【英国判例紹介】Gray v Thames Trains Ltd ー違法性の抗弁ー
こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。
今回ご紹介するのは、Gray v Thams Trains Ltd事件(*1)です。
不法行為における著名な判例であり、違法性の抗弁に関するリーディングケースです。
なお、このエントリーは、法律事務所のニューズレターなどとは異なり、分かりやすさを重視したため、正確性を犠牲しているところがあります。ご了承ください。
事案の概要
ある男に起こった悲劇
ロンドンの自治体で働いていたグレイ氏は、健康で何不自由ない生活を送っていました。争いを好まない温厚な人物で、もちろん前科や非行歴もありませんでした。
1999年10月5日朝、グレイ氏は、通勤のため、パディントン駅発のテムズ・ターボ・トレインの一両目に乗っていました。そこでグレイ氏は、未曽有の悲劇に巻き込まれます。
この「ラッドブルックの悲劇」と呼ばれる鉄道事故は、死者31人、負傷者数百人が出た、列車同士の正面衝突事故です。
グレイ氏の記憶では、ドア近くの座席の仕切りガラスのそばに立っていたところ、凄まじい衝撃とともに、身体が倒されて、割れたガラスと死体に囲まれてしばらく身動きが取れなくなりました。
幸い、グレイ氏は命を取りとめ、身体傷害については軽傷で済みました。しかし、グレイ氏は、この事故により、PTSDを患います。抗うつ薬を服用するようになり、塞ぎがちな性格になる一方で、不意に怒りを爆発させるようにもなります。パートナーとの関係も悪化し、2000年半ば頃からは、精神科の治療を受けるようにもなります。
豹変してしまった男の凶行
そして、2001年8月19日の夜に事件は起こります。
ティルベリーで車を運転していたグレイ氏は、進路に割り込んできた歩行者の男性と口論になります。グレイ氏の証言によれば、歩行者の男性が車の窓を殴ってきたことから、鉄道事故での割れたガラスのことがフラッシュバックして、恐怖から歩行者の男性を刺殺してします。
その後、グレイ氏は逮捕されて殺人罪で起訴されるも、PTSDによる心神耗弱が認定されて、過失致死罪の有罪判決を受けるともに(*2)、精神病院への入院措置が取られることになりました。
ここで、グレイ氏は、驚きの行動に出ます。
グレイ氏(原告)は、列車事故を起こしたテムズ・トレイン社(被告)に対して、有罪判決と身体拘束に係る逸失利益及び精神的苦痛の賠償、並びに、被害者男性の遺族から受けうる損害賠償の補償を求めて訴訟を提起したのです。
事件は、貴族院(最高裁判所)まで持ち込まれます。
争点:違法性の抗弁の成否
違法性の抗弁
英国法の下では、特定の者が、自身の違法な行為に関して被った損害を回復することを否定しており、これは、違法性の抗弁とも呼ばれます。
被告は、この違法性の抗弁を提出し、原告のグレイ氏が自身の過失致死罪に関して被った損害の回復は認められないと主張しました。
因果関係
もしこれが日本の事件であれば、(相当)因果関係を欠くことを中心に争うことになるのかなと思いました。被告は、このような事態が生じることを行為時に合理的に予見することができたのか、疑問に思われるからです。要するに、民法416条(類推)の特別損害の話です。実は、この条文、Hadley v Baxendaleという契約法の著名な判例が基になっています。そのため、民法416条は、大陸法(フランス法)をベースにする民法典の中で、珍しく英国法に由来する条文となっています。
もっとも、英国では、不法行為にHadley v Baxendaleの適用はありません。契約法の因果関係論が不法行為に類推される日本とは違いますね。
判決の先出になってしまいますが、裁判所は、「被告の過失がなければ、過失致死も拘留もなかっただろう。これは当然のことである。」と述べて、少なくとも条件的な因果関係については、その存在を明確に認めています。
裁判所の判断
裁判所は、原告グレイ氏の請求を棄却しました。違法性の抗弁が成立すると判断されたのです。
各裁判官は、グレイ氏の境遇に同情はしつつも、彼の主張についてはバッサリと切り捨てています。
例えば、ロジャー卿は、「重大な犯罪に責任があるという理由で誰かを投獄し、その拘束を理由とする補償を行うのはまったく矛盾している」という政府の法務委員会の見解を、これに賛同する文脈で引用しました。
考察
ホフマン卿による適用場面の分類
ホフマン卿は、違法性の抗弁に関して、2つの規範を示しています。
一つ目は、違法性の抗弁とは、「自らの違法行為の結果として課された刑事制裁の結果について、民事法で回復することが無いようにすること」であるというものです。
つまり、刑事罰の結果(例えば懲役による身体拘束や、罰金そのもの)について、これは自らの犯罪行為により科されたものであるから、民事法によって補償を受けることを認めるのは背理だということです。上記のロジャー卿による法務委員会の見解の引用は、まさにこのことです。
二つ目は、違法性の抗弁とは、一つ目の規範よりもより一般的に、「犯罪行為に従事している間に被った損害については、犯罪行為者はその損害を回復できないはずである」というものです。
例えば、本件において、精神的苦痛や、刺殺された被害者男性の遺族からの賠償請求は、刑事罰の結果そのものではなく、こちらのカテゴリーで処理される損害に属します。
これらは、刑事罰の論理的帰結と言うよりは、より広い意味での公序良俗に照らして損害の回復が制限されていると評価することもできます。ホフマン卿は、「請求者が自らの犯罪行為の結果について補償されるべきというのは、資源の公正な配分に関する社会通念に反する」と表現しています。
心身喪失の場合はどうなのか?
イギリスの刑事裁判においても、被告人が行為時に心神喪失(insanity)状態であったことを理由とよる無罪判決があり得ます(*3)。
もし、グレイ氏が心神耗弱ではなく、心神喪失状態であり無罪判決を受けていた場合には、賠償請求は認められるのでしょうか。ホフマン卿が示した二つ目の規範である「犯罪行為に従事している間に被った損害については、犯罪行為者はその損害を回復できないはずである」という論は当たらないとも考えられそうです。なお、上記で述べたとおり、裁判官は、列車事故とグレイ氏の犯罪行為の因果関係を否定していません。
他方で、無理やり日本の理屈に当てはめると、心身喪失は責任阻却事由なので、グレイ氏が男を刺殺した行為は依然として違法なのであるから、やはり被害回復は認められないといつ結論にも持っていけそうです。
もっとも、イギリスの刑法では、日本のように、構成要件該当性、違法性、責任という三段階の分類はなく、actus reus(行為)とmens rea(故意)の概念はあるものの、抗弁について違法性阻却事由なのか責任阻却事由なのか、みたいな話はしません。
どういう結論になるのか、ちょっと気になるところです。
一応、Westlawを探してみましたが、イギリスでは心神喪失が認められた例がそもそもごくわずかであるため、残念ながら、本件と類似の事例で心神喪失だったバージョンは見つけられませんでした。
まとめ
いかがだったでしょうか。
本日は、違法性の抗弁に関するリーディングケースを紹介しました。
以下のとおり、まとめてみます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
このエントリーがどなたかのお役に立てばうれしいです。
【注釈】
*1 Gray v Thames Trains Ltd and another [2009] 1 A.C. 1339
*2 コモンローでは、murderとmanslaughterが区別されており、前者を殺人、後者を過失致死と訳する場合が多いです。心神耗弱が認められると罪状が変わるのは、理論的な面で個人的にはしっくりこないのですが(単に減刑すればいいのでは?と意味です)、1957年殺人法がそのように定めているので、致し方ありません。
*3 S. 2, Trial Of Lunatics Act 1883 and s. 1, Criminal Procedure (Insanity and Unfitness to Plead) Act 1991
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