言わなくも良いこと

自分は結構、言わなくて良いことを言うことがある。何をもって言わなくて良いのか?それをちょっと説明したいと思う。


正直言うと、言わなくても良いような事を対象に向けて言った時。その時点では言わなくて良いような事とは思っていないし分かってない。


それに気が付く瞬間は対象以外の周りの人の反応や顔。それを見て「あっ…ヤバ。さすがに露骨すぎた。場的には言わなくても良いような事を言った。言わなくても良いような言い回しをした」と気が付く。


でも問題はここじゃない。そう言う事が往々にして起こる時、大体は対象の地雷は全て躱せるし避けられるけど敢えて避けない。なんでこっちが避けるなんて気を遣わなくてはならない?対して好んでもない相手に。と言う思いがあることが殆んど。先にも書いたけど言ってる時は何とも思ってない。だって好んでもない相手に何故気を遣うんだと言う邪の思惑があるから。それを放ったことによって他の人の顔や反応が歪むからさすがにやりすぎかと思うだけで自分の中での放った事実に対しての反省はその対象に対しては全く無い。周りに対してはある。


避けれるものを敢えて踏む。まさに言わなくても良いことに直結している。


ここからがまためんどくさい。避けれない地雷。意外と自分はこっちの方が何も言わない。どうなるか分からないからだ。


ようは言わなきゃいけないであろうことを言えない。


そんな時、色々な言い訳が頭に浮かぶし口から出る。まぁ自分は自分。他人は他人。その人なりの考えやら背景があるんだろ。みたいな自分以外を尊重するようなフリをする。


でも実際は自分の想定外の事に、めんどうに巻き込まれたくない。逆上されたくない。嫌われたくない。嫌なやつと思われたくない。と言った系列の自己保身が列を作る。


どう考えてもおかしい。そのおかしいことをおかしいと言えない。


自分が何かを見落としてるのかもしれない。一方的に言うことにならないだろうか?本当は悪くないのかもしれない。その人自身にしか分からない真実があるかもしれない…なんて考えていつしか気が付けば心のどこかで「この地雷は誰かが処理するか踏むでしょ」と言う事に期待してしまう。


踏まなくても良いことを踏むくせに踏まなきゃならないことに躊躇する。


我ながら中々に悪に満ちた性格してんなと思わざるを得ない。


まずは事実確認からして整理する。そこから始める。そんなプロセスすらめんどくさがる。相手もめんどくさい顔をする。そんなことは分かってるのにその微妙な変化で自分は何故か引いてしまう。


踏み込まなければならないところを引いて引いておけば良いところを踏み込む。


自分がいつも痛い目を見るパターンである。テコンドーやっててもそう。


そんなくだらないことに頭使ってるから嫌いな人も多いし、いざと言う時に頭が回らない。必要な度胸も出ない。


生ぬるい場所から石を投げるより、ステゴロで近接格闘。その度量こそ人との関わりでは重要。


そんなさ生ぬるい場所から石ころ投げてるような、投げれるような対象に自分がそれほどまでに労力を注がなくてはならないのだろうか?大切なのはステゴロで近接格闘をすべき対象なのではないだろうか?


少なくとも自分は石ころを投げている時は対象の事なんか別に好んでもない。でもステゴロで近接格闘を覚悟する時の対象はいつも自分にとっては関係として良くありたい対象だ。それか度を越してめちゃくちゃ嫌い。


石ころと近接格闘は表現だけど、自分が好む相手には思ったことを言うのは難しいし別に嫌われても良い、こちらも好いてない相手にはなんの緊張感もなく思ったことを言える。めちゃくちゃ嫌いな相手にも近接格闘になる。嫌いが抑えきれないから自分の想像を越えた展開になりやすい。嫌いだからぶちのめしたくなるし完膚なきまでに叩きのめしたくなる。でもそれはめちゃくちゃエネルギー使うし疲れるから避けたい。だけどこれもきっと言うべき。石を投げるぐらいなら。


取っ組み合いの大喧嘩。怒鳴り声を上げて言葉にならない言葉を吐き捨てて感情を剥き出しにして。嫌いも出しきれたらそれはまた別の形になるだろう。


やるなら徹底的にだ。逃がすな。後で陰口とか言わせるな。それを知ったらぶちのめす。そのぐらいの気概を相手に示せ。裏でなんてそんな安全圏許すな。安全だと思っている手段や領域にまで手を伸ばされると人は恐怖する。


最後の悪あがきで逆上もあるけれどそれも潰す。


日本が平和であるからこそ屈服こそ無いけれどそこまで示せば大抵相手が去る。もしくは清々しく自分が去れる。しかし後に刺される覚悟も必要だ。


人の心ばかりはどうにも出来ない。


なんて。そんなことやったこともないけど石を投げてるより、ステゴロで近接格闘の緊張感から逃げずに思ったことを口に出来ない限りは人との関わりの問題は形を変えて人を変えて同じものが降り注ぐだろう。


石を100発投げるより、1回拳をふるう方が遥かに怖い。故に価値がある。


石を投げてる暇はない。拳をふるえ。


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