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小さなタイピンの大きな思い出2 JASのカメレオン・ピン

「貴方にこれプレゼントします。 JAS(航空会社の日本エアーシステム)の社内用の特別記念品として造ったもので、光の当たり方によって色が変わるんです」と言われて、手渡されたのがこのタイピンだった。

確かに光の当たり方によって、深いオレンジ色からエメラルドグリーンに変わる。大いに気に入った。

非売品で、お洒落で、エアバスA300-600Rという飛行機がデザインされていて、
私は「カメレオン・タイピンと名付けた。

裏にはJASの文字あり。

プレゼント主は、JASの元社員のAさんで、時期は2002年頃だったと思う。

それがなぜ私にプレゼントされたのか?
それは拙著「ゼロファイター大空を翔る男」から始まる人の繋がりからだった。

私は元ゼロ戦パイロットにして、戦後は東亜国内航空の機長も務めた菅原靖弘氏を主人公にした「ゼロファイター大空を翔る男」を著し、長崎出版から刊行してもらった。


2002年発売の「ゼロファイター大空を翔る男」。(長崎出版刊)


改題して20年後の2022年に発売された文庫本
「ゼロファイター世界を翔ける」潮書房光人新社刊(産経新聞系)

東亜国内航空はその後、日本エアーシステム(略称JAS)と名称を変更した。
だから主人公の菅原氏とAさんは知り合いであった。

本が出版されてたを機に、Aさんは菅原氏に連絡を取った。
すると、菅原さんはAさんに「著者の茶木さんは、Aさんの住まいのすぐ近くですよ。歩いて数分のところにいらっしゃいますよ」と言われたらしい。
それで、Aさんと私は会い、そのピンをAさんからもらったという次第である。

あれからもう20年以上も経った。

日本エアーシステム(JAS)の前身は、1971年に日本国内航空と東亜航空が合併してできた、東亜国内航空(TDA)である。
戦後初の国産旅客機であるYS-11を定期便として飛ばしたのは、この東亜国内航空(TDA)の前身である日本国内航空である。
その第一号の機長として飛んだのが、主人公の菅原氏である。1965年(昭和40年)のことだった。


JASの旅客機


JASのロゴマーク


菅原氏は、YS-11も数多く、世界へフェリーした。
フェリーとは、貨客運送を目的としないで、航空機を世界へ運ぶフライトである。
このYS-11は、カラーリングがJASのままとなっている。
写真:アフリカの東海岸、タンザニアのダルエスサラームにて。(左が菅原機長)

TDAは1988年から国際線路線も持つようになり、社名を日本エアーシステム(JAS)に変えるまで発展し、日本航空(JAL)や全日空(ANA)とともに、日本を代表する翼となった。
東亜国内航空時代&日本エアーシステム(JAS)のカラーリングはカラフルで、私は好きだった。

JASは、今は日本航空(JAL)に吸収合併されたので、もう過去の航空会社になってしまった。
でもこのタイピンは、、私にとって、菅原さんや、JASのことを思い出すスイッチになっている。
永く愛用したい。

#タイピン #JAS #日本エアーシステム #ネクタイ  #


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