『セッション』の配置演出
ちょっと前の映画、と思ったらもうだいぶ前(2015年)なんですね……
アマプラにあったので見たんですが、
シンプルでいい、無駄に複雑にする必要は無い
と思えた配置演出でした。
映画は鬼教師フレッチャーと生徒ニーマンのほぼ1対1のドラマで、フレッチャーはニーマンにビンタするわ椅子投げるわで、尋常でない圧力をかけてニーマンを追い詰めていく。
その間、フレッチャーがニーマンを見下ろす配置・構図がずっと続きます。
そんなフレッチャーの高圧的ハラスメントの中、何度かフレッチャーがニーマンより低い or 同じ高さになる時があります。
高低差を平たくすることで主人公(と視聴者)を束の間油断させ、ニーマンとフレッチャーが和解しコンサートを成功させて終わるかもしれない(フレッチャーの言うgood job、な終わり方)という安易な想像をバーン!とひっくり返し、あのラストへと……
もしこの二人の会話シーンが、いつも通りの上下関係だったとしたら。
もしフレッチャーが映画前半、冷徹なだけで人間味を(本心でなくとも)垣間見せていなかったら。
最後の裏切りはこれほどうまく機能しなかったんじゃないかと思います。
周到に計算されたと思われる配置演出に、自分は気持ちよーく転がされてしまいました。
シンプルでいいんだよ(自戒)。
あ、それと記事書くのに見返してたら、ニーマンのTシャツの色が白から黒(フレッチャーの色)に徐々に変化しているのに気づきました。ニーマンはフレッチャーの側にいったってことを暗示してるんでしょうね。
視覚的なサブテキストとしてこれも絶対計算されてるはず。
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