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隣接県なのに、自動車道路が1本も無い

立ちふさがる北アルプス立山連峰

陸続きで隣接する都府県で、自動車の道路が全く無いのは、日本全国で次の2ヵ所だけである。
① 富山県と長野県 (約66㎞の山岳隣接)
② 群馬県と福島県 (約22㎞の山間隣接)

富山県と長野県は、66㎞も接しているのに、何故全く自動車の道路がないのか。それは、その県境に屏風のように立ちはだかる立山連峰があるからだ。

厳冬期の立山。
これと同じ大きな写真が、室堂にある立山ホテルの入り口に飾ってある。 
撮影:写真家 柳木昭信 (本人の許可を得て掲載)


富山と長野の県境(図右側)には、北アルプスの立山連峰が立ちふさがっている。
青い部分が黒部ダム湖


だから、富山から長野に自動車で行くには、北上して一旦新潟県を経るか、南下して岐阜県を経るかしかなかった。

☆その1のルート
富山から新潟を経る場合は、富山から日本海沿いに北上し、新潟県の親知らず、糸魚川を経て、そこから南下。
翡翠(ヒスイ)で有名な姫川沿いに進み、長野県の白馬を経て大町に出ることになる。

☆その2のルート
一方、岐阜県を経る場合には、国道41号線を南下し、富山県の猪谷(いのたに)で岐阜県に入る。そこからさらに南下し、神岡、平湯を経て平湯峠(現在はトンネル)を超え、長野県に入る。


安房トンネル(有料)
このトンネルのほぼ中央部に、岐阜と長野の県境がある。
トンネルを抜けるとすぐに避暑地で有名な上高地の入り口がある。

このトンネルが岐阜長野県境になり、トンネルを抜けると、すぐに出てくる上高地入り口分岐点を経て、長野県の松本に出る。大町に行きたいときは、松本からさらに北上するのである。

つまり、富山から立山の反対側ににある長野県の大町に行くには、立山連峰を大きく回り込まなくてはならない。

富山で育った私は、毎日その立山連峰を見て育った。それは誠に美しい。春、夏、秋にその立山でスキーを存分に楽しんだ。冬は立山には入れないから、立山山麓のスキー場でスキー三昧を繰り返した。


立山を遠方に見ながら、富山県の立山山麓・粟巣野スキー場のオフピステを新雪を滑る。
スキーヤー茶木寿夫 撮影:写真家 北正之


朝日を浴びて。スキーヤー茶木寿夫 
粟巣野スキー場にて。撮影:写真家 北正之

そんな楽しみを与えてくれた立山連峰だが、それが屏風のように立ちはだかるがゆえに、「東京は、立山連峰の向こうにある」と頭ではわかっても、東京はとても遠く感じた。

立山連峰をぶち抜いた男 

その立山を、「トンネルでぶち抜いて、長野へのルートを造ろう!」と、壮大な計画を立ち上げた人物がいる。それは、立山山麓の芦峅寺の佐伯宗義氏だった。氏の生まれた芦峅と言う集落は、霊峰立山を取り仕切っていると言っても過言ではない。

佐伯宗義は地元富山の名士で、富山地方鉄道創業者であり、衆議院議員だ。氏は、1964年(昭和39年)に立山黒部慣光を立ち上げ、この壮大な計画をやり遂げた。

私がまだ小さい頃、父親からこの壮大な計画を聞いた。子供心に何か新しい風が吹くぞ! と、嬉しくなった。

氏のお陰で、自動車道ではないが、普通の靴でも行ける立山黒部アルペンルートが開通した。

これが開通したおかげで、富山への観光客は増大した。
国際空港である富山空港から立山黒部アルペンルートを抜け、長野の大町へ抜けるコースは雄大である。

このルートには立山直下のトンネルを走る、日本でただ一つのトロリーバスが走っている。
このトロリーバスは、見た目は普通のバスだが、実は鉄道車両なのである。それが時代の流れととともに、2024年末でEVバス(電気バス)に変わる。

実はこの記事を書くキッカケは、そのトロリーバスからEVバスに変わる記事を書いているとき、道路も鉄道も一本もないことを再認識したからだった。


立山トンネルを走るトロリーバス。


天井にある電線から、電車と同様にパンタグラフで
電気を摂って走るトロリーバス。
鉄道車両だから、運転手は電車の免許が必要となる。

季節ごとに変わる「えも言われぬ絶景」の立山連峰、ロープウェーからの俯瞰、荘厳な黒四ダム、など多くの人に喜びを与え続けている。

黒四ダム 映画「黒部の太陽」は、石原裕次郎と三船敏郎らを中心にして、
このダム建設を描いたものである。

トロリーバスからEVバスへの変化に際し、立山にまつわることが走馬灯のように思い出される。また、何かの機会に立山のことを記してみたい。

#立山 #黒四ダム #上高地 #翡翠 (ひすい) #スキー


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