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大学4年間の振り返り②

前編の①では大学1、2回生の陸上生活を振り返った。
今回は後編となる大学3、4回生の振り返りをしていこうと思う。

結論から言うとこの2年間はとにかく濃い2年間だった。
どれくらい濃かったかというとスタバのダークモカチップフラペチーノぐらい。←意味わからなくてスミマセン

自分が一番好きなメニュー

そんな濃い2年間なので当初は前編、後編として考えていたがこの記事は大学3回生の振り返りのみにします。


大学3回生の始め

今のうちにスピード磨いたらマラソンももっと速くなるんじゃね?
最初はこの思い付きだ。
その決断力は実に素晴らしいもので、しかも自分は恰好から入るタイプ。
早速ステップでドラゴンフライをゲット。そうと決まればトラックレースに出ないと宝の持ち腐れである。
最初は非公認の近場の大会に出場した。

結果は18分13秒
この時のlogを見ると目標を18分半切りにしていたようだ。見事に目標達成している、お見事
この時辺りからpro elite のウェアに興味を持ち始めた。

そんなこんなでトラックレースの門出を飾った。
そこからは主に5000mをメインに練習を組みつつマラソンにつながることを意識していたと記憶している。
特に8000mまでのPRとか400m~1000mのインターバルの頻度が多くなっている。
個人的にトラックレースとなると特異的な練習も増えるしそれなりの知識が必要な気がする。
陸上部所属経験がなかったため有馬さんや管理人5000さんの投稿、リディア―ドやダニエルズの本で勉強しまくった。

が、この時期は特に長期的な計画というよりはその週になってはじめて自分のやりたい練習をやるといった感じで目標から逆算してメニューを組み立てたりすることはなかった。
いわゆるただ漠然と走っていた
それでもやり始めはとことん伸びる。
初トラックレースから1か月後の5月に陸連登録をしてから初めての公認レースに出場。
結果は17分58秒
約1年で5000mの自己ベストを1分更新した。

各ラップ

そこから何度か5000mを中心に記録会に出走していく。
だがなかなかこの自己ベストを更新できないでいた。もちろん暑い時期になっていって記録が出しにくいことは頭ではわかっていても気にしてしまうのが自分の悪い癖である。

結果的にこの年の上半期は17分58秒が自己ベストで終えることになる。
そして夏の時期に自分が競技に取り組むにあたって転機となる人に出会う。

自分を変えてくれた転機

夏の時期だということでスピード強化に取り組もうと思っていた矢先だ。自分が当初取り組んでいた1000m×3全力の練習報告を見てこのような投稿をしたのだと思う。

この投稿をたまたま見つけて自分からDMを送った。それがAさんとの契約の始まりである。自分は知らなかったが6月のATT(アマガサキタイムトライアル、関東でいうOTTだ)に同じく出場していたとのこと。

そこからやり取りを行い自分が10月の金沢マラソンで3時間切りと5000mで自己ベストを出すことを目標にしていることから練習メニューを組んでくださった。
同じ時期には何度か一緒に練習も行った。
一番覚えているのは大阪城公園で行った1.5㎞×5本(r=2分)。猛暑ということあり当時はめちゃくちゃキツかった、、、

これまでは自己流で練習の組み立ても週単位。その時やりたい練習をやるという感じで走っていた。もちろん陸上のイロハもないわけで練習の目的も意識することはなかった。
そんな自分にAさんはレースでこの結果を出すためにやるべき練習、練習の組み立て方、競技に関する考え方など基本的なことから応用までありとあらゆることを自分に叩き込んでくれた。
練習メニューをもらってげんなりしたことは何度もある。

それでもこの人についていけば必ず結果を出せると信じてついていった。

そして10月

Aさんといわばコーチと選手関係になって目標レースの1つである吹田ナイター記録会5000mに出走。
マラソンでも結果を出したいという難しい挑戦ながらAさんに的確にメニューを組んでいただいた。水曜は5000m系のメニューで日曜に20㎞近くのPRといったマラソンに向けた練習、普段のjogの後に動きが小さくならないように200m×5本、300m×3本といったプチショート系のレぺといった感じて練習を積んでいた。

結果は17分46秒

当初は17分45秒程度を目標にしていたが5月以来の自己ベストで嬉しかった。2週間後に金沢マラソンが控えていたため、いい形でマラソンに出れる気がした。
マラソンに向けての練習は別記事で書いているので気になる方はそちらをお願いします。

そして勢いそのままに金沢マラソンで2時間46分で完走。自分でも信じられないくらいの結果だった。もちろんAさんも驚いていて最初は信じてくれなかった。
Aさんのおかげでこの結果を出せたことは間違いなくどんどん速くなりたい、もっと成長したいという気持ちがどんどん沸いた。

当初はここまでの契約だったが引き続き面倒を見ていただけることになった。ありがとうございますm(__)m

今までにないくらいの挫折

だが金沢以降は苦しい時期が大学4回生になるまで続く。

おそらくマラソンの疲労が完全に抜けきっていなかった。
その状態で自分が強度の高い練習をできると判断しメニューを作ってもらった。マラソンが終わったらトラックに専念するつもりだったし、1月に出走が決まっていた大阪ハーフは「5000mのため」という位置づけにしていた。

一気に練習強度も上がった。週に2回だったポイント練習が実質3回に。メニューもスピード系とビルドアップ系の組み合わせとハードだった。
始めこそ消化できていたが徐々にポイント練習が消化できなくなっていく。

しかも自分はメンタルがかなり繊細なタイプ。練習の結果もかなり気にするしレース中のアクシデントや直近の練習の消化具合でもかなりレース結果を左右する。当然レースで全く走れなくなった。

他にもGPSウォッチによる実際のタイムとオートラップの違いによるペース感覚の狂いから自分の走力を過信してしまった。
結果的に1月の大阪ハーフマラソンはAさんの中では78分~79分で走れると踏んでいたが実際には80分がやっと。

このときは練習メニューを組んでもらっているのに不甲斐ない走りしかできない自分が本当に悔しかった。
結果を出せない申し訳なさがあった。このプレッシャーと闘っているトップアスリートの人たちの気持ちがわかった(つもり)。
いつしか思うように走れないことがストレスになり食に走ることも度々あった。

個人的に年が明けてから4月までの記憶がはっきりとしていない(笑)苦しい時期だったということもあるしレースもあまり出ていなかった。
それでも3月に出た学連記録会5000mでは何とか17分台は死守。ただ満足はしていなかった。
それでもこんな自分を受け入れてくれたAさんには感謝しかない。

大学3回生編はここまで。
かなり長くなって当初の予定とは変更した。この3回生を一言で表すなら「山あり谷あり」だ。
いいことも悪いこともたくさん経験できたし勝負の世界はそう甘くはいかないことも学べた。
かなり長くなりましたがここまで読んでくださりありがとうございました。

次回は大学ラストイヤー編です。
是非読んでいただければと思います!!


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