分かることとは「今の自分では分からないこと」を”分ける”こと
私は基本的にFXトレードで生計を立てているわけですが、トレード自体を「仕事」だと思ったことはありません。
どこまで言ってもギャンブルにしか過ぎませんからね。
私が考える「仕事」とは
「人に価値を提供することでその対価として報酬を得ること」
のことだと思うので、その点から言えばFXトレードなど何の利益ももたらしてはいません。
ただ、FXトレーダーという立場でたまに
「有料で人にトレード手法を教えること」
があるので、それは一応「仕事」と言っても差し支えないのではないかと思います。
少なくとも、一人で金を稼ぐだけで社会に全く還元しないトレードよりは少しはマシだと思っています。
(ここではFXがいくら稼げるとか具体的なトレード手法についてお話するつもりはありませんが、この話はあらゆる物事において共通だと思うので続けてお話していきます。)
「トレードを人に教える」という仕事を通じて痛感するのが
「今の自分が分かることと分からないことを”分ける”こと」
を出来ていない人が結構いるなあということです。
いわゆるソクラテスの「無知の知」と同じ話ですね。
基本的には自ら連絡をしてきて「教えを請いたい」という人に教えているわけですが、わざわざ教えを請うということは
「現状ではうまくいっていない」
ということであり、その現状を脱したいと思っているということですね。
そういう方たちの話を聞いていると、共通しているのが
「トレードに関する知識がやたら豊富」
ということなのです。
まあ一つ新しい方法を見つけては上手くいかずまた次の新しい方法へ・・・ということを繰り返す渡り鳥が多いので、その過程で自然に色々な知識を身に付けていく人が多いのでしょう。
とにかく相場の色々なことに詳しくて、何なら私が知らない、全く使ったことがないような指標やらツールのようなものを使っていたりすることも多いです(それはそれで私も知識を得られて良いのですが)。
「知識はやたら豊富なのになぜか上手くいっていない人」
これはFX界隈では割とあるあるなんですが、
別にこれはFXに限らず
「知識に囚われて我流で答えを出してしまって歪みに気付かない人」
というのは、人に何かを教えるコーチングのようなことをした経験がある人であれば割とよくいるように感じるのではないでしょうか。
知識が豊富というのは一見、特にデメリットはないようにも思えます。
しかし、逆にその豊富な知識に囚われて頭の中がごちゃごちゃになって整理できずに本質を見失ってしまうという弊害もあります。
これは言い換えると
「知識を駆使してあらゆることを理解しようとする」
という姿勢が見受けられるのです。
知識が豊富ということは、言い換えれば手持ちの道具が増えるということです。
ハサミ、カッター、接着剤、ドライバー、トンカチ、と様々な道具を手にしてその都度”最適な道具”を選択して切り抜けようとします。
ところが、時として
「手持ちの道具だけではどうにもならない」
ということも現実として起こります。
自分が「分からないこと」など山ほどあって、対処のしようがないことなどいくらでもありますが、その時に「自分では分からない」という客観的な謙虚さを持てる人間というのはそう多くありません。
知識や経験値が増えていくことで
「今まで手持ちの道具で何とかなった経験」
というバイアスが邪魔して
「手持ちの道具をすべて捨てて逃げること」
を選択できなくなっていくのです。
ある意味では知識が増えていくこととトレードオフで起こり得る弊害と言えるでしょう。これは認知的不協和やサンクコストといった概念に近いですね。
知識や経験が増えるほど
「それまでに自分がしてきたこと」
を否定しにくくなっていき、結果として手持ちの道具で全てを解決しようとする。
ただ、現実というのは幸か不幸か
「それでも何とかなってるように見える」
ところがあります。
つまり、その知識に囚われた歪んだ認識を「歪んでいるという事実」にすら気が付かずに生きていけるということ。
それくらい世の中ってブラックボックスにあふれています。
本当かウソか分からない、単なる主観的な経験則でしかない「成功哲学」が蔓延るのは、そのブラックボックスのおかげとも言えます。
FXというのは良くも悪くも「結果が全て数字で表れる」というものなので、その「知識があってもどうにもならない」という残酷な現実がハッキリ浮かび上がってしまうわけですね。
大衆は「ハッキリ言い切る人間」を求める
人間というのは無意識に「分からない」「曖昧」な状態にしておくことを嫌い、何かの「型」「公式」に当てはめて無理やり分かろうとしたりします。
そして、それが転じて
「ハッキリ断定的に言い切る人間」
のことを崇める傾向にあります。
弁舌巧みな政治家、実業家、インフルエンサー、ミュージシャン、宗教家、などあらゆるジャンルで「ハッキリ断定的に言い切る人間」というのが存在していて、そういう人の存在というのは自分の頭で考えたくない人にとっては魅力的なリーダーシップを発揮する人間に見えていると思います。
そして、その人の言うことを信じていれば、その人の言うことが「正しい」ということにすればもうそれ以上自分の頭で考えなくて済みます。
しかし現実として、私を含めて人間というのは全てを理解できるほど頭が良くないし、十数年生きた中で得られる知識や経験などたかが知れています。
その人がどんなに有名であろうと、どんなに金を稼いでいようと、どんなに人を集めていようと、です。
本来「真実」というのは不確かで曖昧なもので、あらゆる可能性が考慮できることを鑑みると「これ」という一つの答えに断定することはほぼ不可能なはずです。
つまり、知識や経験を積んで客観的な視点を養うほど、逆に「分からないこと」の方が増えていくはずです。
なぜならあらゆる可能性があってどれも完全に否定することが出来ないということに気付くからです。
そういう時に
「現状の自分では分からない」
という風に謙虚になって分かることと分からないことを「分ける」ということが本当の意味で「分かる」ということなのだと思います。
自分が「分かること」「分からないこと」を「分ける」ことが出来れば、
・自分一人で何とかなること(自分の頭で考えなくてはならないこと)
・誰かの力を借りた方が早いこと
を効率的に分けることが出来るということです。
結局は自分一人で何とかしなくちゃならないこともあるし、自分一人でどうにもならないことも両方あります。
そして、自分一人で全てを分かる必要もないのです。
ただ、それを「分けること」というのは自分一人でやらなくてはなりません。
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