鳥取最終日

昨日は確定申告を終わらせに行った。去年よりも何故か会場でごたついた。


去年はもっとスムーズだったし何よりも最後に確認してくれる職員さんがめちゃくちゃ仕事出来る人で税金の抑え方や、こちらの申請の仕方を見て「こうした方が良いからこっちでやっておきますね」なんて勝手に色々してくれた。


今回は言われたことを言われたレベルでやる人だった。その人を見た時に去年の職員さんはとんでもなく凄い人だったんだなと気が付いた。それと当時に言われたことを言われたレベルでやるのならネットで良いやとふと思った。来年からはしっかり調べてネットでやってみたい。


因みに会場で働いてるおっさんに少し説教された事件もあった。「楽しいだけじゃやってけないぞ?」って言われた。まさか確定申告に行ってこんなことを言われるとは思ってなくて面を食らった。まぁちゃんと口答えさせてもらったのでそこまで後は引きずってないです。こういう時に頭が回る自分を褒め称えたい。


自分の心のシコリだった確定申告も終えてホッとした。


夜に近所のスナックに行った。スナックをやってるアイさんにはお世話になったのでそんなにがぶ飲み出来ないけど嗜む程度にお酒を頼み、地元に帰る旨を伝えた。


お店は空いていて、癖の強い男性の客が1人と自分だけだった。


男性も途中で帰り、自分は嗜む程度の酒で閉店まで居座った。中々に店泣かせな迷惑客である。


やはり人生経験が豊富な人の話を聞くのは面白い。アイさんも色々な事に揉まれて今があるんだなと知れた。


自分は常々、ずっと逃げてき頑張ってこなかったと口にする。自分に圧をかけられない。と言うか圧から逃げることが結構上手な事を近年知った。


でもそもそも違ったのかもしれない。逃げると言うのは辛く苦しいなにかがあった末の選択。自分はそこまで行ききらない。逃げてるんじゃない。避けてるんだと。


避けるとは「こうなりそうだな」を事前に回避したりしようとする事を自分は指してると思う。だから正確にはまだ起きていない、体感していない事に対して手をうってきたのだと思う。単純に言うとなにもしてこなかった。これが正しい。


逃げた人は何かした結果から逃げると言う選択をしたのだ。避けるはその結果が出るその前段階。だから何もしてないのだ。だから結果も出てない。


辛く苦しい事を体感せず、辛く苦しいだろうなと想像で自分の足を止める。


辛く苦しい事をわざわざしなくても良いと言うスタンスは帰るつもりはない。


だけど例えば、バイトや仕事をしようかと思った時に応募する前に「やっぱり止めよう」とするのなら、そもそも応募して落ちるかもしれないし、受かったならやってみてからでも止めれる。でも応募する前に止めたら、応募することと受かってやってみることは絶対に体験出来ない。


後でもその選択肢を取れることならとりあえずやってみるのが得なのかもしれない。まずは避けるを逃げるにレベルアップさせたいなと思った。


そして今日はお片付け最終段階。部屋を片付けて荷造りをした。


あらかた終わったので今noteを書いている。


片付けをしていくと「あぁ出ていくんだな。ここでの生活も終わりか」と実感が少しずつ湧いてくる。


色々とあったのかあっという間だったのか良く分からない感覚と時間の中でしっかりとゴールを迎える瞬間が明日やってくる。


なんとも不思議な時間だった。夢でも見ていたのか。


でも尾道から一貫してて良かったなと思うことは、住む場所に期待が無かったこと、憧れが無かったこと。田舎や島や地方なんかに興味は無かったしそこに住みたいとかそこで何かしたいとかは無かったからそこだけは良かった。でもその分を補ってあまりあるほどに人には環境には期待してしまってたかもしれない。それで勝手に返り討ちにあったこともある。


期待と言うのが如何に独りよがりか、少しだけ分かった気がする。だけど期待してしまう自分をゼロには出来ないのも事実。


そして話は逸れるのだが、もう少しで何か大事な事を掴んで気が付けそうな予感がしてる。


漠然とした予感。やりたくてやる。好きだからやる。楽しいからやる。何か憧れ(有名になりたいとか)を目指す。やはりそれだけでは不充分な気がしている。それらだけで自分を鼓舞するのは限界がある。


世間で言う、夢を叶えてる人やトップの人、活躍している人は奥底の似通った何かがある気がする。それを持ってるだけじゃ叶わないけどそれらの人はみんなそれを持ってる。そんな気がしてる。


勿論ジャンルによっては資質とジャンルが噛み合って抜きん出る人もいる。そう言う人はちょっと例外だけど。まぁ例外と言ってもこういう人は結構いるから母数だけで言えば例外でもなんでもない。後は平和であるが故に嘘を付いてもそれを嘘だと証明するのが難しい、本人の振る舞いによってはそれが無理な場合もある。そのパターンで世の中に認知されるレベルになる人もいる。これも例外。これの方が例外。


これについては考えていきたい。でももう本当にすぐそこまで来てる気がする。


とりあえず夜はお世話になった左官職人のヤツダさんにお別れ会を開いてもらうことになっているので最後の夜を過ごしてきたいと思います。



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