タトゥーについて

僕の身体にはいくつかタトゥーが入っている
自分の名前
大切な日の記録
おまじないなどなど

今の日本での
タトゥーの立ち位置みたいなものは
当事者としてある程度理解しているつもりで居るし
刺青に市民権を!
とか、声高らかに言うつもりもない

ただ、予定してたキャンプが
コロナの影響で中止になって
深夜になったら急に寂しくなったけど
誰も捕まらないので、何かを書こう
そんな感じ

まず、何故人はタトゥーを入れるのか
歴史の話はよく分からないが
現代の先進国においてのタトゥーは
自己表現・ファッション
決意の現れ
仲間の印などなどだと思う

僕の場合は、何だろう
メモかな
何でもすぐ忘れる僕だから
手の甲にポールペンで書くアレと
さして大差はない

初めてのタトゥーも
当時の彼氏からの誕生日プレゼントだったし
一つひとつに指して決意もない

あと先考えてない
そう言われてしまえばぐうの音も出ないのだが
絶対忘れたく無いので、
記憶力と発想力の乏しい僕の見つけた最良の作だと思っている

この前、
絵を描く友達に新しいタトゥーのデザインのお願いをした時、
今までタトゥーを入れて後悔した事はないのか?
と聞かれた

面と向かってそんな事聞かれた事ないけど
そう言う事を聞くのが彼だ

だから、少し考えてみたら一度だけ
後悔ではないけど、
あちゃーって思ったことはあった

前回の転職活動の時
キャビンアテンダントで探して居たんだけど
日経企業の多くが
半袖の制服でも見えるところに
アザ・傷痕・タトゥーが無いことが条件だった

結局受けられたのは
給料の安く契約社員のLCCだけだった

まあ、僕の英語力に問題がなければ
外資でもよかったのだが
残念ながら問題があった

その時は、
あちゃー見えないところに書けばよかった
とは、思った

しかし、
初めて入れてから10年以上経つけれど
それ以外ではタトゥーを後悔した事はない。
と言うか、普段生活して居て
タトゥーがある事を忘れている
と言うか意識して居ない時がほとんどだ


それでも時々
タトゥーが入っている事に気付かされる時がある
それは、誰かが僕にタトゥーが入ってる事に気付いた時だ

同僚と銭湯に入る時
姪っ子と遊んでいる時
相手がそれを見つけた瞬間
顔が一瞬ふっと強張る

今まで普通にしてた関係に
ピリッとした緊張感が漂うのがわかる

みんな、見てはいけない物を見てしまった!
そんな顔をする
そして、僕も申し訳なくなってそれを隠す


航空会社が危惧していたのは
お客様にこの変な時間や空気を感じさせてしまう事だったのだろう

自主的に入れた僕のタトゥーは別として
傷痕やアザのある人も
きっと同じ経験をしているのでは無いだろうか
誰も悪く無いし
その後の関係がそれらによって影響するか否かは、お互いの問題なのだが

見られた方は
その、気まずい時間や
その時の相手の表情で
自信をなくしたり
それがコンプレックスになってしまう人も居るのでは無いかと思う

見た側もしかり
可哀想・怖い
そんな感情が湧いて
普段とは異なる付き合い方をしてしまう人も居ると思う


誰も悪く無いし
誰がどう感じでどう行動するかは自由だし
僕に何かができるわけでも無いけれど

差別や偏見の始まりをたまに感じれる
今の僕にとってタトゥーはそんなツールにもなっている。

その分、僕は人に少しだけ優しくしようと
その度に思える
そんなツールになっている。

そう考えたら
人を優しく変えてくれる
タトゥーも捨てたもんじゃ無いよね


少なからず僕にとっては

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