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日野コンテッサ・・・リアエンジン車の魅力

私の最初の愛車になったのが、日野コンテッサ1300である。時代は1968年(昭和43年)。そんな最初の愛車のエピソードを記したい。


私の最初の愛車となったのが、日野コンテッサ1300の4ドアセダン。
日野オートプラザにて。
我が愛車の写真は、残念ながら見つからない。

1960年代は、まだ交通が今ほど発達していなかった。そんな時代に、父にクルマに乗せてもらった時は、クルマは「自由の翼」だと思った。
何しろ、道さえあれば、地図上のタテ ヨコ ナナメと、24時間どこへでも行くことが出来る。

その時代、日本は高度成長期であり、巷の空気に活気があふれていた。各自動車メーカーの発売する新型車は、国民に夢と希望を与えた。
私もワクワクし、今度出たクラウンはどんなスタイル? 日産のブルーバードは?・・・などと新聞の広告をみたり、街中でその車をみたりして楽しんでいた。
オートバイは雨が降れば濡れるが、屋根付きの自動車なら、雨でも濡れずに行ける。これは夢の乗り物だとも思った。

16歳で自動二輪免許を取得し、18歳で普通免許を取得した。免許は取れても、クルマをおいそれと買うわけにはいかない。でも父がクルマを買ってやると言ってくれたのには驚いた。

父は大型2種免許をもち、最初に自動車免許を取得したのは昭和5年(1930年)。それは富山県で5人目の取得者だった。
クルマに精通した父は、「オートバイは危険度が高いから買わなかった。だから3年間我慢させたが、4輪車ならオートバイよりも安全度が高いだろうから買ってやる」とのことだ。

だが、新車を買うなどは夢物語で、当然中古車となる。それでもとても嬉しかった。

日産のブルーバードが良いなぁ~と思っていたが、人気があるから中古でも高かった。そんなおり、何かのキッカケで日野コンテッサ1300の良い出物があると言われた。見てみるとなるほどカッコいい。特に真横や、斜め後ろから見たスタイルが抜群に良い。


コンテッサ1300クーペは、誠に流麗で、
まさに芸術品のように感じた。
値段も高価で 、まさに高嶺の花であった。

調べてみると、コンテッサとは、イタリア語で伯爵夫人のことだった。値段の安さと、気品のある独特のスタイルと、名前に惹かれ、それに決めた。当時で28万円。同程度のブルーバードやコロナから比べると、約10万円安い。

だが安いには理由があった。それはコンテッサが既に生産を中止されていたからだった。

コンテッサはポルシェとおなじくエンジンがリヤにあるRR(リヤエンジン、リヤ駆動)なのだが、それはあまり意識しなかった。

コンテッサは名前もスタイルも、とても良く気に入っていたが、どうも少々丈夫さに欠けるように感じた。
ラリーに興味を持ちだした私は、この車でラリーをする訳でもないのに、もっと丈夫な車の方が良いと思い、ベレットに乗っているある人に「交換してくれないかな」と話したら、「ヤーだよ」と即座に断られた。

丈夫さには劣ったが、逆に「おっ凄い」と惚れ直したことがあった。
ある時チラチラと雪が降って来た。他のFRの車(フロントエンジン、リヤ駆動)がお尻を振ってまともに走れないのに、RR(リヤエンジン、リヤ駆動)のこのコンテッサは、夏タイヤで尻振りもせずに、そのまま走れたのである。
「お~ぉ、FRとRRはこんなに違うのか!」と痛感した。それは快感でもあった。

その時代、TVでは盛んに日産がブルーバードのサファリーラリー挑戦をCM放映していた。力強くてカッコいい。私はだんだんにラリーの魅力に取りつかれていった。次は絶対ブルーバードだと思った。そしてそれは後年実現するのである。

でも雪道で他車を尻目にスイスイ走るコンテッサも印象深い。だから機会があれば、またRRに乗ってみたいと思っている。


リヤエンジンのコンテッサ。 日野オートプラザにて。
RR(リアエンジン、後輪駆動)で有名な車には
ポルシェ911や、フォルクスワーゲンかぶと虫などがある

そしてもう一つ心の中を打ち明けたい。
コンテッサは日野自動車の本社工場で生産されていた。近年縁があって、私は日野自動車からの依頼で、日野の機関誌に記事を書いた。記事を書くにあたり本社工場も特別に見せてもらった。
工場を歩きながら、最初の愛車コンテッサがここで生まれたのかと思うと、50年以上の時を経て何か里帰りした気分になった。
世の中の縁とは不思議なものである。


余談だが、元東京都知事の石原慎太郎氏のヨットも、船名がコンテッサである。彼は「この名前を付けたのは、私の方が先である」と言っていた。
氏のヨットを葉山で見たことがあるが、確かに名前の通り気品を感じさせる流麗な船だった。


#車 #リヤエンジン #コンテッサ #日野  


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