断されていた。

そこで止む無く、この入傘山をラリーコースから外し、152号線で杖突峠を経て、桜で有名な高遠、そして南アルプスを左手に見る格好で、木曽路を南下。長野県南部にある清内路峠を経て、再び高遠を経て、国道20号に戻るコースとした。

コンソルテは、トヨタのパブリカと共通ボディだった。その後ダイハツ・シャレードへと代わっていくが、シャレードは1993年のWRC(ラリー世界選手権)で、総合5~7位を占めるまでに、ラリーカーとして成熟していった。

私にとってはダイハツと言えば、丸木橋を走らせたコンソルテが、最初に思い出す車となった。


#ダイハツ #ラリーカー #シャルマン  

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